156.編入試験(2)
大海ドラマの撮影は随分難しいと聞いたことがあるのだけれど、案外あっさりと進む。最初に監督や演出家に、千夜に演じて欲しい持統天皇、鸕野讚良のイメージを丁寧に聞いておいたのがよかったと思う。肝心の主役が登場するシーンだけ、撮影スケジュールが遅れている、という厳しい状況から始まったわけだけど、10月で借金はほぼ完済できた。
星雲戦で優勝した直後に、大海ドラマのスタジオに行った時には拍手を受けた。テレビ棋戦の結果は放送日まで知らされないのが普通だけど、さすがはマスコミ関係者だからだろうか、当然のようにスタッフも共演者たちも知っていた。
『途中から撮影中止になって、会場を写したモニターでみんなで応援してました』
星雲戦を主催しているテレビ局は公共放送ではないけれど、公共放送のカメラも入ったってことか。そしてその映像をおそらく番組宣伝などで用いようというのだろう。
千夜はありがとうござます、と頭を下げた。それから千夜を中心に記念写真を撮った。なお、案の定この様子は棋戦放送日に番組宣伝で利用されていた。
そして公共放送杯も、今は2回戦を勝っている。それで、大海ドラマと公共放送杯双方の番組宣伝で他の番組に出たりもしている。これで公共放送杯で優勝でもしたらどうなるんだろうな。夕陽杯と星雲戦の実績からいうとそれがあり得ないとは言い切れないところが怖いところだ。
こういったこともありながら、撮影は進む。
昔は屋外ロケがとても多かったそうなんだけど、今は合成されることが増えた。とは言えロケが全くないわけではない。このドラマのために人工的に作られた撮影所は、日帰りで問題ないのだけど、完全な屋外での撮影となると、それに適したところに行かなければならない。物語の舞台が古代なので、まったく人工物がない田舎になる。当然少しぐらい人工物が入ってもデジタルで消せる時代ではあるが、費用対効果の問題だ。金や手間をケチって、質の悪いドラマだと思われると元も子もない。そうすると当然往復がロケバスで宿泊が必要になる。
実際10月も半ばを過ぎて、スタッフとキャストがそろって2泊や3泊の小旅行となる。当然人の少ないところでの撮影となるので、それはまだマシだと割り切っている。周囲を観客に見られた状況で演技をするのは、まあ舞台だと思えば苦ではないけれどそれでも気を遣う。
友人の由美ちゃんこと鳥居由美が姉の命令だからギターを持ってこいというので、千夜は愛用のRR-36を持って行った。なお由美ちゃんは鸕野讚良皇女と両親も夫も同じである、大田皇女を演じる。物語前半のキーパーソンのひとりだ。
静香の方が年上で背も高いのに、年下の由美ちゃんが姉役なのはなぜ?
ギターを持って来た以上、それを弾かない、歌わない、というのは許されないので、千夜は行きのバスの中では大声で、撮影ができない夜には小さな声で歌ったりした。帰りのバスでは千夜も含めてみんな寝ていた。
10月末には東京国際映画祭がある。千夜が出演している映画が3作も出展しており、千夜はパンフレットの表紙にも採用されたため、当然そちらのお仕事もある。それで遅れたスケジュールをまた11月で取り返さないといけない羽目に陥った。10月も11月も対局が多いから結構大変なんだな、これが。
11月は所沢桜花の番勝負があり、10月に続いて大沼先生と番勝負を行う。大沼先生の持つタイトルは今はこれだけ。だが、静香はきっちり2連勝でタイトルを奪った。これで六冠。
女流で残りのタイトルは女流名人と白銀のふたつ。そのうち女流名人は、挑戦者決定リーグで最も成績の良かった女流棋士が今泉二冠に挑戦する権利を得る。10人で争う過酷なリーグだが、その8戦目を向田女流四段と対局し、9戦目を残して挑戦を決めた。なお向田先生とは女流王者の番勝負中でもあるので、とてもやりにくかった。
もちろん普通の棋戦もさしているけど、タイトルマッチが相次ぐ女流と比べると地味になるのはしかたがないと思う。あまり他人のことを気にしてもしかたがないんだけど、竜帝戦は今の所櫛木さんが有利に進めている。櫛木さんから見て星で書くと 〇〇●〇 で3勝1敗でタイトルに王手をかけている。やはり第一局を後手番で勝っているのが大きい。次の第5局の後手番で櫛木さんが勝ち切ってタイトル獲れるかどうかが注目点だ。
正直、同期なのにやはり差が開いたな、と思う。櫛木さんの強さは御厨先生に十分通用しているのでこのままタイトル、それも竜帝を獲る可能性は高い。今度会った時には櫛木先生と呼ぶべきかもしれない。
もうひとり注目しているのが、武田アマの編入試験。武田アマは田部四段、榎本四段に連勝している。第三戦、第四戦を連敗しないと静香には出番が廻ってこない。しかも武田アマ自身が2連勝後のインタビューで、こんなことを言ったそうだ。
『1敗するとかなり苦しいです。だからできるだけ次で決めたいです。1度負けると最後まで勢いをなくして、ずるずると負けてしまいそうですし。それに2敗したら最後が天道七段との対局なので、どう考えても勝ち目があるとは思えないので』
いやプロ相手に2勝2敗にできる時点で静香相手でも勝ち目がそれなりにはあるはずだけどな。どうやら静香は嫌われているらしい。棋譜を見る限り、その棋風はやはり奨励会出身者とは少し変わっている。だから静香としては興味があるのだけれど……時間があれば是非研究しておきたいし、非公式戦で対局できるのであればとてもありがたい。もちろん時間があればの話で、編入試験でも無ければなかなかそれが許されそうにない。