24.発覚
撮影が始まってもVIP待遇は変わらない。千夜はNGを出さないし、自分でもうまく演じられたと思うけど、それでもこの待遇はスゴい。こんなにチヤホヤされてもいいのだろうか。のぼせ上らないようにしないと、と自分に言い聞かせながらもやはりいい気分になってしまうのが抑えられない。だが、それはそれで自分の演技の自信になるので、良い循環が産まれているような気がする。
8月も終わる頃になって、映画の撮影が終わった。千夜は皆に断ったうえで打ち上げを抜け出して東京に戻り、翌日の奨励会に臨んだ。もし今日午前午後とも勝てば静香は昇段する。
昇段がかかっているから、相手はどちらも二段の中でも強い人と充てられた。午前はお互いに攻め合うジェットコースターのような将棋になったが、その乱戦をなんとか制した。午後は相手が守り静香が一方的に攻める展開となった。だが、この攻めが止まった瞬間、静香の負けが決まるという綱渡りの一局となった。そして、静香は最後まで綱を渡り切った。これも撮影が上手くいったからの副効果のような気がする。
こうして天道静香は、半年前に女流に転向した大沼女流王者以来、4人目の奨励会三段の女性会員になることが決まった。そしてこれまでの女性三段の中で初めての10代、当然最年少だ。将棋連盟からもニュースリリースがあり、報道陣の前で挨拶をすることになった。
「はい、四段を目指して頑張ります」
最初にそれだけ言って静香は黙った。制服ではなく、兄のお古のシャツとチノパンという奨励会では見慣れた取り合わせ。髪の毛も眼鏡もいつもの静香スタイル。後は質問に無愛想に答えるだけの取材で、これはこれでいいな、と静香自身は思ったが表情には出さなかった。後は記者の質問に対して、簡潔に答えればいい。
だが、同時にこうして天道静香の名前と顔が、将棋界だけでなく、一般の人の目に触れるところまで出てきてしまうことになった。そしてその影響が出るのは静香が思ったよりも早かった。
三段昇段が決まったので久しぶりに師匠の大江九段の元を訪れて挨拶をした。あと半年で引退する師匠は、あの時続けてくれて本当に良かったと言って泣いていた。往年に比べると随分と涙もろくなられたと思う。
「私が四段になってから泣いてください」
そう静香が言うと、笑いながらまだ泣き続けていた。師匠にはまだプロになった弟子がおらず、奨励会にも弟子はたったひとりしか残っていない。その大江九段一門最後の弟子が静香だ。
9月、二学期が始まった。始業式でもなぜか三段昇段が表彰され、クラスでも静香はちょっとしたスターになった。なぜ三段で表彰されるのかは謎だ。やはり最年少でニュースになったから? 短いながら普通の夜のニュースでも流されていたし、翌朝の新聞にも載っていた。そして少し気が進まないところもあったけれど、それでも一応在籍している将棋部にも挨拶に行って、久しぶりに多面指しをした。4枚落ちや6枚落ちでも容赦なく静香は勝った。
三段リーグも『プレーン女子オープン』の本戦も10月から始まるので、それまで将棋はちょっとお休みになる。その間を狙いすましたかのように平日にまで仕事が入る。まあ一応放課後がメインになるように調整はしてもらっているが、早退が必要なスケジュールもあった。CM撮影、モデル撮影、テレビ出演。そして冬に出すアルバムの制作準備ももう始まっている。テイラー証券やプラスドクリップ社の宣伝のせいか、国外でのアルバムの売れ行きが上がっていた。もちろんほぼ配信だ。
それに事務所が味をしめたのか、今回はアルバムを2枚同時リリースするという冒険をすることになった。1枚は新曲ばかりで7曲は日本語だが、残りの3曲は英語。日本語の7曲のうち3曲の作詞が千夜の担当になった。『誰も私に気が付いてくれない』が配信で結構売れてしまったからだ。そしてもう1枚は、1stアルバムから今回同時発売となる4thアルバムまでの日本語曲のうち、人気の高い曲の英語版だ。
なかなか忙しいけど充実しているな、と思っていた9月中旬の金曜日、レッスンを終えて帰宅後に明石さんから電話があった。冬のアルバムの作詞で、プロデューサーからコメントをもらったところの修正をしようと思っていたのになんだろう?
「はい、舞鶴です。明石さん、なにかありました?」
明石さんは何の用も無しに電話をかけて来る人ではない。千夜はそのスタイルが気に入っていた。
「舞鶴さん、明朝、御自宅に迎えに行きますので会見の心の準備をしておいてください」
間髪入れずに明石さんが静香に話しかける。かなり焦っているようだ。会見?
「何かありましたか?」
千夜には特に覚えがないが、この業界トラブルなど当たり前だ。まずは最悪を想像してみる。せっかく撮影した映画が、共演者のスキャンダルでお蔵入り。あり得ないとは言えない。
「舞鶴さんが天道さんだということがバレました。事務所にも夜になってから問い合わせが相次いでいます」
ようやく来るべき時が来たか、千夜は別に驚かなかった。早かったような気もするが、やはり遅すぎたなと考え直した。