152.オフィスにて(1)
「ああっ、もう!」
今朝他の部から回って来た週刊誌を叩きながら、土山が彼女らしからぬ罵声をあげる。ここは新宿にある鎌田プロダクションの中でも、舞鶴千夜専門のチームが使っている小部屋だ。今は他のメンバーは出払っているので、土山と魚住のふたりだけがこの部屋にいる。
「ああ、今それ土山のところに回ってるんだな」
土山が声を掛けて来た魚住を軽く睨む。魚住は土山の両親よりも世代が上だ。魚住からみても自分の息子たちよりも土山は年下になる。
「だって、この記事酷いじゃないですか。女流棋士のなになにさん括弧仮名、なんて書いてますけど本当にこんなこと言う人います? こんな嘘ばっかり書くライターを雇って、適当な記事ばっかり載せてる三流週刊誌が、どうしてこの世からなくならないんですかね!」
魚住は自分の席に座った。そしてこのまま土山と話をするか、それとも黙らせるかを少し考えて前者を選ぶことにした。まあ自分の考えをまとめるためにもなる。それは今後スポンサーから訊ねられることもあり得る。魚住じゃなくて、明石チーフや西たちが。できればQ&Aをあらかじめ作っておきたいところだ。
そしてもちろんまだ若い土山のガス抜きにもなるだろう。
「ツッチーはその記事のどこが一番嫌だった?」
魚住の問いに土山は即答する。
「嘘を書いてることですね。確かにうちは国内じゃ大手のプロダクションでしょうけど、こんな嘘つきゴミ記事の掲載すら止められないじゃないですか。それなのに海外の映画祭の投票の操作なんてできるはずないですよね」
「まあね」
魚住はそう言いながらも別のことを考える。
もしこれを書いたのが大手出版社だと止めることができたかもしれないし、止める必要もあったかもしれない。でもこの出版社とこの雑誌じゃね。どちらかというとこの雑誌そのものよりも、ネット等に転載された後の方が影響が大きいだろう。悪意を持った誰かが、確実にこれを面白おかしく転載するに決まっている。
「まあ実際昔から言うだろう。出る杭は打たれるって。千夜は出過ぎたから今までは叩かれなかった」
いつも明るく元気な土山が今日に限っては本当に腹が立っているらしい。
「出過ぎたってどういうことですか?」
「えっ? いっぱいあるだろ? 将棋に限っても女性として初の棋士。入会してから32連勝。入会してから1年半と少しで一般棋戦で2回優勝して七段。しかも学生で兼業。そんなのが女流で全勝を続けてたら文句のひとつも言いたくなるよな」
今のは鎌プロが余り関わらない将棋の部分。だから魚住は芸能よりも客観的に考えることができる。天道静香が女流棋士を兼ねることで得をしたのは誰か?
ひとりは静香自身だが少し微妙だ。対局料・タイトル料、名声・名誉を得るがその分時間を失う。他の多くのものを産み出すことができる時間を。
そして協会。タイトル戦の前夜祭を見ればわかる。多くのスポンサーが特別協賛で付き、多くの著名人がそこに訪れるという派手な前夜祭ができるようになった。当然その地域の人たちも喜んで来てくれる。まあ著名人の中で一番有名なのは天道静香だけれども。
この「地域の人たち」というのは非常に重要だ。その地方のマスコミであったり主に将棋界の権力者であったりするし、時には前夜祭よりもさらに前に子どもたちが招かれる、もっとカジュアルな場を設ける場合もある。
『先生はいつからしょうぎをはじめたのですか?』
『天道六段は振り飛車の将来についてどのようなお考えをお持ちですか?』
これらのやり取りは、確実に将棋の普及に繋がっていると思う。
では他の女流棋士から見たらどうだろう?
今泉七海はかつて四冠を持っていたが今は二冠、大沼千風は先日女流玉将を失い、今は所沢桜花のみ。その所沢桜花も番勝負が来月にあって、天道静香五冠の挑戦を受ける状況だ。
一度も負けていないのだから当たり前だけど、天道静香はタイトルを必ず掻っ攫って、決して手放さない。多分今年度が終わる頃には七冠になっているだろう。白銀が取れないのは静香がC級にいるだけで、再来年にはA級で優勝して白銀のタイトルも持って行くだろう。そしてその時まで、他のタイトルを手放すことはないだろうと思われている。
ましてや他の女流棋士には、一生タイトルは獲れないとまで思われている。
だが一方的に損ばかりしているかというとそうでもない。女流専門のネットチャンネルができ、女流棋戦そのものが一般の人の目に触れることも増えた。
それだけではない。天道静香が歩く周囲には金が文字通り舞っている。その代表はこの鎌プロなわけだけども、女流棋士界にも多くのお金が流れ込んでいるはずだ。だがそれが末端までいきわたっているかというと……それは魚住の知った事ではない。協会の問題だと考えている。
そして一般のファンの方々のご意見をネットで見ると、肯定的な意見はもちろんあるが、やはり否定的な意見も決して少なくない。
『天道が強すぎて面白くない』
『やっぱり棋士資格者は参加できる女流棋戦を制限した方がいいよね』
ネットでこういった書き込みは四段になり、同時に女流棋士になった当初から見られたが、それは今も続いている。というより激化している。上記の例はまだ穏当なもので、酷いものは誹謗中傷になってしまっているので魚住自身が法的対処をする必要があった。