144.夏休み(10)
千夜だってルイッチ様の相当派手なオレンジ色ベースの舞台衣装を着ているけれど、ケイトの服装もそれに負けないぐらい派手などピンク。そして客席からは割れんばかりの拍手と歓声。ああ、これって私前座みたいだよね、と千夜は思った。
いや違う。これは私の舞台。千夜は気持ちを立て直して、ケイトの歌い出しに自分の声でユニゾンをしかける。歓声が千夜を後押ししてくれる。当然ながらスタンドマイクは一本しかないから、同じマイクを使うケイトの顔がとても近い。そして私が前に出るわよ、とその顔が雄弁に語っている。
仕方がない。ゲストを立てるのもホストの役目。千夜は基本ルート弾きでたまにアドリブでコードを入れる。そして声は低音部でハモりに入る。これでまた歓声が上がる。サビに入る前にマイクを離れてアコベでアドリブを入れる。
ケイトの歌声、ケイトのエレキギター。CDで聴いていたのとは随分違う。ハチャメチャしているように見えて、ちゃんと千夜のアコベに合わせてくれているのが判る。さすがロック界の新星。彼女がそう呼ばれ始めてから数年になるけど、まだ18歳(もうすぐ19歳)だし、ケイトに続くスターがこの世界に出て来ていないからまだまだ十分通用している呼び名だ。
間奏では千夜のアコベと、ケイトのエレキギターの掛け合いをした後。2番のサビの前ではケイトが目配せするので、千夜がソロで歌う。ここで盛り上がるのはスゴイ。千夜が凄いのではなくて、こういう展開に持ってくるケイトが素晴らしい。
リフレインのサビは千夜がメロディを担当してケイトが高音部からハモリに入り、それから終結部はまた掛け合いで終えた。
曲が終わった後のMCはケイトに任せる。ベースミュージックというジャンル違い、いわばアウェイなのにMCが上手い。客をちょっと煽ったりするのは、千夜とは違う芸風で面白い。
「んでね。今日はさらにゲストがきてくれているので紹介しまーす。元々千夜と私はグラマフの会場で隣の席だったから仲良くなったんだけど、実は今度一緒にミュージカル映画に出ます。ここにいる人はミュージカルなんて誰も見に来ないよね?」
ここはアウェイ。しかも千夜はプログラムに名前が載っているけど、ケイトは載っていない。この状況で自分のファンじゃない観客たちから、笑いをきっちり獲っていくのは上手い。
「で、そのミュージカルに出演する他のメンバーも来てくれているので紹介します」
やっぱりか。でもこのステージがなんだったのか、わけがわからなくならない? まあ会場はメインステージだけど、時間はまだお昼過ぎで千夜の後ろにもベースミュージックのアーチストたちが夜まで控えているからいいか。
「ナタリア=ブラスキ & ジョシュ=オースター!」
ジョシュの名前をケイトが口に出した途端。客席のあちこちから若い女性の悲鳴が上がる。
ふたりが出て来るのに合わせて、ケイトのギターと千夜のアコベがかき鳴らされる。
「ええっと、なんか途中から私がジャックしたような形になっちゃったけど、最後は千夜の曲で締めるからね。あー。ミュージカルの曲じゃないから安心してね。だってあんたたちミュージカルなんか、見たこと無いでしょ? というわけで最後の曲は舞鶴千夜で『Everything is Forgettable』!!」
そういってケイトはピアノに移動するとその前奏を弾き始める。ミュージシャンが本職でないジョシュもいるから、変なアドリブは入れない静かな出だし。もちろん千夜もアコベの弦を弾く。
やはり相当訓練したのかな? アメリカの俳優は多才だ。ジョシュは千夜の予想よりも遥かに上手く歌い始める。この後歌手デビューしたりするのかもしれない。数フレーズ後にナタリアがハモリで入る。こっちはミュージカルの第一人者だから全然心配していなかったけど、耳にしてみるとさすがの一言に尽きる。
二番からはピアノに設置されていたマイクを使ってケイトとその横に座った千夜もハモりに入ったり、かわるがわるメロディを歌ったりする。個人でおさまるアドリブはありだけど、他のメンバーがフォローしなきゃいけないアドリブはなし。なんて言っても、これリハーサルなど一切なしの一発勝負だからね。最後はホストの千夜が目いっぱい声を張り上げて終わらせた。
当然ケイトのピアノと千夜のアコベもここが最後だからガンガン強く弾く。これでハウリングしないのはPAが優秀だから。
曲が終わると大きな拍手をもらえた。おそらくだが、まだ撮影すらしていない映画の宣伝にもなったと思われる。これで後はベネチアに帰ってビエンナーレの結果がでたら、日本に戻ることになる。
学生としての夏休みはまだあるけど、帰国したら対局が目白押しだし、その後は渡米してつい先ほども宣伝したミュージカルの撮影で大変だ。でももう9月だから夏休みはもうとっくに終わっていて、既に秋休みというべきかもしれないと千夜は思った。