168.日本歌勝負(9)
櫛木さんが67手目を指す前に一呼吸おいたので、静香は駒台を再確認する。
静香の駒台には飛車が2枚だけ。飛車は強力だけど駒台に2枚あっても仕方がないんだよね。一方櫛木さんの駒台には金と歩が2枚ずつ。金は持ち駒に何枚あってもいい。飛車角桂香、なにか駒が玉頭に利いていれば、その2枚だけで詰ませることができる場合もあるし、当然守りに投入しても強力だ。歩だって、この終盤にきたら、合い駒でもと金の材料にだってできる。
すると6四馬と迫って来たので、静香も8九飛打と駒台で遊んでいる飛車を早めに相手陣に打つ。流石の櫛木さんも角道、正確には馬道というべきか……を止めるために2五歩打。櫛木さんの王と金2枚は最初から動いてない。居玉かつ両居金なので、こちらの飛車と馬と桂が睨んでいる状態は危ういから一番邪魔な馬道を止めたことになる。
しかも歩1枚で2手止めれるというお得さだ。というのは静香はここは同桂と取るしかないからだ。馬で取ると金を3六に打たれてしまうからね。結果跳ねた桂、自分の駒で馬道を塞いでしまうことになる。
流石竜帝、こういった細かな工夫の積み重ねが一気に花を開かせたのだろう。この状況で再び手番が櫛木さんに渡り、怒涛の攻めが始まる。静香はまた守りの時間だ。
5三馬と初の王手を食らった、どこに逃げるか合い駒するか、じっくり考えている時間はないので、第一感に従って2一玉と躱す。すかさず3六歩とこちらの1四の馬道をさらに塞いで来る。
馬が使えない状況だと攻めが最後まで繋がらない、相手の王にはまだ届かないけど、とにかく攻めて相手の形を崩しにかかる。7九桂成で飛車のひも付きの成桂を相手の金の横に成り込む。
でもそんなの関係ないよと5四馬で浮いていた銀を取られる。これで4二の歩を食べられたらまた王手される。だが攻め合いだ。静香も6九成桂と最初から動いていなかった金と取ってさらに王手。5八玉と逃げられたところ、馬を活用するべく2四馬で筋をずらして相手の王の逃げ道を塞ぐ準備をする。
ここで櫛木さんは4四歩。当然だけど同歩とすると相手の馬がこちらの玉に直撃するルートが開くのでその時点で負ける。そして放置しても詰む、例えば3二金打、同玉、4三馬、3一玉、3二金打で詰む。細かくは考えられないけれど、静香の玉が詰まされるのは時間の問題のように見える。だから3一金などで守りを固める必要があるのだけれどこれは……
ここまでの79手、ふたりとも異様なほどのノータイムで互いに指してきたのでまだ1分40秒残っている。だがここで初めて静香の手が止まった。そして2番のサビが始まると同時に、静香は5九に二枚目の飛車を打ちこんで王手をかけた。
これは櫛木さんの想定外だったらしい、金で取るか銀で取るか櫛木さんの手も止まった。10数秒かけて盤面を眺めていた、櫛木さんが顔を上げて静香の顔を上げたので静香と目が合った。そう、櫛木さんも気がついたのだろう。
先ほどの80手目の5九飛打で25手詰めが始まったという事に。
いわば頓死だけれど、このルールでは仕方がないだろう。櫛木さんは静香が間違えないことを先ほど目が合ったことで察しただろう。本来なら投了してもおかしくないところだけどあと1分20秒かけてこの25手詰めを完成させる必要がある。
同金、同成桂で王手。
同銀、4七金打で王手。
同玉、4六金打で王手。この金には2四の馬が利いている。
ここで2番が終わり最後の間奏に入った。残り1分。ここから残り18手。
3八玉、3七桂成で王手。この成桂にはもちろんついさっき打った4六金が利いている。
4九玉、4八成桂で王手。
同玉、1五馬で王手。合い駒はどれでも同じ。櫛木さんは歩を使った。
ここで間奏も終わり残り40秒。あと11手。
2六歩打ち、同馬で王手。
3九玉、5九飛成で王手。
ここの合い駒は何を打つかで若干展開が変わる。
まず歩は二歩になるから即反則負け。桂馬だと5手詰め、銀だと7手詰め、意外だが金なら3手詰めになる。当然櫛木さんは銀を選んだ。
4九銀打、4八馬で王手。
ここで残り20秒を切った。
2八玉、ここまできたら金でも馬でも同じ。せっかくだから3七馬で王手
1八玉、2七銀打で王手。
ここで歌が終わる。後は短い後奏の6秒だけ。
2九玉、そして残り0秒と同時に大きな音を立てて2八馬を指して王手。これで先手にはもう逃げ場がどこにもない。櫛木さんが頭を下げ、静香も礼をする。以上104手で後手の静香の勝ちとなった。
一曲と一局が同時に終わった。どちらに向けてかはわからないけれどこの大ホールを拍手が埋め尽くす。熱唱を終えた高浜さんは舞台袖に、櫛木さんは審査員席に、静香は袋に入れて脇に置いていた草履を出して畳から降りる。
正直疲れた。この5分40秒の将棋で半分ぐらい体力を使ったような気がする。しかも千夜は軽食と休憩が終わったばかり。次の休憩は自分の出番の直前まで無い。
でもとりあえずは最大の難所は乗り越えた。千夜は疲れを表情に出さないようににこやかな表情を保って、司会の定位置へと移動した。