19.一斉予選
会場に入ると控室の一角に本戦シードの女流棋士会長が他の先生方といらっしゃったので、挨拶をする。
「岩城先生、宮之浦先生、石鎚先生、おはようございます。今日はよろしくお願い致します。岩城先生、先日はありがとうございました」
岩城女流五段は先日、千夜がナビゲータ役を務めた女王に挑戦して敗れている。
「こちらこそ今日はよろしくね、天道さん。いや舞鶴さんね」
「どちらでも構わないですよ」
そこに今日の解説に入るのだろう。奨励会幹事もしている石鎚先生が話しかけてきた。
「いつもの恰好だから天道さんにしか見えないけど、本当に舞鶴さんなんだよね?」
「そうですよ?」
静香は伊達メガネを外し。手際よく三つ編みを解き、手櫛で軽く髪を整える。
「この後お化粧したり髪を整えないと千夜にはなれないですね。まだ半分ぐらい天道ですよね?」
そう言って営業用の笑みを浮かべた。なれないです、と言いながら、話し方も声の高さも既に千夜のものにしている。
「いや、あかんわ。眼鏡と三つ編みだけで全然別人やわ。もうドラマで見る舞鶴千夜ちゃんにしか見えへんわ」
本日初対面の宮之浦先生は、岩城会長と同じく本選シードで今日は解説だ。彼女がおちゃらけた関西風のおばちゃん言葉で話す。たしか三十路に入ったばかりのはずだが、失礼ながら見た目も貫禄がある。
「本当にね。既に全部が舞鶴千夜さんになっているわ。どうしてそこまで印象が変わるのかしら?」
岩城先生も同じ感想を返す。表情も違いますから、とまでは千夜は答えなかった。
この3人の中で唯一の男性である石鎚先生は呆けたように口を開いてこちらを見ていた。芸能活動を始めてから、静香は奨励会の終礼に参加できないことも多いので、奨励会幹事の石鎚六段には非常によくお世話になっている。そのいつもの石鎚六段とは別人のようだ。
「石鎚先生?」
「あかんわ、固まってはるわ、この人」
「この3人の中で一番よく会っているはずなのにねえ」
千夜は大げさですね、と少し笑って、用意をしてきますと先生方に告げて自分の控室に向かった。
大ホールの照明が落とされ、舞台の一角にだけスポットライトがあてられる。そこに舞鶴千夜が現れただけで、観客から一斉に拍手が浴びせられる。
カメラマンたちのフラッシュが炊かれ、テレビ用のビデオカメラが回る。
「おはようございます! 舞鶴千夜です。ご観覧の皆さま、今日は朝早くから会場にお越し頂き大変ありがとうございます!」
大ホールに拍手が満ちる。でも臆することはなにもない。ライブや芝居の経験が千夜を守ってくれる。
「本日はプレーン化粧品、および日本将棋連盟が主催致します『プレーン女子オープン』、その一斉予選を開催いたします。それではまずプレーン化粧品、代表取締役社長、長良川利久より皆さまにご挨拶をさせて頂きます」
当初予定では、プレーン化粧品からは広報部長が挨拶をする予定だったが、「注目度の高さから私が来させてもらった」と、先ほど控室の挨拶周りをした時に社長ご本人からそう伺った。この大会に参加する前から、千夜はプレーン化粧品のキャンペーンガールでもあるため、関わり合いは今後も深めておきたい。
だから控室で千夜は精一杯の営業スマイルと営業トークを展開した。長良川社長は苦労人なのか見た目は随分老けて見えるけれど、人当たりも良いし、冗談もさらっと嫌味なく言えるし、社長としての評価も高いと聞いている。
『舞鶴さんには、是非うちのタイトルを取って欲しいな。そうすればまた別のキャンペーンができるんじゃないかと、うちの広報とも話をしているんだよ』
しかも、他のイベントも是非一緒にやりたいと、随分千夜に好意的だった。
「続きまして、日本将棋連盟、女流棋士会長の岩城桔梗よりみなさまにご挨拶をさせて頂きます」
天道静香と舞鶴千夜は同一人物だが役割が違う。そして舞鶴千夜にもいろんな役割がある。司会としての千夜は主催者のひとり。ナビゲーターとしての千夜は広報のひとり。そして選手としての千夜は参加者のひとりとなる。
会長の次には現在タイトルホルダーの向田女王からも挨拶をしてもらう。例年はここまではしないらしい。先ほどの社長の話ではないが、注目度が上がると、予算も出るし手順も増える。そして司会者としての千夜の役割が終わると次はナビゲーターとしての千夜の番だ。
「ではこれから今日の内容を改めて説明させて頂きます」
改めて、というのはパンフに書いてある内容だからだ。
「この後15分後ぐらいに、このホールに選手たちが入場し、このホールで対局が始まります。ホールを出て、目の前のエレベーターで降りて頂くとすぐに大盤解説室がありまして、そこで各先生方に解説して頂きます」
ここでちょっと微笑んで千夜は間を取る。
「各先生方の解説時間はホールにも、廊下にもスケジュール表が貼ってありますので、ご確認いただければと思います。また物販も同じく下のフロアです。私のCDも特別に置かせて頂いているので是非おとりになってください。また『プレーン女子オープン』名物の対局スポンサーの申し込みについても物販の反対側のブースになります」
千夜は手際良く説明していく。
「そして昼休み、2回戦の開始前には、僭越ですが私、舞鶴千夜のミニコンサートも開催させて頂きます」
拍手とざわめきがおきる。
「それでは選手の皆さまの入場です。皆さま拍手でお出迎えください」
千夜の宣言と同時にホールの照明が落とされ、音楽が鳴り始め、その序章が終わると扉が開き、そこからスポットライトを浴びた本日の対局者たちが入場してくる。千夜以外の参加棋士全員が入場したところでホール全体が再び明るくなる。
「それでは各ブロック第1試合の方は所定の対局席についてください。あと10分で第1試合の開始となりますので、それまでに振駒で先手後手を決めておいてください。対局スポンサーにご応募の方は速やかにスポンサーブースにお越しください。本日は皆さまよろしくお願い致します」
この後配信では、朝に撮ったVTRが流される。先ほどの挨拶とは別に、前もって千夜が向田女王に聞いたインタビュー、早めに来た有力選手たちのインタビューVTRが流される。その間千夜は事務局メンバーと打ち合わせをする。
「それでは定刻になりました。対局スポンサーブースが混みあっておりますが、今並んで頂いている方まで受け付け致します。それでは対局の開始をお願いします」
こうして千夜の仕事の一つが終わった。次千夜が出るのは昼の余興。それから2回の対局。これらは奨励会二段としても、このキャンペーンの成功のためにも絶対に勝たなければいけない。