163.日本歌勝負(4)
その年、静香の指し納めは王偉戦予選決勝、これに勝てば決勝リーグに進めると言う大事な対局だ。6人のリーグふたつに分かれて、それぞれのリーグの一位が挑戦者決定戦をやって、それに勝った方がようやく来年の夏に月影二冠に挑戦することができる。その道の遠さにくらくらしそうだ。
この前も飄々としてたけど、よく櫛木さんはこんなことができたな。
持ち時間は4時間なので決して長くはない。だが最近は静香に付き合って早指ししてくれる棋士はほとんどいない。今日も長い一局になりそうだ。早く終わらせて他の仕事がしたい。
いや、そんなこと思うなんて舐めてると思われるかもしれないけど、舐められているのはむしろ静香の方だ。この一局は静香が後手。
2六歩、8四歩と互いに飛車先を突いた後の三手目、2五歩で相掛かりへ行くのかと思いきや三手目7六歩と角換わりが本線とみられる序盤。さすがの静香も相手の棋譜ぐらいは調べる。ここ5年程、角換わりを相手は指していない。これが作戦だとすると大したものだと思う。
静香は素直に3二金、すると6八と飛車を振ってきた。うそでしょ。この人ほぼ純粋な居飛車党でしょ? しかも初手で飛車道を開けてからの陽動振り飛車。おそらくは研究手なのだろう。静香は居飛車で対抗形を保つ、素直に3四歩として様子を見る。するといきなり角交換、2二角成、同銀、ここで8八銀。
いやこの状況からは悪くはない手だけど、わざわざ陽動振り飛車でその後、角交換? いつ研究手に入るのかが不気味だ。そうして指し続けていたが、途中からは一方的な展開になった。そこで相手の顔を見ると明らかに歪んでいた。
どこかで相手の研究が抜けていたのだろう。だが相手は粘る。時間を使う。もう形勢は一方的なのだけれどなにかできないかと必死になっている。もちろん静香も考えるけれど、これはない、これもない。相手は盤面を複雑にしようとするけど、それも逆効果で差が開いていく……静香は淡々と時間をかけずに指す。
結局は相手が時間を使い切ったところで投了となった。まだ終盤にはいったかどうかというところだが、静香は楽に攻め潰せるけれど、先手には単発の王手しかかけられない。これで静香は王偉戦決勝リーグへの進出が決まったけれど素直に喜べない。だって明らかに相手の自滅だから。
構想が思うようにいかなくてずるずると負けてしまう。静香は片付けながら、自分もこうなる可能性はあると思った。でもなあ、純粋居飛車党の人が、陽動振り飛車はやっぱりやりすぎだと思う。
とりあえずまだ時間があるので、事務所に寄ってギターの練習をするか。自分の舞台以上に雪実さんのステージを壊すわけにはいかないものね。
こうして大学も棋戦も年末年始の休みに入った。ここからは静香も完全に芸能人モードになる。朝から晩まで公共放送に詰めて、リハの合間に撮影を続けるという強行軍だ。撮影はそれなりに順調だけど、貯金は貯めれるうちにためておきたい。
そしてそうこうしている間に大晦日がやってきた。司会を務める静香は昼頃まで寝て、そこから昼ごはんを食べ、迎えに来てくれた明石さんに公共放送まで送ってもらう。さあ気合入れてくぞ。
出演者たちがステージで最終リハで音響の最終チェックをしては別のアーチストに代わる。ダンサーたちは自分の場所を確認して軽く身体を動かしながら立ち位置を再確認している。芝居で言うならば場当たりと言ったところ。
それを横目に司会のリハ。これも最終確認だけなんだけど、確認項目が多い。当たり前だけど。そして本番2時間前から一休み。なぜかはわからないけれど、この日本歌勝負は出演者に弁当が出ないことでも知られている。すると、出演者がいろいろと差し入れするからだ。有名事務所だとアーティストのシンボルマークの入った豪華なお弁当を差し入れしたりする。
静香もそのお弁当を食べてみたい気もするが、幸か不幸か司会者にはお弁当が支給されるのだった。なお静香が所属する鎌プロは差し入れをしている。静香以外にも出演者がいるからだ。弁当を食べ終わった後、少しだけ休んだ後、いつものようにプレーン化粧品が提供してくれるナチュラルメイク、その後はヘアドレッサーに髪を整えてもらってから、ルイッチが提供してくれている漆黒のシックなドレスに身を包む。うん、いつもの舞鶴千夜だ。
千夜は控室からホールへと向かう、出演者、ゲスト、スタッフ。数多くの人が行きかう廊下で千夜にカメラが向けられる。今はニュースの時間。みんなが忙しいそうなところを撮ってから千夜が現れて挨拶する。
「みなさんこんばんは。私たちもいつ始まってもいいぐらい気合が入っています。みなさんによい勝負をお見せできるように準備万端です」
--舞鶴さんは初出場、初司会ですがプレッシャーはありませんか?--
「プレッシャーはとても感じていますが、周りが助けてくれると信じてます。そして私も周囲を助けられるようになりたいです」
--それでは本番まであとわずか、期待しています--
千夜は無言でガッツボーズを見せると、メインホールへと向かった。
いや向かおうとしたが、考え直した。