145.新人戦(1)
ヨーロッパから帰って来ると、ビエンナーレの報告と同時に大海ドラマの主演女優としての記者会見を受ける。大海ドラマ主演って、ビエンナーレからの帰り道に聞いたのだけど……。だがその次の日からは棋戦が毎日のように続く。
まずは帰国の翌日に公共放送杯本戦2回戦、相手は0-1で負け越している早蕨先生。公式戦でこれまで静香が負けたことがあるのは、 海老沢先生、早蕨先生、御厨先生、野々原さん、月影先生、櫛木さんの6人。そのうち負け越しているのは海老沢先生(1-2)と、早蕨先生(0-1)のふたりだけ。
静香との対局時に、御厨先生との鋭王の番勝負の真っ最中だった海老沢先生は静香のことなど眼中に無かっただろうけれど、それでもまあ……情けないけれども、勝ちは勝ち。そして今日、早蕨先生に勝てれば、負けっぱなしの相手はいなくなる。
早蕨先生は今はタイトルを失っているけど、それでもA級棋士。当然静香より格上だけど、持ち時間の短さという意味では、静香に相当有利な一局だ。
残念ながら振駒の結果、先手は早蕨先生で初手は2六歩、純粋な居飛車党の早蕨先生の一番多いパターン。まず戦型選択権が静香に来た。8四歩なら相居飛車確定でおそらく角換わりか相掛かり。3四歩だとそれらの戦術を拒否し、居飛車でもまだ形が決まらないし、振り飛車の可能性も残る。だから公式戦で静香は3四歩を指す可能性の方が多い。
だがここはノータイムで8四歩。これで相居飛車は決定。早蕨先生の手が少し止まる。おそらく2手目3四歩を想定されていたのだろう。ともかくこれで角換わりか相掛かりの選択権は早蕨先生に移る。もちろんそれ以外の手も無くはないけれど。
静香の作戦は基本的に相手の時間を削ること。特にこんな時間の短い棋戦ではそうだ。早蕨先生は10数秒考えて7六歩。これで角換わりがほぼ確定。角換わりはどうしても先手に主導権を与えやすい。王道なら3二金だけど、静香はノータイムで8五歩。これで角換わり以外の可能性も少し残す。
御厨先生の時と同じだ。少しでも相手の時間を削る。先手数秒使って7七角、ここは一択なので静香はノータイムで3四歩。でも先手には選択肢がある、有力なのは二手だけど、それ以外にないこともない。ここでも早蕨先生は10秒ほど考えて8八銀、ここで静香は4四歩と角道を止めた。
つまりここまで戦型は角換わり一直線の手筋だったけど、その流れを強引に変えた。これで勝ち目があるかどうかは、もちろんだれにもわからない。
早蕨先生は序盤だけど時間を使った。静香が急ハンドルを切ったので、どうするべきか考えを整理しているのだろう。後手としては雁木か矢倉に舵を切るのが自然だと考えるだろう。もちろん静香としてもそれが本線。だが、本線通りにいけば多分勝てないので、若さと勢いに任せて力戦に持ち込もうとしている。
早蕨先生の時計がこの序盤で進む。これだけでも静香にとっては作戦通りと言える。だがあまり人がやらないということはそのまま進めば不利だということでもある。
早蕨先生は結局、飛車先の歩を伸ばしたので、静香は角を3三に上げる。早蕨先生は数秒考えて4八銀。当然攻めるために使うだろうけれど、ここから静香が飛車を振る可能性も考慮しているのかもしれない。まあ実際考えないでもなかったけれど、飛車先を2つ突いてるし、今の銀でその可能性は消された。
雁木か矢倉あるいはその他、どうとでも取れる3二銀を指すと早蕨先生は6八玉と囲いを進める。多少変則だけど矢倉? 静香はそれを無視して5四歩と場を荒らして行く。7八玉、6二銀。
早蕨先生が守りを固めるのに対して、静香は守ったり荒らしたりと一手一手がちぐはぐだ。でもバランスはなんとかとれているはず。とにかく早蕨先生の持ち時間を減らす。早蕨先生もそれには当然気が付いているはずだが、静香に反応せざるを得ない。
5八金、4三銀、5六歩、5二金、5七銀、3二金、3六歩、7四歩、4六銀
早蕨先生も意識的に早指しにしているのだろうけど、それは静香のテリトリーだ。まだ互いに駒を取っていないけれど、少しづつ自分が有利になっていると静香は思う。
7三桂と跳ねて、6八角と先に逃げるように仕向ける。その後は9列の端歩をお互いに突いてから、6四歩と押し上げると7九金と早蕨先生は守りを固めていく。やけに慎重なのが気になるのでこちらから仕掛けることにした。
7五歩とぶつけると同歩と取られるが、6五桂と見晴らしの良い所に桂馬を配置できた。その後はイジメようとしていた銀が逃げたので、静香は38手目に4一玉として、一応雁木ができた。ここで6六歩と桂馬をいじめに来られた。これは同角を誘われている。その後で静香の左辺を荒らそうとするのだろうけど取るしかない。
すると早速、角が上がったところで2筋の歩を飛車で獲られるが、歩を継いで追い払う。飛車は2九まで下がった。地下鉄飛車?
その後5五歩と突いて中央を押さえようとすると6七玉と上がって来た。これは予想外だなあ。入玉もちらつかされてしまった。それでも取るしかないので、5六歩。これで守りに入るかと思ったけれど早蕨先生は2四歩と攻めてこられた。これは誘われてるけど行くしかない。4八角成と銀を獲る。当然同金なので、桂馬が利いてる5七に獲ったばかりの銀を打つ。同金、同桂の交換を予測していたけど、2三歩成と攻められる。無視して4八の金を銀不成で取る。
守ったり攻めたりと忙しいけれど、そこそこ有利な展開だと思う。実際早蕨先生は持ち時間を失くし、追加の考慮時間も使い始めている。
これはこのままいけば勝てるだろう。実際静香は92手で早蕨先生に勝った。初勝利だ。これで負けっぱなしの相手はいなくなったはずだ。
大海ドラマの元ネタはすぐにおわかりかと思いますが、本物は放送される1年半以上前にタイトルはもちろんスタッフやキャストも発表されているんですね。すごいですね。本作では逆に放送開始3ヶ月前に主演が発表という、結構な無茶をやっています。実は子役が演じる部分は既に撮影を始めてたりするのですが、それでもその道の人から見たら、絶対無理だと思うのでしょうね。
なお演じる候補者としては持統天皇、紫式部、信松尼、葛飾応為、与謝野晶子を考えていました。
少し調べると紫式部が、リアルで再来年の主人公が決まっているということを知りました。でも紫式部ってそんなにエピソードありましたっけ? おそらくは劇中劇で光源氏などが出て来るのかな、と想像しています。
この話の中で千夜が誰を演じるかはすぐにわかります。