224.将棋チャンピオンシップ(7)
櫛木さんと箱石先生の一局は手数の多い対局となった。この持ち時間で100手を超えるのは珍しいが、最後は早指しを得意とする箱石先生が若き竜帝をねじ伏せた。
静香が四段になってから、一般棋戦のタイトルは静香の独壇場になっている。だがそれまで一般棋戦で御厨先生たちタイトルホルダーとしのぎを削っていたのは箱石先生だ。今回は紙一重の勝負だったけど、最終的に勝負を手繰り寄せたのが箱石先生だ。
もしかしたら、その紙一重の中に「握手会」への嫌悪が櫛木さんの中に有ったのかもしれないが、それを聞くのは惨すぎると静香は思った。
「箱石先生からご覧になって今日の勝負手はどこでしたか?」
「そうですね。どの一手というわけではないですけど、中盤の早いうちに長い将棋になると覚悟できたのが良かったと思います」
それは静香にはない発想だった。でも振り返ってみると確かにそうかもしれない。
「確かに駒がぶつかり始めた後に、箱石先生は一旦守りを整えることを優先されましたね」
「そうですね。このまま攻めても勝ち切ることはできないと思ったので」
箱石先生は早指しに強い。それは攻めが鋭いというだけではない。櫛木さんは竜帝で、このまま月影先生から王偉を奪って二冠になるかもしれない。そんな相手に長い手数で勝ち切った。
早指しだとついつい盤面の狭い所に目がいってしまうことがあるという。だが箱石先生が短期戦に強いのは、そういう時でも守るべきところはしっかり守る人だ。静香自身も早指しで盤面が見えなくなったことはないので、箱石先生と同じタイプなのかもしれない。
そして組み合わせで、今日勝った箱石先生の次の相手は静香になる。同じタイプどうしでの対局になる。
「箱石先生ありがとうございました。最後に今後なんですけど、箱石八段の次の相手はご存じのとおり私になります。私本人を前にしては言い辛いかもしれませんが今後の意気込みなどをお聞かせ頂ければと思います」
「そうですね」
箱石先生が言葉を選んでいるのがわかる。静香は急かさない。
「天道さんはいろんな意味で強いと思うので、精一杯自分の力を出し切れたらな、と考えています」
「いろんな」という言葉が少し気になるけれど、舞台の上で突っ込むべきことではないだろう。
「恐れ多いお言葉ありがとうございます。それではこれをもちまして本日の将棋チャンピオンシップを終了させて頂きます。本日見事勝利された箱石八段との握手会は会場のこちらから列を作って頂ければと思います。皆様大変ありがとうございました。子ども大会に参加されたみなさんは今後も将棋を楽しんで続けてくれると嬉しいです」
そう言って静香はその日のイベントを終えた。
一緒に参加した他の棋士と少し話をした後、控室に戻ると憔悴した様子の櫛木さんがいた。
「櫛木さん、お疲れ様。残念でしたね」
「そうですね。中盤で悪手を指して、最後まで取り戻せませんでした」
櫛木さんは今、王偉戦で月影先生に対し3勝1敗と追い込んでいる。持ち時間8時間で当然2日制しかも7番勝負。月影先生がこのまま簡単に押し切られるとは思わないが……
それでも櫛木さんは静香とは逆に長い時間を使う対局に強い正統派の棋士だ。そしてこのように棋戦が並行している場合、普通に考えて研究手はより重要なタイトル戦で使うだろう。
「まあ、勝つ時もあれば負ける時もある。いかに切り替えるかが大事じゃないかしら」
「それはそうですけど……今日は勝たないといけない一局だったし、勝てる一局だと思った」
おっと、櫛木さんは興奮しているせいか口調もいつもと違う。今はこの控室には静香と櫛木さんしかいないけれど、いつ他の関係者が入って来てもおかしくない。この話はあまり続けない方が良い、さっさと自分がこの部屋から出た方がいいだろうと静香は思った。
控室を出てから静香は考えた。さっきは櫛木さんに対して失礼な事を考えてしまった。櫛木さんは箱石先生相手に手を抜いたわけではない。目の前の一局に手を抜く人じゃない。ましてやファンの人たちと握手をするのに抵抗があるから手を抜くなんてはずがない。静香は改めて反省した。
多分今頃、箱石先生はファンの方たちと握手をしているのだろう。私は準決勝でファンの人たちと握手をできるだろうか?
静香は今日みたいに、他の対局にも司会者として参加する。自分が負けた後も司会を続けなければならない。それは嫌だな。できれば最後まで勝ち切りたい。もちろんそれは簡単な話ではない。
どんな棋戦でも強い人が勝ち進んでいく。この棋戦では櫛木さんより箱石先生の方が強い。それだけのことだ。箱石先生との準決勝まで2か月近くもあって、その間に静香は自分の対局が6局あり、今日のような司会を2局務めることになる。
ご無沙汰しております。久しぶりの投稿になります。
11月13日に確認したポイントは3,270。皆様に支えられてなんとか月イチ連載を続けられています。現状の生活では、連載を週間に戻すのはなかなか難しいです。次は12月19日の更新を目標にしています。よろしくお願いします。
⇒12月10日追記:すいません。コミケに参加することにしたので、急いで新作を書くことにしました。
連載再開は1月9日とさせてください。本当に申し訳ないです。