220.将棋チャンピオンシップ(3)
午後になると子ども大会は午前とは別の様相を見せる。午前のリーグ戦を勝ち残った子だけがトーナメントに進めるからだ。そして負けた子のために様々なイベントが開催される。
例えばプロや奨励会員との対戦がそうだ。多面指しとはいえ、当然プロとの対局を希望する子どもは多いし、女流棋士も人気だ。そして奨励会員の場合も多面指しだけど、子どもだけではなくその親とも指してくれる。
また別の場所では詰将棋の問題などを解くコーナーなどもある。
今回参加しているプロ棋士は、御厨先生が台頭するまで将棋界を背負っていた実績のある大先生方と、あとは20代の先生たちが多い。人気も将来性もある俊英と言っていい。それでも希望する対戦相手としては圧倒的に静香が多かった。
これでも芸能人なのでそれはそうだろうと思う。特定の棋士に思い入れを持った子はいるけれど、それ以外はだいたい静香の名前を書いている。実際これまでの会場でもそうだった。当然静香自身の対局がある日は出ないけれど。
「天道さんは人気ですよね」
朗らかに大先生がおっしゃるので、静香は頭を掻く。
「私は完全に人気商売である芸能界にいますので……」
将棋も人気があるに越したことはない。だがもし神様が人気か実力のどちらか欲しい方をあげる、と聞いてくれたなら、棋士全員が実力だと答えると思う。静香に限れば微妙だけど、やっぱり実力かな。
芸能人であれば実力、演技とか歌唱力とか、よりも人気が欲しいという人の方が多いんじゃないかな? いくら実力があっても人気が無ければ食べていけないから仕方がないよね。
こうして静香たちの指導対局が始まった。相手は全員が小学生で6面指しだ。静香に限らないけれど先生方はみなノータイムで指し続ける。本来の実力差なら、8枚落ちでも、将棋が好きでも、小学生相手なら蹂躙できてしまう。しかもこの子たちは午前で負けた子だ。
だがもちろんそんな事はしない。この子達には将棋をもっと好きになってもらいたい。平手でもそれなりの勝負に見えるような接待、もとい指導将棋が求められている。
中にはこういうのが不得意な棋士もいる。子ども相手が苦手な棋士もいる。だが静香はどちらも得意だ。格下と指すのは白銀戦のD級などの経験が活きている。いやそんな言い方は失礼か。D級の子でもこの子たち相手なら8枚落ちでも楽勝だと思う。
そしてこのチャンピオンシップが始まってから、司会の静香は対局日を除けば皆勤だ。この夏、静香は棋士の中で、一番多くの子どもたちと盤面を挟んできた。その甲斐があって、少しづつ上手くなってきていると思う
とにかく今日も静香は一番多くの子どもたちと指す。指し続ける。指導将棋だから全力は出さないけど、相手に考えさせるような手を指す。今、銀を上げないとこちらの角があっさり成れちゃうよ? 今その駒台の角を打てば王手飛車だよ? おっ、この子はちゃんと急所に打ち込んできたから逃げるね? この王手はまだ逃げれるよ?
この指導対局は静香が相手に合わせることが出来なければ成立しない。静香の指す一手一手は相手のレベルにあった設問を出しつづけなければならない。これは最善手や次善手を指すよりも難しいことだ。そして必然的に一局が長くなる。だが普及のためだから絶対に必要なことだ。
中にはちゃんと静香と将棋で会話できる子もいる。残念だけど午前中にもっと強い子と当たっちゃったんだろうな。そういう子には静香はより真剣に良問を探す。この子にもっと強くなってもらうために。もっと将棋を好きになってもらうために。
相手が工夫しているようであれば、静香はそれを真っ向から受け止める。相手が隙を見せればそこを咎めるけれど、一気に対局を終わらせるようなことはしない。
「ありがとうございました」
多面指しの一局が終わると挨拶をする。静香は駒を並び替えて、その一局で最も重要だったと思う場面を再現する。もちろん他の盤面は終わっていないので、静香は問題を出し続ける。
「この時、あなたはここで同銀と指したけれど、他に何か手が無かった? どう思う?」
「えっと、やっぱりここに成桂がいると怖いです」
こう言った会話をしながら、他の盤面でも出題を続ける。その子にできるだけあった問題を。
「そうだね。でも盤面を広く見てみようよ。何かないかな?」
おっと、こちらの盤もこのままだと終わってしまいそうだからちょっと時間稼ぎの問題を出す。
「えっと」
「うん」
「ここに角を打てば良かったかも」
「うん。そうすれば王手だね。王がこう逃げたら?」
「えっと角成だと続かない……」
「じゃあ?」
そろそろこちらの盤の時間稼ぎができなくなってしまう。
「そうだここに香を打てばいいんだ」
「そうだね。そうしたらこちらはこう逃げるしかないから、その後で成桂を払えばよかったね。じゃあまたがんばって」
「はい。ありがとうございまいした」
「ありがとうございました」
そう言いながら、静香は次に終わらせる盤の三手詰を指した。