149.冬学期(3)
折角だからいろいろ聞いておこう。
「それは凄いですね。ところでファンクラブの『動静』なんですが」
動静というのはファンクラブの有志がクラブ内の掲示板に書き込んでいる千夜の昨日の行動を記したものだ。新聞などにある首相動静、の千夜版だと思ってもらえればよい。
「はい、なんでしょう?」
別の男子生徒たちがここぞとばかりに前に出てきた。この人たちが書いているんだろうか?
「あれってなんであんなに正確なんですか?」
千夜じゃない、静香が聞くといろいろと詳しいことを教えてくれた。
「まず明らかになっている予定は予め調べておきます。棋戦とか、映画祭とかがそうですね。そして起こりえる予定も調べます。今だと大海ドラマ関係ですね。そこから消去法で消していくというのがひとつ」
まあ調べる気になれば調べられる情報だ。
「後は目撃情報ですね。舞鶴さんは結構な頻度で撮られて、ネットにアップされているので。結構いろいろなSNSをクローリングして画像解析しています。後当然文字解析ですね。誤情報がノイズになりますが、どちらもそんなに難しくないです」
そうかな? なんか青春を無駄なことに使ってない?
「結構投稿している人は投稿してますよ? 将棋関連だと、田丸四段とか、月影二冠とか……」
「はあっ?」
静香は思わず大きな声を出してしまった。いや将棋指し自体が芸能人だと静香は思っているし、千夜は紛れもない芸能人だ。そして、静香もふざけてポーズ取ったりしたことだってあるけど、今度からは止めようと思った。情報漏洩の穴は塞がないといけない。
「それで駒場祭、初日どうですか? 駒祭の委員会は第一グラウンドを押さえてくれてるんです」
屋外だったらアンプがいるよね。
「そうですねえ。じゃあ今年は本名で頑張ってみようと思います」
そう言うと周囲から一斉に拍手が起きた。
その後はまったりとした雑談ともインタビューとも取れない妙な雰囲気が続いた。
「そうだ、天道さんって、病院のオーナーになるという夢をお持ちなんですよね」
静香はうなずいた。これは以前どこかで言った覚えがある。なぜ医者になるのかと聞かれた時に。
「そうなると芸能活動がどうしてもおろそかになりますよね。そうなると収入に困るかもしれません」
それはまったくその通りなので静香はうなずく。
「そうですね」
「だったら今のうちに原盤権を買い取っておいた方がいいですよ。原盤権があれば将来もそれなりにお金が入って来ると思います」
原盤権。千夜が歌っている作品であれば基本的に鎌プロが持っているはずだ。CD、ダウンロード販売、サブスク、どのような形態であっても音楽というものに関わる人は多い。そしてそれをどう分配するか、というのはとても大きな問題だ。
どのような形態であれ、そこから利益を得る人、法人の場合が多い、は乱暴に言えば以下のように分けられる。流通、レーベル、印税、そして原盤権だ。原盤権は原盤印税という言い方もあるので、これを印税に含める場合もある。実際にどのように配分するのかは契約によりけりなのでそれこそ千差万別だし。
流通というのは、CDであれば工場からCDショップになる。ダウンロードやサブスクであれば、プラットフォーマーという巨大組織。どのパターンでもこれが大きい。
CDは物理的なものだからわかりやすい、リスナーの手元に届くまでに多くの人が関わる。それがだいたい半分弱ぐらい。一方音源のダウンロードやサブスクであれば、データを上げてしまえば良いわけだから、そんな手間暇かからないから流通の取り分は少なくなる……わけは無くて、むしろこちらの方が多い。
レーベルもまた流通形態によって異なる。CDならばそもそもレコード会社が製造する。そして宣伝や販促を行う。これが3割ぐらい。ダウンロードやサブスクなら? この部分もプラットフォーマーのものになる。
プラットフォーマーは自分の利益のための宣伝しかしないので、個別に行うのであれば残った部分から宣伝費用を出さないといけない。
そして印税、これは作詞者、作曲者に支払われるものでCDだと全体の6%ぐらい。日本のネット界隈で稀にカスラックなどと揶揄されてしまう団体はここを管理している。
で残りの10~15%ぐらいが原盤印税となる。そして歌手ならその原盤印税の中から凡そ全体の1%ぐらいを頂ける。1000円のCDが売れたら10円ぐらいが歌い手の収入になる。
ではこの原盤権は誰が持っているかというと場合によって違う。一番わかりやすく言うと、そのCDを企画して金を出したところが持つ。レコード会社、芸能プロダクション。その双方が持つ場合が多いが、個人が持つ場合もある。
日本も遅ればせながらサブスクの文化が入って来ていてCDショップがつぶれているが、これでも日本はCDの流通が特異と言っていい程多い国だ。外国だとCDを売っている店が無い場合もある。実際千夜の曲は外国ではほぼ配信、それもサブスクだ。
サブスクだとプラットフォーマーによって大きく異なるが、0.5円ぐらいが原盤権の保持者であるプロダクションに入る。そこからほんの一部、やはり3%ずつぐらいが、著作権者である作詞者と作曲者に行く。0.03円ぐらい? 千夜が自分で作詞や作曲に絡んでいるものならともかく、歌っているだけならば、取り分はそれよりも小さいから0.01円ぐらいか。100人の人が聞いてくれたら1円ぐらい。それが現実だ。
それを買い取る? そんなことができる?
原盤権を持っていれば取り分が増える。そのためには明石さんや社長と交渉することになるだろう。そして仮に交渉が成立した場合でも、原盤権を静香が管理できる? 関係者に適切に利益を配布したり、強大なプラットフォーマーと金額交渉できる?
無理無理。絶対に無理。でも将来のためには継続的な収入について考えておかないといけない話だよね……
原盤権の入口だけでもこんなに難しい。やはり千夜が歌手としての収入を増やすのは真面目に頑張ることと、あと、作詞や作曲に力を入れることぐらいか。当然どちらも時間が必要だ。
やっぱり時間が足りないなあ。静香は5限の講義の教室にとぼとぼと向かった。
本編には全然関係ないのですが、本作を書くのに調べていたところ、今年の駒場祭のテーマは「あかねさす」だそうです。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
額田王(万葉集)
を真っ先に思い出します。まあただの偶然なんですけれど、上記の歌の作者である額田王は、千夜が演じる持統天皇の夫、天武天皇の妻のひとりです。上記の歌のために、天智天皇と恋人関係にあったとする説もあります。