171.日本歌勝負(10)
番組は台本通りにどんどん進んで行く。一度セットが出るのが遅れたのでその時マイクを持っていた千夜がアドリブで繋ぐところがあったけれど、他には特にトラブルが起きることもなく、失った時間も既にリカバー済で、長かったこの番組もそろそろ終盤に入りかけた。
つまり千夜の番が近づいてきてるってことだ。
千夜は誰でも知っている演歌のイントロにあわせてその歌手と、その周囲を踊るダンサーたちを紹介すると自分の控室に戻る。
途中でテレビカメラがあったので、顔を近づけた。
「休憩してきます」
そう言って千夜は休憩というかまたお色直しに入る。最初はドレス、そこから和服、最後はカジュアルな衣装。なんか順番が逆のような気もする。なお、これも見た目はカジュアルだけど、ちゃんとルイッチ様が誂えてくれた一品ものだ。日本髪も解かれて元のストレートに伸ばしてもらう。その座ったまま身動き取れない間、明石さんが一口サイズに切ったバナナを口に入れてくれる。
そして少し離れたところでは大久保さんが千夜のギターの調弦をしてくれている。普段は千夜自身がやるが、今日は間に合わないので人任せ。今夜は大晦日なのに、大久保さんはこのためにだけここに来てくれた。
今度は明石さんはミネラルウォーターをストローで飲ませてくれる。まあ身動き取れないから仕方がないのだけど、静香はわがままな女王様気分を味わう。
千夜はここにいる出場者の誰よりも芸歴が短いけれど司会者特権でこのように控室が個室だ。だから短時間とは言えこうやってだらけていられる。……いやアイドルグループの中には芸歴の短い人もいるような気もする。
今回は和服に着替えた時よりも休憩時間が短いから千夜の周囲も忙しい。着替え終わり髪を整え、普段はあまり付けないアクセサリーを付けると、調弦してもらったRR-86で、6弦すべて開放弦のまま右手で一かきして音を鳴らす。これはコードで言うとEm11ってことになるのかな?
「大久保さんバッチリです」
当たり前のことかもしれないけれど、きっちり調弦されている。千夜はある程度自分でアコギやアコベを触れるようになると、他の人に調弦してもらった後に、なぜだか違和感を感じる事が多い。
まあライブとかで人に渡された後だったりするとそのまま弾くし、奏でているうちに違和感もなくなるのだけれど。
だが、今日はそのようなこともない。落ち着いて舞台に上がることができそうだ。千夜の準備が終わると待ち構えていたスタッフが千夜をアテンドする。経路の途中に神棚があり、そこで祈願するのが恒例となっているそうなので、千夜は自分の出番と司会として番組がちゃんと終わることも神頼みしておく。
後は舞台で自分の持ち歌を好きに思いっきり弾き語りするわけだけど、むしろ自分の番が終わった後の方が人と合わせないといけない上に練習不足かもしれない。
そしてもうひとつの問題は、今日はここまでの司会でそれなりに喉を使っていることだ。あんまり調子に乗り過ぎて最初から飛ばし過ぎないようにしないといけない。
そろそろ白組の歌手の曲が終わる。彼らが退場すれば千夜の出番だ。スタッフのサインを受けて、舞台裏から千夜はギターを叩く。右手で側板をテナーの4拍子で、左手でサウンドホールのストリングヒット、あるいはその周辺を3拍子のバスのクロスリズムで叩くパーカッションから入る。総合司会の山原さんの声が聞こえる。そして千夜が舞台から現れると大きな拍手が沸き起こる。
よし掴みはいい感じ。両手を倍速に上げ、リズムも複雑化させながら千夜は予め舞台に一脚だけ置かれているパイプ椅子に腰かけるとそこからスラム奏法で千夜のデビュー曲である「PWMR」の前奏に繋げる。
原曲は弾き語りではないので、数多くの楽器とその奏者が千夜の後押しをしてくれるけれど、今日は弾き語り。タッピング、高速アルペジオ、トレモロ奏法、パワーコード、グリッサンド、チョーキング、そして当然フィンガーピッキング。2フィンガー、3フィンガーはもちろん、4フィンガーや変則5フィンガーまでを高速にピッキングできる。それを長い指で難しいコードを奏でることができる。
千夜は十分な声量を持ち、女声としてはやや低めながら音域の広い声で、様々な表現を用いたテクニカルに歌うことができる。まるで別の生き物のようなギターを弾けるのがミュージシャンとしての千夜の最大の強みだ。
もちろんこれらは一朝一夕でできるようになったわけではない。上達がウソみたいに早いと、いろんな先生に言われたけれど、それでも相応の時間をかけて身につけたものだ。
これができるから、1本のギターでも「PWMR」のような比較的派手な曲が弾き語りで成立する。2番は歌わずに転調しながら、間奏を入れずにいきなり「Everything is Forgettable」に繋げる。この曲は今年の2月、昨年度グラマフを獲った曲だから昨年の曲だ。未だにこれが千夜の代表曲だと思われているところがあるのは少し遺憾だが、英語でもみんなが知ってくれている曲はまだこれだけのような気がする。これも1番で終わらせて最後の曲に入る。
最後は「羽撃く刻」
これは千夜が初めて自分で作詞作曲したオリジナル曲。これはあまりアレンジせずに普通にフィンガーストロークで弾く。まあハンマリングやプリングオフ、ストリングヒットぐらいは使うけど、これまでの勢いのある曲に比べて情緒豊かに歌い上げたい。この曲を高校の卒業式で弾いてからまだ1年も経っていない。私はあれからどこまで羽撃くことができただろう?
最後は静かなコードで曲を終わらせた。