249.鬼神(11)
静香は竜帝戦の4組で優勝し、2期連続で本戦出場を決めた。初戦は5組と6組の優勝者同士で勝った方と当たるが、その後は1組の人と当たり続ける。
そして御厨先生との王偉戦の挑戦者決定戦。これまでのところ振駒ガチャで先手が取れていたのだけれど、この対局では後手になった。
戦型はお互いに飛車先を突き合うところから始まる典型的な相掛かり、45手目に6三飛成とされたけれどこちらには大駒が3枚あるのでまだ互角だったと思う。だが100手を超えたあたりでは明らかに不利になっていた。
104手で1七歩成で王手をかけた後、同香、同桂成、同桂、同香成、同玉、で桂香の塊を一気に清算した後、5四歩で先手の竜を取ると、御厨先生も3四角成と馬を作った。この111手の時点で先手の御厨先生の駒台には角、金、銀×2、桂、香、歩×3の9枚が所狭しと並び、静香の駒台には飛、金、桂、香、歩×4と8枚が並んだ。
静香はノータイムで1六に歩を打って王手をかけた。
相手の馬が静香の玉に近い。こちらの竜は自陣深くの6一にいて、97手目に打たれた6四の歩で利きが悪くなっている。静香が思うにそれまでに自分に悪い手はなかったと思う。御厨先生の手は一手一手が慎重かつ丁寧に指されていて、100手を使ってほんの少しずつ静香の身が削られていった気がする。
ここで御厨先生が同玉と取ってくれたら1筋に香を打ち込めば形勢が逆転する。同馬ではそこまでの威力はないが静香が一息つけるはずだ。
でも御厨先生は少しだけ考えて2八に玉を引いた。御厨先生にこんな単純な罠が上手くいくはずがない。想定どおり相手玉を引かせたわけなので予定通り。6四龍で竜の利きを良くする。5四に静香の歩がいるので3四の先手の馬まで竜の手が届かないのは仕方がない。
ここで御厨先生の手が止まった。困っているのではなくてどうやって静香をぶちのめすかを考えているのは間違いない。4二にいる静香の玉を守っているのは3一の銀と4三の歩だけ。御厨先生の玉周りにも銀が一枚いるだけで、さっき打った1六歩が上への脱出を、5八の金が左側へ逃げるのを阻んでいる。
ここで御厨先生が記録係に残り時間を確認した。
「先手御厨名人は24分、後手天道七段は2時間6分です」
ここで手番が静香だったら間違いなく勝てる。でも御厨先生の攻撃がこれから始まるんだよなあ。馬が怖いし、駒台にカナ駒が3枚。一気に詰むところまでは行かないと思うけどここから防戦一方になることは間違いない。
持ち時間は圧倒的に静香のほうが長いけど、この終盤まででこの時間があれば御厨先生は間違わないだろう。御厨先生は5分程かけて4四銀。これ放置したら3手詰めです。
御厨先生の持ち駒を減らすべく1七飛成で王手をしたが4六に逃げられる。歩1枚すら合駒として使わせることができなかった。ここで思い出王手をしてもしかたがないので5三に金を打って守る。
以下5六桂、6五竜、5三銀成、同玉。これで一息付けたと思う? 静香は残念ながら思えない。
6四金、同竜、4四銀、惜しげもなくカナ駒を使われる。これで同歩と取ると先が見えている……粘っても無理だけどなんとか6二玉と逃げた。ここで御厨先生が間違えてくれたらまだなんとかなる……かな?
でも御厨先生は秒読みまで時間を使って6四桂を指された。はいこれで必至です。後は王手をかけ続けるしかありません。静香の駒台には金、銀、桂、香があるし、1七には竜もあるので思い出王手をかけることはできるけれど、脅かすことはできないので単純な王手を数手続けたらそれで終わりです。
「負けました」
静香は頭を下げた。
「ありがとうございました」
報道陣が入って来てインタビューが始まる。
難解な将棋だった。
この大事な一戦をものにできて嬉しく思う。
終盤も終わりに近づいて、ようやく勝機が見えた。
王偉戦の挑戦者になれたのは名誉な事。
タイトル戦に恥じない勝負ができればと思う。
静香もそうだけど、御厨先生の勝利コメントはほぼテンプレートが決まっている。
『相手が弱かったですね』
相手がアマチュアでもプロでもそんなことを言うわけにはいかない。
よほど仲がいい相手で、かつ世間がそれを知っている場合でもなければそんなことは言えやしない。もし千夜だったら由美ちゃんやケイトには言えるかもしれない。あのふたりが将棋を指しているところはフィクションでも見たことがないけれど。
そういう馬鹿な事を考えているうちに静香がコメントする番になった。
先が見えない将棋だった。
御厨名人の壁は思った以上に厚かった。
帰ってから棋譜を研究しようと思う。
だいたいそんなところかと思っていたが、意外な切り口でインタビューが始まった。
「天道七段は連勝が35で止まってしまいました。ご自身の大記録、38連勝に迫る勢いでしたが残念でした」
えっ? そっち?
静香は一瞬戸惑ってしまったがすぐに軌道修正する。
「記録は後からついて来ると思っています。それよりもタイトル挑戦がかかったこの大事な一局、相手が御厨名人とは言えいいところがひとつもありません。力及びませんでした」
「今は鋭王のタイトルに挑戦中、来月には今対局が終わったばかりの御厨棋神との番勝負が始まります」
だから何? いやささくれ立ってはいけない。負けは受け入れなければ。
「はい、今日の一戦を糧に、もっと良い将棋を指せればと思います」