161.日本歌勝負(2)
次の日寒い大学の大教室で講義を受けた後、昼休みに櫛木さんと児童労働について、美桜に聞いてみた。
「棋士は個人事業主だから、今でも労基法の対象外なんでしょ? テレビ番組に出た場合でもそれは将棋連盟の依頼という形になるから、法律上は同じ理屈で大丈夫だと思うわ」
流石文科一類、法学部志望だけあって、スマホで検索もせずに答えてくれる。
「でも、普通の若いアイドルだと早めに帰る場合が多いから。それに合わせて帰るかもしれないわね」
だとすると、審査員に選ばれない可能性もあるけど、どうなのだろう。やっぱりプロデューサーに聞いた方が確実だったようだ。
「ところでその、櫛木君だっけ? 強いの?」
何をいまさら。
「純子があんまり将棋に詳しくないのは知ってるけど、それでも竜帝よ、竜帝。普通の棋戦で櫛木さんの上座に座れるのはもう御厨先生ただひとりよ! それを中学生で奪っちゃうんだからとんでもなく強いし、これからもっと強くなるわよ」
静香は結構大声を出してしまい、周知の注目を惹いてしまう。どうもすいません。
「だってさあ、今ネットで見たけどプロ入り後の静香との公式戦、静香の7勝2敗でしょ? 勝率8割弱。静香の圧勝じゃない?」
えっと、どう伝えればいいかなあ。
「えっと、櫛木さんとの対局だと、持ち時間の短い棋戦は私に有利、持ち時間が長くなれば櫛木さんに有利なのね。新人しか出られない棋戦は持ち時間の短い棋戦が多いけど、タイトルマッチとかは持ち時間が長いのよ」
チャレンジカップと清流戦だけで、静香は櫛木さんに対し4勝無敗だ。
「今後は持ち時間の長い対戦が多くなるから、静香に不利になるってこと?」
「そうそう。私はこれまで2回優勝してるけど、どれも持ち時間が1時間以内の棋戦だけね。一方櫛木さんは本格派で長い時間深く考えることができる。だから櫛木さんはこの後もゆっくりタイトルを増やしていくんじゃないかな? 他にも強い人がいっぱいいるから、急に増えることはないと思うけど」
美桜と純子もそれで納得してくれたようだ。
「ちなみにその対局時間の長い棋戦では、静香はどの程度強いの?」
どの程度かあ。
「えっと私はそのタイトルに挑戦するための本戦に出たのはこれまで2回。3時間の棋戦で1勝1敗。4時間だと1敗。それより長い棋戦だと本戦に出たことも無いわね」
「そっかあ」
「スプリンターなのね、静香は」
ちなみにまだ2年目の途中の私が棋戦で優勝したり、本戦に出てたりしていること自体がおかしい。だが静香に輪をかけて櫛木さんがおかしいだけなのだけど、そこまでは説明しなかった。
さて今日は結構切羽詰まっているので、大学から公共放送へ直行して歌勝負のリハに参加。するとちょうど櫛木さんが来ていた。なんやかんや連盟で会う方が先だろうと思っていたのだけれど、凄いタイミングだ。おっとカメラが回っているということは番宣? 取材?
そこでスタッフの一人がカメラの枠外で静香の存在を示す。当然櫛木さんは静香を見つけて、あからさまにほっとした表情を見せた。だが静香はここで頭を下げる
「櫛木竜帝、おめでとうございます」
「天道さんまで……やめてくださいよ」
櫛木さんの顔色が一気に暗いものになった。ちょっとイジメてしまったかもしれない。でも竜帝だからいいだろう。
「今日は取材ですか?」
「取材と、それと歌勝負の下見です」
タイトルを最年少で獲得、それも竜帝、ということでスタジオで取材を受けていたのだろう。そしてやはり審査員をすることに決まったので、そのついでにここに寄ったと。そして静香がこの時間から来ることをスタッフは当然知っていたはずなので狙ってたとしか思えない。
「審査員はそんなに無理して話さなくても問題ないと思うわよ? ああっ、私が歌う時は何か聞かれるかもしれないわね」
櫛木さんは心配そうな顔をした。
「何かってなんですか?」
『台本通りに話せば大丈夫』とはさすがカメラが回っている中では言えない。
「まあ、棋戦の時と私がどう違うとか、そういうことを聞かれるかもしれないわね。それより、聞いていると思うけど、余興で生放送中に一局指すことになっているの。その時のルールだけは決めておかないと、と思って」
「ルールですか?」
そう特別ルール
「まず急戦前提、互いに攻撃重視。千日手に入りそうな手は回避。そして勝つにせよ負けるにせよ、正確に5分42秒で一局を指し終える。竜帝だったらいきなりよーいドンで指しても問題ないわよね?」
しつこくタイトルホルダーであることを攻めていく。なお地味な話だけど、竜帝就任で八段、段位も抜かされた。
「いや、その前提なら……天道さん相手なら指すことは大丈夫だと思いますけど、有利不利で言えば、思いっきり天道さんに有利じゃないですか?」
そう、持ち時間が短い場合静香に有利。あくまで現時点ではそう。それはお互いにわかっている。
「だから先手は櫛木さんで。どうかしら」
櫛木さんは少しだけ言葉に詰まった。
「わかりました。それでも僕が不利だと思いますけど」
これで本番も大丈夫だろうと静香は思った。だが、櫛木さんはまだ話があるらしい。




