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みんなで私の背中を推して  作者: 多手ててと
後編:大学生編
215/285

215.モデルチェンジ(1)

「海老沢先生、ご無沙汰しております」


「天道さんが出てるドラマは毎週見てるで。今日はお手柔らかに頼むわな」


今日は棋奥戦挑戦者決定トーナメント3回戦。今日の静香の相手は海老沢鋭王。タイトルホルダーだから当たり前だけど、かなりの強敵だ。


「今日はちょっと普段の対局よりええ服着てるなあ。よう似合におてるわ」


「ありがとうございます」


静香は普段の対局では通学でも愛用している兄のお下がりを使う。タイトル戦であれば、和装も含めて時には派手に着飾ったりする。


だが今日は大人で言えばビジネスカジュアルのような、シンプルでカジュアルとフォーマルの中間ぐらいの服装。だが女優としての存在感に、シンプルだがルイッチの職人がオーダーメイドで仕上げた服装がばっちり合っていて人目を引く。


せっかく大阪の将棋会館まで来たので、対局が終わったら勝っても負けても着替えて何か食べて帰りたいと静香は思っている。明日から大学の試験が始まるけれど、一通りの復習はすませている。


振駒の結果は後手。静香は後手番の勝率も高いけれど、これほどの強敵相手に後手番は辛い。持ち時間は4時間、タイトル戦の挑戦者決定トーナメントとしては長くはないが、静香的には長い。しかもチェスクロック方式ではなくてストップウォッチ方式、つまり1分以下は切り捨てなのも辛い。予選だとチェスクロック方式なのにね。


つまりただでさえ不利なのがより不利になった。でも振駒は公平なので文句を言っても始まらない。ところで今日の戦略をどうしよう? 静香が迷っているのは戦型ではなくて戦略。だがそんな静香の内心を読み取ったのか、海老沢先生が話しかけて来る。


海老沢先生は対局が始まってからは無言だが、対局開始前はそれなりに饒舌だ。静香の他の仕事についても聞いて来るし、ご自分のお子さんの話などもされる。静香は一応トークのプロでもあるので、それらに対して的確に対応する。


「それでステージに立ったのですが、そこで大雨になりまして」


「野外やったら、まあしゃあないな。将棋はほぼ屋内やから天候はそれほど問題にはならへんな」


プロが屋外で指す将棋と言えば人間将棋ぐらいだろうか? 静香がグラスバレーフェスの話をしている時に、係の人から声がかかる。


「両先生、そろそろご準備をお願いします」


「わかりました」


静香はこの対局前の厳かな雰囲気が好きだ。空気が張り詰めている感じがする。この条件だと相手の方が強いが、決して勝てない相手というわけでもない。ただ戦略をまだ決めていない。


静香はつい先日竜帝戦本戦3回戦で国分九段に負けた。原因はいろいろあるが、そのひとつにこれまでと戦略を変えたことも敗因のひとつだ。


「始めてください」


その声にうなずいて海老沢先生が飛車先の歩を突く。静香もノータイムで同様に飛車先の歩を突いた。静香の予想では先手は飛車先をさらに突いて来ると思っていたが、相手が角道を開けた。


相掛かりだと思っていたのに角換わりの可能性が出て来た。最近、海老沢先生は角換わりをあまり指してないような気がする。これに勝てばベスト4、ベスト4以上なら負けても敗者復活にまわることができるし、来シーズンは3回戦からのシードになる。この後、海老沢先生の研究手が来るのかもしれない。


静香が飛車先をさらに突くと、角を一段上げて対応された。


▲7六歩△8四歩▲2六歩△8五歩▲7七角 ここは無難に△3四歩以下角道を塞いだりしつつも基本的には角をいつ交換するかという様相となった。


プロになる前から、静香の基本的な戦い方は攻め将棋で極端な早指しだ。このスタイルは対局時間が長くても短くても基本的に変わらなかった。


だが先日の国分先生との一局では、所々で手を止めた。長考はしなかったが、これまでのように最後までリズムよく指すことはせず、所々で手を止めて考えた。考えた上で自分が正しいと思う手を指した。だが勝てなかった。


今までの指し方でも持ち時間の短い棋戦であれば誰が相手でも勝てる。静香にはその自信がある。だが、持ち時間の長い棋戦になるとトップクラスの棋士には勝てない、とは言わないが分が悪い。


何故なら静香の直感は必ずしも最適解ではない。ここのところ時間を見つけてやっている自分対自分の対局で、よくわかって来たことだ。直感だけで静香が思う最適解を互いに指し続けていた場合でも、そのうちにどこかのタイミングでどちらかに形勢が大きく偏ってくる。


それはおかしい。本来ならばまったく互角が続くことはないにせよ、徐々に形成が悪くなることはあっても、いきなり形勢が大きく変わることはないはずだ。それはつまり静香の直感の精度が、これまで思っていたよりも低いことを意味する。


将棋は相手があるものだから、静香がミスしても相手の方が大きなミスをすれば勝てる。だがこのレベルの人が相手で時間がある場合、大きなミスは期待できない。静香のミスを最小限に抑えながら、相手のちょっとした隙間を狙っていくしかない。それはこれまでのやり方では難しい。


だから先日の国分先生の時に新しい指し方をしたのだが一長一短あることがわかった。長い時間考えた方が全体的に良い手が指せる。だがそれは静香の体力を削るし、相手に考える時間を与えてしまう。実際国分先生に負けてしまった。

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