221.将棋チャンピオンシップ(4)
子ども大会は順調に進み、ついに準決勝を迎えた。
静香は久しぶりに司会の仕事をする。指導対局に結構時間を使ってしまったからだ。もっとも決勝戦以外は特に司会がいなくてもスタッフが進めてくれるのであまり問題はない。
実は静香自身はこの子ども大会には出たことがない。低学年の部には出れたかもしれないが他の大会に出たり親含めて都合が合わなかったりでエントリーしていない。奨励会に入ったのは小学校5年生の時だけど、大江九段の弟子になったのはそれよりも前なので高学年の部にも出ていない。
ここまでくると低学年の部でも相当強い子だけが残っている。先ほどまで開催していた指導対局で相手をした子たちを屠って勝ち上がってきたわけだから、数段レベルが上だろう。静香がその子たちの年齢だった時と同じぐらいだろうか? いや高学年だと奨励会に入ったので、静香の方が強かったかも? ただ今の若い子は全体的にレベルが上がっていると思うからどうだろう?
「それでは低学年・高学年、それぞれ準決勝を始めます」
お仕事はこのアナウンスをするぐらい。その後は準決勝を砂かぶりで見る特権を行使する。午前の部では特に時間を計測しない。ただ午前中に誰もが3局こなせるようにするため、他の対局より長い対局のみ、対局途中からチェスクロックが登場する。
一方、午後の決勝トーナメントは初めからチェスクロックが使われる。午前の部を勝ち抜くような子は大抵チェスクロックにも慣れているから問題はない。
ただ持ち時間は10分切れ負け(10分を使い切った時点で負け)と少ないのでどうしても将棋が荒くなる。静香は4局すべてを自分の脳内盤面で検討しながら見るが、もうちょっと時間があればいいのにと思う。でもワンデートーナメントだし、この後プロの対局もあるからこのレギュレーションは仕方がない。
ちなみにこの脳内将棋盤はプロ棋士ならみんな持ってるものだと小さな頃は思っていたけど、御厨先生は違うらしいという記事を奨励会に入る前に読んだことがある。他にも違う人がいるのだろうか? 御厨先生は今もそうなのか? どちらも静香は知らない。
静香は同時に進む4局を頭の中で再現しつつ、どんどん勝手に枝分かれさせていく。4面あった将棋盤は途中からどんどん増えて、30面を超えるが、そのあたりからどちらかがダメになった局面の盤が消されたり、そこに到るまでの途中からリスタートしたりする。
その一方で子どもたちの局面も次々に変る。プロの棋戦では絶対に出てこない局面が登場するので、静香の教材は次々に増える。静香の脳内盤面が40面に達した辺りで終局する対局があった。まだ双方とも持ち時間は余っているはずなので見落としがあったのかもしれない。持ち時間10分だから仕方がないことだ。
「ここの局面が山場だったと思います。ここで同歩だったわけですが、今ならどう指しますか?」
「えっと……2二角成?」
ここで角交換は遅すぎるし早すぎる。でも静香は両方の指し手についてそれぞれ気になったところを指摘していく。
「じゃあちょっと指してみましょうか。2二角成だとどうしてた?」
「もちろん同銀です」
「その後は?」
「えっと……やはり9五歩です」
それだと角交換を先にした意味は?、などとはもちろん聞かない。低学年の子、しかもついさっき負けたばかりの子なのに、感情的にもならず、物腰も随分丁寧だと思う。
「どう思いますか?」
「すいません。角交換の前に戻してもいいですか?」
「いいですか?」
静香は勝った子に聞いた。静香の脳内将棋盤はもう20を下回ったがまだ動いている。
「はい、もちろんです」
だが、どうやら他の対局も終わったようだ。
「じゃあ後数分考えたらそこで終わりにしましょう。おふたりともお疲れ様でした」
そして勝った子の方にはもう一言かける。
「決勝戦、楽しみにしています」
そういって静香は礼をして他の準決勝の終局した盤面を見に行く。ああ、あれからこのように変化したのか。静香の脳内には無い終局図だ。だが最後に見た盤面からここに到るまでの手順は読み取れた。
静香の中の将棋盤がまた増え始めた。
「おふたりともお疲れ様でした。少し局面を戻しますね」
そう言って静香は42手目を指す局面に盤面を戻した。
4つの準決勝がすべて終局したので後は決勝戦のみだ。決勝戦では低学年部門も、高学年部門もどちらも滝山呉服店様の着物に着替えてその後プロも使う舞台で、将棋盤で対局する。読み上げもするし、大盤解説まで付く。そこに上がれるのは多くの応募者の中を勝ち抜いてきた4人だけだ。
ここでしばらく用意に時間がかかるので、ここは静香の出番。例年はこんな事はしないのだけれどもこれも含めて仕事だ。
「会場のみなさま、この後決勝戦が行われます。4人のファイナリストの準備のため少々お待ちくださいませ。それまでの短い時間ではありますが、僭越ながら私、天道静香がライブをさせて頂こうと思います」
どの会場でもそうだけど、ここで一番大きな拍手を浴びるのは本意ではない。歌うのもギターを弾くのも千夜ではなくて静香だから、静香の好きに歌う。ここは札幌だからまずは北海道を舞台にした、有名な演歌から始めることにした。