23.舞鶴千夜って知ってる?
7月の期末で、静香はとうとう理系の席次で一桁に入った。中間で20位台に入った時よりもよくできたので、もしかしたらと思ったら本当にもしかした。これは英会話のレッスンの効果もあるかもしれない。
6月に連敗から始まった奨励会二段も7月前半の例会で2連勝し2勝2敗。
試験も終わり学校はすっかり夏休みモードだが、静香=千夜の仕事はこれからが本番だ。大きく分けると、前半はツアー、後半は映画の撮影がメインになる。合間に最近大きく増えたCM撮り、音楽系と映画系の取材。さらにその合間に奨励会がある。
3rdアルバム発売と同時にツアー開始。ライブの数は前と同じぐらいだけど、それぞれの劇場の大きさが違う。明石さん、最初2千人ぐらいって言ってましたよね? 東京だと8千人入る会場が抑えられていた。
「これでも武道館に比べたら半分ぐらいよ?」
その時点でおかしい。しかしその全国ツアーの合間でCM撮りをするなど、スケジュール調整に駆けずり回ってもらっている明石さんには頭が上がらない。
ライブ、CM撮影、そして地方の番組に出たりと千夜は全国を駆け巡る。3rdアルバムの売れ行きが好調だから心配はしていなかったけれど、ライブはレパートリーも増えたし、トークも随分なれたので、人数が増えたぐらいでは特に驚きもない。お客さんも盛り上がってくれたみたいだし、各媒体での反応も良い。そして地方局にお邪魔するとVIP待遇でむしろ恐縮してしまう。
ツアーの途中で一度東京に戻って奨励会。静香は午前午後と連勝したのでこれで4連勝。最初に2敗した時は悪い病気が出たと思ったけれど、『プレーン女子オープン』の一斉予選に出たのが良かったのかもしれない。
ただ女子オープンの方はネットなどでは評価は分かれていて、インチキ説もあるそうだ。中には替え玉説もあったそうだが、千夜の初戦も、決勝の後も直接本業に回っているので現地参加者により否定されたという。なので遠隔操作説が有力らしい。たしかに変なリズムで指したからな。またとあるトッププロが、いますぐ奨励会、それも段位編入試験を受けるべきだと書いてくれていた。実はもう在籍しているんですけどね。いずれにせよ、盛り上がらないよりははるかにいいことだ。
そして終礼が終わり、静香が帰り支度をしていると奨励会仲間に声をかけられた。静香は研究会などには参加していないけれど、当然感想戦をはじめとする将棋の話題については、ぼそぼそと他の奨励会員としている。
「ところで天道さんは、舞鶴千夜って芸能人を知ってる?」
ついにこの質問が来たか。むしろ遅すぎるぐらいだが、聞かれるとしたら学校だと静香は思っていた。奨励会の方が先になったのは、先日の一斉予選の影響だろう。
「うん、知ってるよ。というかCDも持ってる」
複数の奨励会員たちがこちらに集まり始めたのを察知しながら、静香はとりあえずすっとぼけて見た。もちろんCDは買ったわけではなくて、事務所からもらったものだ。
「じゃあ話は早いな。天道さん、その舞鶴千夜と指したり教えたりしたことがあったりする?」
あれっ? 思っていたのと話が違うよ?
「いや、指したことも教えたこともないけど……?」
自習は教えたことにはならないよね?
「じゃあ違うか。いや舞鶴千夜を教えた奨励会員はだれか、ってのが三段から下の級まで話題になってるんだ。やはり女性だから、女性で二段の天道さんの可能性が高い、ってみんな思っていたんだけど……いや秘密なのかもしれないけどこっそり教えてくれない?」
静香は首を振った。
「本当に違うわ」
話はこれでお終い。
この件は少しだけこの伊達メガネをする前の記憶が蘇ったが、次の日にライブをするときにはもう忘れていた。
ライブが終わると今度は映画の撮影が始まる。まだこの世界に入って1年程、映画に出るのもまだ2回目なのに、周囲の扱いが全然違う。
前回の映画でも千夜は主演だった。だがそれは事務所のごり押しによるもので、実質的にはダブル主演の相方である鳥居由美の付録のような存在だった。挨拶周りはこちらからするのが当然で、最初はこちらがいくら頭を下げても他のキャストにもスタッフにもぞんざいに扱われた。
だが、今回は違う。まず用意された楽屋から違う。大部屋が千夜ひとりに割り当てられている。楽屋には、プレーン化粧品、アルバート自動車、テイラー証券、プラスドクリップをはじめとする、千夜がCMを務めている錚々たる大企業・国際企業からの花束が置かれている。いったいどこから嗅ぎつけてくるんだろう。なお「テイラー証券」は本社がイギリスの証券会社、「プラスドクリップ」は本社がアメリカにある大手IT企業であり、どちらの企業でも全世界で千夜がイメージキャラクターとして使われている。もちろんCMのBGMも千夜が歌っている。
そして人も違う。監督のところに頭を下げに言っても、舞鶴さんに出て頂いてとてもありがたいです、と返される。祖父役の大御所俳優のところに行っても、最近の勢いはすごいよね、と持ち上げてくれる。
私も出世したもんだ、と千夜は思った。