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みんなで私の背中を推して  作者: 多手ててと
後編:大学生編
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241.鬼神(3)

棋士、この場合は将棋、のピークは一般的には20代から30代と言われている。この話は将棋ファンたちの間でもしばしば話題になるらしい。


だが海老沢直樹はそんなことに興味が無かった。大事なことは結局自分が勝てるか負けるかであって、世代間のことはあまり考えたことが無かった。


だが数年前に御厨陽翔名人が21歳で七冠(鋭王はまだ無かった)を達成した時、棋士のピークはもっと若いのではないかと言われるようになった。このあと10年20年は御厨1強の時代が続くだろうと思われた。冗談じゃない。


その後小田桐勇玉将、そしてこの俺、海老沢直樹鋭王が30代でタイトルを獲った。既に失冠しているものの、国分正道九段や早蕨大輔九段は40代で御厨名人からタイトルを奪っていた。そうなると棋士のピークはもっと遅いと言われるようになった。御厨名人が早熟過ぎたのだと。


そして現在、このピーク論争は再び若年層の支持者が増えている。気が付けばタイトルホルダーの中で一番年上なのが俺だ。次いで小田桐玉将、御厨名人(三冠)も今や20代後半だが櫛木蒼竜帝(三冠)はまだ10代だ。


ここに割って入るのではないかと言われている人物が今、自分の前で華やかな和装で目の前に座っている。流石に櫛木竜帝ほど若くはない。先月ちょうど二十歳になったと聞いた。


決して口に出したことはないが、正直なところ和装は女流戦を華やかにするための小道具だと直樹は内心思っていた。だが目の前の天道静香七段は和服がとてもよく似合っている。このまま成人式のポスターに使えそうだ。


これはお世辞でもなんでもなくて、実際に天道七段は成人式の宣伝に使われていた。そしてその姿を多くのカメラがパシャパシャと取る。


去年もそうやけど、おととし御厨を相手にした時もここまでマスコミは集まらなかった。相手が天道七段だからこれだけのカメラマンが花に集まる蜂のように群がる。


史上初の女性の挑戦者。持ち時間の短いテレビ棋戦ではデビュー以来負けたことがない早差しの女帝。女流七冠がおまけに見えてしまうほどの実力者だ。


これで音楽とか映画でも天下を取ってるんやから人間ってホンマ不公平やね。


直樹自身、将棋の棋士としてタイトルを持っている棋士だからこの道の第一人者と言って良い。残念ながら先月の順位戦の最終日、いわゆる将棋界の一番長い日で敗れA級から降格してしまったが、それでもここ数年はA級を保っていた。そんなごく一部の才能に恵まれた棋士だ。


日本中で将棋の天才児と言われた子ども達が奨励会に入れずに挫折する。奨励会に入れた天才たちの上澄みが入品にゅうほんして初段になることができる。二十歳までに初段に慣れなければ退会だ。


その上澄みたちも三段リーグに入るためにはものすごい苦労が必要で、それらの艱難辛苦を乗り越えて辿り着いたところは地獄だ。鬼の棲家と言われる三段リーグはそれまでとは全然違う厳しさがある。半年にたったふたり(次点昇段を含めても3人)しかプロである四段になれない。


プロ棋士になれるのは、将棋の天才の中の天才の中の天才だけ。ましてやA級棋士やタイトルホルダーになれるのはそのまた天才の天才の天才の天才の天才ぐらいでないと手が届かない。


その天才がインフレしている世界の中で直樹はひとつのタイトルだけとは言え君臨している。そう直樹は天に選ばれた人間。直樹はそれが過大評価だとは思わない。


御厨名人や櫛木竜帝と対局して負けた時でも直樹の自己評価は変わらない。相手も自分と同じかそれ以上の人間なのだと思うだけだ。


だが下座に座っている若い美人は何者なのだろう。直樹や名人や竜帝と同じ種類の人間とは思えない。初めて対局したのは彼女がデビュー以来32連勝中の大騒ぎの時。あの時は研究勝ちした。


その後対局を重ねれば重ねる程、違和感が大きくなる。御厨名人や櫛木竜帝との対局では感じない違和感が彼女との対局にはある。それが女性だから、芸能人だから注目のされかたが違う、ということからではない。その違和感の正体を掴めなければ直樹は勝てないかもしれない。


何いうてんねん。勝つにきまってるやないかい。


幸い振駒で先手は取れた。鋭王戦は本戦の持ち時間は3時間と最も短いため目の前の短期戦の化物にとっても比較的勝ち上がり易かったというのはある。このタイトル戦でも4時間しかない。


まずこの一局を研究手で勝ち切る。直樹は気合を入れて初手を指した。だが鋭王戦第一局、直樹は102手で負けた。途中までは研究手で有利に運ぶことができたのに、途中で研究を外された。自分が一旦不利になっても研究から逃れるための苦しい一手だったはずだ。


つまり中盤で直樹は有利に立った。だが負けた。この時点で直樹は2戦目を捨て、3戦目で勝つことだけを考えた。タイトルを保持するためには3戦目から残りの対局を勝ち切るしかない。直樹はそう思った。

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