139.夏休み(5)
このように指導対局を終えた後、静香はヨーロッパ将棋協会連盟の方や、田丸さんや蒔苗さんと一緒に食事をした後、夜再びベネチアへと戻る。次の日は再び映画祭のイベントをこなし、3日目の昼頃にまたジュネーブに戻って来て将棋のイベントをこなした。
3日目も静香のお仕事は、指導対局がメイン。指導対局はトーナメントに途中で負けた選手としかせず、今晩開催されるトークショーは選手優先だけど、一般の方も入れるので、そこだけ大きなホールが借りられているというのは笑えない。そもそもゲストのトークショーなんて例年は無いみたいだし、楽器を持ってきてください、という依頼も将棋大会ではおかしいと静香は思う。
聞き手はヨーロッパ将棋協会連盟の広報の方。話すのは基本的に将棋のことだと事前に申し合わせてあるが、楽器が舞台袖にある時点でトークでお終いにはならないと思う。ちなみに和服だからギターを弾くのにはそれなりに練習をした。特にお太鼓の部分が邪魔になるので、結びはふくら雀を採用した。それでも邪魔だけど。
満席の大ホールでトークショーは軽快に進む。
静香は毎年レベルが上がっている事を賞賛し、ありきたりですがインターネットとAIの影響が大きいなどと周知の事を話す。それから日本の棋界の話へと話題が変わった。
――ところで日本のプロ棋士の中で注目している棋士は誰ですか――
「一番気にしているのは早蕨先生、早蕨九段です。日本に帰国した次の日に対局がありますし、まだ負けたことしかない相手なので」
――えっと、公共放送杯の2回戦ですね――
良く調べていらっしゃる。
「はい、放送されるのはもう少し先ですが。今回は持ち時間の長さ的に、私に有利だと思うので、是非1勝1敗に持って行きたいです」
――天道先生は持ち時間が短い棋戦で好成績をあげていらっしゃいますね――
「多分何も考えてないからですね」
――そんなことはないでしょう――
「そうですね。やはりでも第一感を大事にするタイプだとは思います。だから感覚がずれた時は中々修正できなくなります」
――早蕨九段以外で注目されている棋士はいらっしゃいますか――
「もちろん、まずはなんと言っても、御厨先生でしょう。竜帝・名人を含めて五冠。今、月影先生の挑戦を受けている王偉戦で黒星先行していますけれど、それでも棋界の第一人者であることは間違いないでしょう」
――他にはいらっしゃいますか――
「はい、私の同期でもある櫛木先生ですね。私を竜帝戦6組で打ちのめした後、決勝トーナメントでは破竹の勢いで勝ち上がり、今や挑戦者決定戦に進出。しかも三番勝負で先勝しています。もうこの時点で将棋の歴史を変えていると言っていいですが、まだ14歳か15歳なので、今後の事を考えると恐ろしいとしか言えないですね」
竜帝戦6組の優勝者が挑戦者決定戦まで上がるにはとても長い道のりが必要だ。星雲戦のブロック戦と同じようなパラマス式トーナメントを勝ち上がらないといけない。さすがに11連勝する必要はないが、相手は5組優勝者、4組優勝者、そして1組の5位、4位、1位に勝ってようやく決定戦に挑むことができる。
――しかし天道先生は櫛木五段に7勝1敗と大きく勝ち越してますが――
「今の所はそうですね。私とは逆に持ち時間が長い棋戦に強いタイプだと思います。さらに今なお棋力が伸び盛りの中学生なので、今後は短い棋戦でも勝てるかどうかは怪しいです。早い段階で勝っておいてよかったです」
――なるほど、では最後にもうひとりお名前を挙げて頂けますか?――
静香は少し考えた。御厨先生から2つ目のタイトルも獲る可能性のある月影先生? それとも女流で死闘を演じている今泉先生?
「そう……ですね。本当は誰もが怖いんですけど、敢えてもうひとりを挙げると武田アマですね。もうすぐ始まる編入試験で2勝2敗になった場合、私が最後の試験官になります。私自身も、そしてほとんどの先生方も奨励会で育ったわけですが、それとは違うバックボーンの持ち主です。幸い私は大学の将棋部にも所属しているので、多少はアマチュアの将棋もわかりますが、それでも異質な怖さを感じています」
その後もトークショーは無難に進んだが、結局静香はトークの後で、3曲歌う羽目になった。試した時よりもやはり和服が邪魔なのは、着付けをした時からと少し帯がずれているのかもしれない。そして本来なら新しいアコベをライブで試しておきたかったけれど、アコベにアンプを繋いでハウリングしないように調整するにはそれなりにミキシングの技術がいるのでアコギにした。
当初案では静香も知っているスイス民謡「おおブルネリ」を歌おうと思ったのだけど、調べてみると現地ではほぼ歌われていなかったり、原曲には性的な意味があったりするので「ホルディリディア」をアカペラで途中からアコースティックギターを入れた。2曲目は将棋をテーマにした日本の演歌を静香は日本語でこぶしをきかせて熱唱した。
まあどちらもそれなりの拍手はいただいたのだけど、どことなく残念そうな顔も見える。静香はやっぱり盛り上がりに欠ける気がしたので、3曲目は舞鶴千夜”さん”の『Everything is Forgettable』に頼った。やっぱりみんなこの曲を聞きたがっているんだよね、と静香は少し残念に思った。
先日、9月13日に小山アマが棋士編入試験受験資格を取得されました。嘆かわしいことに、私はこんな重要人物も知らずに、134話とこの139話を書いたのでした。(大抵の場合、私は週末にその週の分を書き貯めします。平日ってあんまり書けないので)
奨励会を経ずに編入試験を受けた人はいない、というのは知っていたので、武田さんというキャラを作ったのですが、掲載時に該当者が現れるとは思っていなかったのでびっくりです。
タイトル戦含む公式戦でスケジュールがいっぱいなのに、編入試験に挑戦中の里見女流五冠、まだ編入試験を受けるかは不明ですが、考慮中との小山アマ。お二人の健闘を祈ります。
この拙作はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。もちろんお二人をモデルにもしておりません。