13.至上の命題
ツアーの移動中には本で詰将棋をしたり、ホテルでスマホでネット将棋をしていたりした。途中一日だけ、奨励会のために東京に戻った。日曜にライブがないのはなぜ、と思う人もいるだろう。だが4月の最初の奨励会で3連勝、静香は無傷の8連勝で初段に昇段した。段位になるところから昇段の基準が難しくなるが、それでもまずは20歳までの年齢制限のある初段まで来た。とりあえず次の目標は二段、そこを突破したら将棋に憑りつかれた魑魅魍魎が蠢く三段リーグが舞台になる。
対局が終わったら、近くで待ち構えていた明石さんに車で拾ってもらって、すぐに飛行機で福岡に飛んだ。やばい、私、今芸能人している。静香はそう思った。でも機内は当たり前だけど、空港でも全然声かけとかされない。今も欠かさず連絡を取っている由美ちゃんによると、よくそんなので外を出歩けるわね、といつも言われる。いや、見かけは対局モードのままだけどこれは変装とは言えないレベルだと思う。それに芸能活動中だって濃い化粧をしているわけではない。やっぱりまだまだ誰も気が付かないレベルの芸能人ってことだね。
【歌手】舞鶴千夜応援スレッドPart21【役者】
24 おお、スレタイから「?」が消えてる
32 今日福岡ライブ行って来たけどよかった 去年のポンコツさが消えてる
33 ライブうらやま
35 会場の抽選で限定サイン入りCDも当選 データも買ってるけどよし
36 ちゃんとライブでトークできてるの?
38 怪しくなる時がないとはいわんが、そうなってもちゃんと笑いに落としてる
40 鎌プロの促成栽培が成功したってことか
43 そりゃちゃんと人を見てスカウトしてるんでしょ
44 それにしてもスカウト凄すぎない? たまたま上手くいった例だとしても
46 ツアーも札幌で終わりか
47 ライブから帰った 間奏の激しいダンス後、出だしが息切れしててホントに歌ってるんだって思った
48 おれもスカウトしてくれないかな
49 どっちかというと育成がすごいと思う
51 下手くそなのに大事な現場に容赦なくぶち込んでたからな
54 やればできる子だという見立てだったんだろ
56 ヘタっピの時から、よくあれだけ金つぎ込んでたよな
57 これで数年は大丈夫だろ
60 どうかな こういう成金的なタレントはすぐに消えて行くイメージ
61 俺もそう思う 一発ではないけど三発屋ぐらい
64 にわかだけど、結構歌もギターも上手いよね 演技はまだ見てない
65 ギターは……素人にしてはうまいね ミュージシャンとは比較にならん
66 演技はもう映画がサブスクで見れる おっとあれまだダメな頃だっけ?
67 演技も確実に上手くなってる
ツアーが終わった時には2年生になっていた。この学校では2年で文理選択がある。静香が理系を選んだせいか、周囲は一気に女子が減った。理系は3クラスあってクラスは成績順だ。学年末の成績だけだと1組に入れたかもしれないが、年間を通じて見られるから、静香は理系で一番下のクラス、2年3組になった。そのせいか教室の雰囲気も緩い。これは静香にとってもよいことだと思った。
静香は部活紹介にも駆り出された。
「2年3組の天道です。将棋は奨励会で初段です。部活にはたまにしか参加してないですが、是非私とも指してください」
奨励会初段、のところで一部から「おおっ」という声がした。あのうち何人かが将棋部に入ってくれたらいいなと静香は思った。
ツアーが終わった後はまた基本はレッスンが中心になる。仕事は明石さんが次々に持ってきてくれる。中でもCM、モデル、そしてドラマのスポット出演が多い。そして3枚目のアルバムに向けた準備にも動いてくれているという。次は夏休みにツアーを予定しているので、それに間に合わせるためにスタッフはもう動いていて、既に早い曲はアレンジに入っているという。
そして宿題が出た。今回のアルバム8曲のうち2曲は英語だということ。そして英会話がレッスンに追加された。でもこれは学校の勉強にもなるからいいかなと思う。それに最近はレッスン料も事務所持ちになったし。そしてもう一つは1曲だけど作詞を千夜自身が行うというものだ。まさかそのうち作曲もしろとか言わないよね?
そんな時、事務所で明石さんから相談があった。
「舞鶴さん、今営業部がちょっと大きな持ち込み企画を考えています。これには天道さんの力が必要なんですが、話を聞いてもらえますか?」
千夜はもちろんうなずいた。営業部から持ち込まれたということは香織さんが絡んでいるはずだ。そして明石さんから公共の場以外で「天道さん」と呼ばれたのは初めてだと思う。公共の場というのは電車の駅とか飛行場とかだ。そういうところでは必ず天道さんで、逆に舞鶴さんと呼ばれることはない。
「舞鶴さんがイメージガールをしているプレーン化粧品、あそこがスポンサーを務めている将棋の棋戦がありますよね。『プレーン女子オープン』」
当然千夜も知っているので軽く頷く。これに関しては明石さんより静香の方が詳しいだろう。
「その大会に舞鶴千夜として参加してみませんか? ナビゲーターとしてはもちろんですが、予選トーナメントから『舞鶴千夜』として参戦するんです。これは舞鶴さんにしかできないことです」
静香自身、現時点では将棋は奨励会しか考えていなかった。中学生の時初めて2級になった時には少し女流も考えたこともある。だが、その後は降級が続き、そのうち芸能界に入った。だから奨励会員が参加可能な女流棋戦にエントリーしたことは今まで無かった。
だが、確かに芸能人の端くれである『舞鶴千夜』が棋戦に挑戦するというのは、話題性があるかもしれない。実力的にも奨励会で段位に入った今なら、挑戦者まではいけなくても上位に食い込める可能性は十分にある。
だがそれは将棋に割く時間が増えるということでもあり、千夜の芸能活動に大きく影響する。だが千夜は迷わなかった。兼業とは言え、棋士にとって普及は至上の命題だ。