195.ヘッドライナー(3)
お前が言うなと言われそうだけど、そう簡単に大学をサボる決断をしてもよいものだろうか? まだ日程の話はしていないし、詳しくは知らないけど、純子も美桜もイギリスは初めてではないはず。
「それって噂のプライベートジェットで行くの?」
ああ、なるほど。確かに普通の人は乗ったことはないだろうからな。
「うん。正確には私のじゃなくて借りものだからビジネスジェットだけど」
今回もスポンサーである菱井物産様……の子会社様による提供だから、千夜はもちろん鎌プロの懐も痛まない。
「じゃあまず日程の話をするから、それを聞いてもう一度考えておいて。あとご両親の許可も取ってよね。私はその後、事務所にお願いしてみる。以前、家族とか友達とか連れて行かないの、って聞かれているから大丈夫とは思うけど」
静香は千夜のイギリス旅行(お仕事)について説明する。
「だから、いろんな人の許可が必要だけど……フリーの一日に何をしたいのかを考えておいてよ」
純子と美桜がうなずく。
「わかった。ウチのパパもママに聞いたら是非いってらっしゃい、というと思うけど、一応確認しておくわ」
「私の家も大丈夫だと思うけど一応ね」
6月のフェスに、純子と美桜が来てくれるのはとても嬉しいけれど、当然ながらそれまでにするべきことが山積みだ。
まずは将棋編。新年度の第一局は例年同様プレーン化粧品がスポンサーである女子オープンで幕を開く。静香が初めて獲ったタイトルであり、思い入れも一番ある。今年の相手は大沼女流四段。元奨励会三段という経歴だからなのか、比較的振り飛車が多い女流の中で、ほぼ居飛車しか指さない。今日も案の定居飛車で、戦型は角換わりで始まった。
形勢はかなり静香に傾いている。持ち時間に到っては静香は15分も使っていないが、大沼先生はもうこの1手に30分程使っていて、残り時間は10分を切っている。チェスクロックを使っているからまだ秒読みは無い。
普通に指すなら玉の周りを固めるだろうけど、これだけ考えるとなると逆転の一手を狙っているのかもしれない。大沼先生の駒台には銀と桂馬があるけど、大駒の利きが悪く橋頭堡が無いので、このままでは無理攻めしかできないはずだ。だからまだ攻めて来ないだろう。まだまだ準備が必要なはず。だから手番が静香に戻って来ると思う。
結局残り5分まで考えた大沼先生は虎の子の銀を打って自分の玉を固めた。大沼先生がこの時何を考えていたのか、静香にはわからない。静香にできるのは、今打たれた銀の影響力を減らすかであって、その方法は既に考えていた。
静香は自陣に香を打って銀を狙う。歩か切れているから桂馬を合駒に使うか、逃げるか、あるいは別のところで駒をぶつける必要がある。桂香交換してさらに相手の銀を動かせるならそれでいいし、逃げられたら地味に歩を打ってと金を作ることを匂わせればいい。別の所の駒が動いたならそれを無視して銀を取って成香で王手をかける。
大沼先生はノータイムで銀の頭に桂を置いて来た。静香もノータイムで同香、それから同銀、同馬と大駒を切って行く。同玉だと玉の周りは無防備になるので入玉を狙ってくるだろうけど、阻むのはそう難しくないと思う。
玉が引いた場合、金が2枚がいるから少し時間はかかるけれど、この位置の馬と駒台に並んだ飛車、銀2枚、桂、そして数枚の歩を使えばじりじりと追いつめることができるだろう。大沼先生は10秒ほど考えて玉を引いた。
これで手番が回って来たので、まずは歩を使って相手の金を引き剝がそう。もし大沼先生が獲らないならと金を作ることができる。静香はその後も淡々と指して大沼先生を投了させた。
なんにせよ今期に入って最初の対局で1勝できたというのは大きい。この週末には玉将戦の1次予選決勝があるし、その後も大事な対局が控えている。そして今期、静香が初めて参加する棋戦もある。それは将棋チャンピオンシップ。
将棋チャンピオンシップは前回優勝者とタイトルホルダー、そして昨年度の賞金額が多い棋士、合わせて12人しか出場することしかできないので、これはとても名誉なことだ。静香の場合、星雲戦、公共放送杯、夕陽杯で優勝しているのが大きい。
そして一番の特徴はすべての対局が公開対局であること。つまり持ち時間が短い。持ち時間は公共放送杯と同じ10分、考慮時間も1分が5回しかない。秒読みも30秒だから、公式戦の中では最も時間が短い。つまり静香に有利な棋戦だ。初参加だから当然シードではないけれど、自分はやれるという自信があった。
そして芸能のお仕事、今年は事務所の方針でドラマへの出演が多い。鎌プロは元々大きな事務所だし、有望な新人が毎年入って来る。そういった金の卵に仕事を回すのも、今や名実ともに事務所の看板女優である静香の仕事だ。
そして音楽。今年も複数枚のアルバムを出す。その中には静香の書いた曲も入るはずだ。