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みんなで私の背中を推して  作者: 多手ててと
後編:大学生編
212/284

212.ヘッドライナー(20)

その間チヨは舞台の一番前まで出て去り行く聴衆に手を振り続けていた。だが、そのまま残る聴衆も多かったので、チヨがライブの一時中断を呼びかけた。その言葉に従って帰った聴衆も多い。


さらには運営からフェスの終了を告げられると帰る人がさらに多くなった。


「せっかくイングランドまで来たのに残念。でもほぼ2日楽しめたから良かったわ」


「公式が終わると言った以上仕方がない。野外フェスは安全に楽しまないとね」


「こんな時期にこんな嵐がくるなんて、これも気候変動とやらのせいなのかい?」


これは私に聞かれても困る。ただ残念なことに豪雨と暴風はとどまる様子を見せないので、まだ残っている聴衆たちが心配になった。


そのうちチヨは自分が手を振っていることが問題だと思ったのだろう。残った聴衆に何か呼びかけた後、手を振って舞台から去った。私には残念ながら風雨で聞こえなかったが、危ないから帰って欲しいという旨のことを告げたと聞いた。


ともかくこれで私もお役御免になったので、魔法のIDを使ってバックヤードに急いで戻った。ライブを終えたチヨを撮りたかったからだ。だが、私は風雨と重いカメラのせいで、やぐらから降りることも、また泥だらけになった農地を歩くのにも苦労をしたので。楽屋に戻るまで随分と時間を使ってしまった。私が着いた時には、既に着替え終わったチヨがそのマネージャーと日本語で話し合っていた。


私が周囲に聞くと、どうやら以下のようなやり取りがあったらしい。


・チヨは自分が舞台を降りた後、しばらくしてもお客さんが残っているのならまだライブを続けると言っているということ。


・運営はチヨ、この場合チヨ本人だけでなく私たちチーム全員を意味する、の責任でならライブを行ってもよいと言っている。


私が責任者ならそんなリスクしか負わないライブは即座に中止にする。だがチヨはかたくなだった。


チヨはこの長いブレイクにも関わらず残っている客がいるのならライブを続けることに決めた。だが客席はもう危ないので残っている客を舞台にあげて、残っている聴衆にアコースティックギターの生音と、自分の肉声を聞かせて、それで帰ってもらうことにするのだと。そう言いながら雨の犠牲になるギターを選んだ。


だがチヨが舞台を去ってから、なんやかんやで20分以上時間が経っている。元々のライブの時間ももう終わっている。この状況で残っている聴衆がいるだろうか?


それがいた。80人ぐらいのあきらめの悪い熱狂的なファンがまだ風雨が荒れ狂う「カップケーキ」の最前列に残っていた。スタッフは避難のためだと言って彼らを舞台に誘導した。舞台は広いので彼らが座るスペースはある。そして屋根はこれでも半分ぐらいの雨は防いでくれるだろう。


私はレインウェアの中にピンマイクをつけて、舞台に上がって来た聴衆の写真を撮ってインタビューをする。彼らの外見は音楽フェスの聴衆というよりも、避難者という言葉がより相応しいだろう。


――ひどい雨ですね――


「グラスバレーでこんな目にあったのは初めてね。でもなぜか今は凄く興奮しているの。まだアドレナリンが出ていると思うの」


「明日になったら風邪をひいてすごく後悔すると思うんだけど、今はハッピーだね。風邪が治ったら俺は『カップケーキ』の舞台に登ったんだと自慢することにする」


何人かに声をかけているうちに私はこの集団の中に知り合いを見つけた。ミオとジュン、チヨと一緒に日本から来た友人だ。このふたりに


――みなさんライブ、いやフェスが終わったことはご存じですよね――


「もちろん知ってる。でもフェスに来てやることなんか他にないだろ? チヨのライブを見たらあとはキャンプで寝るだけだ。だったら少しでもフェスに酔っていたい」


「俺のキャンプ、大丈夫かな。こんなことなるとは思ってなかったから、そんなにきっちり固定してない気がする」


「今から戻っても遅いわよ。それより『カップケーキ』のステージに登れたことを楽しみましょう。そうね、みんなで歌を歌わない?」


私はその発言者がジュンであることを確認した。もしかしたらジュンには確信があるのかもしれない。


聴衆たちはチヨが舞台へと出てこようとしていることを知らない。当然ジュンも。それなのに彼女は皆で歌を歌おうと呼びかけた。


その呼びかけに応じるように他の誰かもそれがいい、何の曲が良いかな、などと言い始めた。彼らは歌を歌おうとしている。当然彼らは多分チヨの曲を選ぶに違いないという確信が私にはあった。


「今日チヨはまだ『Impossible by majority vote』を歌ってないよね」


私から離れた誰かがそれを言った。そして彼らは歌い始めた。それは嵐にも負けない歌に私には聞こえた。私がレインコートの下につけていたピンマイクは生きているだろうか。彼らの歌声がチヨに届いているだろうか。


「Impossible by majority vote」の1番が終わった直後、そのまま流れるように舞台袖からアコースティックギターの音が響きだした。私の周囲の人々が狂ったように拍手をする。チヨは肩にかけたギターで間奏を引きながら避難民たちの中に入った。人々は彼女から一定間隔をあけて、その周囲を囲みだした。そしてチヨが2番を歌い始める。


そこから先について私が書けるのは、音楽は素晴らしいというありきたりな言葉だけだ。

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