219.将棋チャンピオンシップ(2)
今日は運営側に徹することができるので、司会も対局もある時に比べるとまだ楽。着ている服からして白がベースのTシャツと濃紺の膝丈のスカートというラフな格好だ。ラフだけど、これもルイッチのデザイナーよるオーダーメイドなのでお値段はプライスレスです。
対局者は和服だし他の棋士たちはもちろん、動員されている奨励会員までちゃんとしたスーツ姿なのに、静香ひとりだけこんなにラフで良いのかという気もするが当然ながら関係者と調整済。夏休みらしさを演出しているのだという。
「本日の司会を務めさせて頂きます天道です。みなさんおはようございます」
「「おはようございます」」
舞台の上から呼びかけると、小学生たちの可愛い返事が会場から帰って来る。
「北海道だともう夏休みも終わりが近いと聞きましたが、宿題は終わってますか?」
「はーい」
「あれ、さっきよりも声が小さいですよ?」
「「はーい」」
よしよし素直な小学生たちだ。
「今日はいっぱい将棋を指して帰ってくださいね。一緒にいらした方も、プロや奨励会員に挑戦するコーナーや、詰将棋大会もありますので存分に楽しんでください。プロ棋士との対局は抽選になります。もちろん私も皆さんの挑戦をお待ちしてます」
そう言うと会場から大きなどよめきが沸いた。今日は自分の対局が無いからサービスする。
それ以外にミニコンサートもする可能性もそこそこの可能性である。子ども大会の決勝戦はその後に行われるプロの対局のように、和服(滝山呉服店様が無料でレンタルしていただける)に着替えて対局する。その後のプロの対局の準備に時間がかかる場合もある。そう言った間を持たせるのも司会者である静香のお仕事だ。
「それではみなさん、もう最初の対局の席には座ってますね?」
「「はーい」」
うん。この子たちの何人かはプロになるかもしれない。静香は日本全国を練り歩いているので、遅かれ速かれ、天道静香が司会を務めたこども大会に出た子がプロになる時が来るはずだ。それはとても嬉しいことだ。
「それでは対局を開始してください」
そしてホール内のそこら中からお願いしますの声が聞こえ、対局が始まった。
これらは半分ぐらい静香ではなく千夜がやるべき仕事が含まれているような気もするがそれはそれ。別に静香は二重人格ではなくて、千夜は芸名。仕事の時の名前に過ぎない。もちろん既に愛着を持っているので、いまさら芸名を変えようとは思わない。
落語家とか歌舞伎役者がよく襲名して別の名前になったりするけど、静香には無理だと思う。もし静香が舞鶴千夜の名を失ったら、もう芸能の世界にはいないだろう、と思う。
いやそんな事を考えている場合ではない。静香はホールに降り立つと子どもたちの将棋を見て回った。親ですらロープの中には入れない、子どもたちの戦いの場。この中に入っているのは、スタッフ以外は静香だけ。ああ、私もスタッフだった。
子どもたちの将棋は早い。手前から ▲4五歩、▲2六飛、△3二玉、▲2二角成、△5五歩、△4五銀、▲3七桂、静香は一目見てみてそう判断するが、静香ですら盤面を一目見て次の手を思い浮かべるのが8番目の盤は間に合わなかった。△5二飛かあ。
静香は他のスタッフの邪魔にならないように、歩みを止めずに左右の対局を見て、その時点での最善手を考えたり、次に指される手を考えたりしながら歩く。もちろん当たる場合も外れる場合もある。
そうやって通路を歩いていると、ちょうど静香が通り過ぎようとする時にちょっと入ったところの子が手を上げた。静香がそちらを見た。二歩だ。何が起きたかはすぐにわかったけれど、手を上げた子に何があったのかを聞くのが手順だ。
「何かありました?」
「えっ、えっと、その」
「落ち着いて、はい深呼吸して」
手を上げた女の子は素直に静香の言う通りに素直に深呼吸してしゃべりだす。
「さっき、あたしがここで王手をかけたんですけど、歩で合い駒されて……」
「はい。それで?」
「二歩になりました」
身長は周りの男の子より高いけどここにいるってことはこの子はまだ低学年だ。最近の子はしっかりしてるな。
「そうみたいですね。対戦しているあなたはどう? 今のであってる?」
「はい」
男の子も素直にうなずいた。心なしか少し震えている気がする。
「二歩はプロでも一番多い反則なのよね。こんな風に敵陣に打ち込んだ後に攻められて、合い駒しちゃうのはたまにあるのよね。どんまい。また次の一局で取り返そうか」
「はい」
「じゃあ二人ともあそこに報告しに行って」
「はい」
男の子の顔色も戻っていたから、これで将棋を辞めるなんてことはないと思う。ふたりともこのまま将棋を好きなままで続けて欲しい。
静香はその後も頭の中でいろいろ考えながら子どもたちの将棋を見まもった。あっ、そこは13手詰めを逃した。初手9四歩。あそこはお互い守り合って全然進んでないな。こちらは居飛穴か。あの子は適当に指してる感じなのに結構いい勝負してる。ああ、でもそれは適当すぎ。こっちは桂馬を動かして角が効いている空き王手か。気が付くかな? ああ無理かぁ。
午前中、静香は頭の中でいろいろ考えながら、子どもたちの将棋を見て回った。