123.部活とサークルと研究会(7)
「ちょっとみんなストップ」
いきなり2年生の先輩がパート練習を止めた。
「えっ、どうしたの?」
「なんかあった?」
新入生である船井美紀も、多少びっくりしたが練習を止めて先輩の声に注目した。
「今から講堂で、舞鶴千夜のゲリラライブがあるかもしれないんだって」
「えっ、マジ、マジの話」
言い出しっぺの先輩がちょっと頭を掻いた。
「ゴメンちょっと盛った。将棋部が舞鶴千夜を講堂に連れて来るって、千夜研のルームに流れてる」
千夜研? 初めて聞く言葉だけど、天道さんに関係あるんだろうな、ということは美紀にもわかった。
「よし、空振りになるかもしれないけど、講堂行こうか」
美紀は、高校時代は部活にも入らず勉強していたので、音楽も素人だ。だが女性の先輩が多いということもあって、合唱系のサークルのひとつに入ったばかりだ。
「ミキちゃんも一緒に来るよね」
「はい、行きます。天道さんの歌を聞いてみたいので」
900番教室とも言われる講堂に来た美紀たちは、入口の人だかりを抜け、講堂の後方とは言え、ほぼ真ん中辺りに座ることができた。美紀はもちろんだけど、2年生の人でも初めて入った人もいた。
隣の先輩が興奮した様子で話しかけて来る。
「私はさ、舞鶴千夜のファンなのよ。女優もいいんだけど、特に歌手としてのね」
「私もアルバム全部買ってます」
美紀が舞鶴千夜のファンかというと、それは違うような気がする。いや応援しているからファンか。でもやはり、元同級生として応援しているような気がする。
「へー。私もそうなの。日本語のも英語の曲もいいよね。ライブとかも行く?」
美紀は一応舞鶴千夜のファンクラブの会員だが、ライブには行ったことがない。だが天道静香のライブは参加したというか企画したことがある。1年半ほど前の、聖瑞庵高校の文化祭でミニコンサートをしないかと、美紀が2年3組の教室で天道さんに声を掛けた。
美紀がそれを先輩に説明すると、すごい、とか羨ましい、とか言われた。
「3年で同じクラスになりましたけど、特に仲が良かったわけではないですよ」
あの高校では、3年生は文化祭にも参加しない。だから静香がライブで歌っているのを聞いたのは2年の文化祭と3年の卒業式の時だけ。
「どちらも舞鶴千夜ではなくて、天道静香として歌っていました。多分今日もそうなるんじゃないでしょうか?」
その後も高校時代の話を先輩からねだられた。そうは言ってもそんなに大したネタはない。学校を休むのはしょっちゅうでしたね、とか1年の時は知らなかったとか。
そういう話をしている時に、講堂の後ろから天道さんが入って来た。それに気が付いた学生からやがて講堂全体へと拍手が広がる。
「天道さん!」
思いがけず美紀の口から大きな声が出た。天道さんは足を止めて美紀の方を振り返ると、少し笑って手を振ってくれた。でも彼女はすぐに正面に向き直って階段を降り、前方の舞台へと向かった。
途中で美紀と同じように声を掛けた人に手を振っていた。美紀や天道さんと同じ高校の生徒かどうかはわからない。
彼女が舞台に上がるとこれまた大きな講堂内が沸いた。彼女が深く礼をするとまた拍手が大きくなる。拍手が鎮まるのを待って、彼女が話を始める。
「みなさんこんにちは!」
大きな講堂で女子ひとりの肉声が後ろまで届く。美紀は特に驚かなかった。高校の時の卒業式があった体育館の方がもっと大きかったからだ。
「「こんにちは」」
そしてこんな大くの学生たちの声が見事に合わさる。
「理Ⅲ1年3組、天道静香です」
またおおきな拍手が起きる。そして拍手が治まると静香が話す。
「えっと先ほどまで将棋部にいたのですが、急遽ですね。『千夜研』なる組織があると言う事を聞きました。怖いもの見たさですね、将棋部の先輩に話をしたところ、こちらに連れてこられた、という次第であります」
次々に講堂内に入って来たばかりの人を除くと、講堂の中は概ね静かだ。
「というわけで、まったくなんの用意もできていませんし、これから何をするのかも決まっていません。まったくのノープランです。どうしましょうね?」
そういって天道さんが客席に向かって笑うと、学生たちも笑った。
「というわけで用意が整うまでちょっと調査をしたいと思います。この中で『千夜研』に入ってらっしゃる方、手を上げてください」
今講堂は目分量で半分ぐらい埋まっている。そのうち手を上げた人は30人ぐらい?
「あれ? これ千夜研のイベントだと聞いたので、こんなにたくさんの人がいるんだ、と感激していたのですが……全然ですね。今手を上げて頂いた方々も半分近くは将棋部の先輩ですよね。あれっ。どうしよう。私のことを全然知らない人の前で舞台に上がるのは随分久しぶりです」
いや知ってますって。
スマホで曲を聴いてるよ。
などと声が上がる。
「ありがとうございます。ご存じの方もいらっしゃるということで少し安心しました。あの、私、舞鶴千夜という名前で芸能活動を行っております。ちなみにファンクラブなどもあったりするんですが、もしかして会員の方っていらっしゃいます?」
こちらには美紀も手を上げた。
「ありがとうございます。だいたい先ほどと同じぐらいの方がファンクラブに入って頂いているようですね。メンバーは一部重なっていて、一部違うと。ありがとうございます。今日は学校……大学ですからね。本名の天道静香で通学し、1限から105分の講義を受けて、へとへとになりました。で、私は嗜む程度ですけれども将棋も指しますので、ちょっと、うさはらしのために将棋部の活動に参加していたところです」
何人かと同じように美紀も笑ったが、今回は笑っていない人もいた。
「あー。今の皆さまの反応をこちらから伺っておりますと、私の趣味が将棋だということをご存じない方も、結構いらっしゃるようですね。ちょっと気に留めて頂ければ幸いです。そう、そう言えば私、この前シラバス(講義についてのリスト)見たのですが、囲碁についての講義はあるのに将棋はないんですよね。昔はあったと聞いたことがあるんですけど、復活しないですかね。将棋の強さで成績が決まるんだったら絶対履修するんですけど」
さっきよりも多くの人が笑った。でも彼女が6段なんて知らない人の方が多いのだろうな、と美紀は思った。
「あっ、ちょっと待ってくださいね」
天道さんが舞台の上で何人かとしばらく話していた。天道さんが話し始めた時からもそうだけど、今も次々に人が入って来るので、どんどん空席が埋まっていって、今や立ち見や通路の階段に座る人達も出てきた。
「すいません。お待たせしました。いつのまにか人が満杯になっちゃいましたね。改めまして、理Ⅲ1年3組、天道静香です」
また拍手の渦が起きる。天道さんはそれが終わるのをゆっくり待っている。
「今日いきなりですね。ゲリラライブをすることになるとは夢にも思ってなかったわけですけれども、まあ成り行きでこうなってしまいました。えっと、どう見ても学生さんでは無い方もいらっしゃいますね? こんなとこ来ても大丈夫ですか? えっ? あっ、そうなんですか? 講義を中止して学生ごとこちらに来ていただいた先生もいらっしゃる……結構自由な校風ですね」
今度は大きな笑いが起きた。いつものように天道さんは静かに客席が鎮まるのを舞台の上で待つ。
「えっと、すいません。ここまで引っ張ってまことに申し訳ないのですが、ここで残念なおしらせが来ました。大学当局からですね。撮影許可どころかですね、教室の無断使用ということで、お叱りの連絡がうちの事務所にありました」
講堂にええっという声が満ちる。天道さんはそれらの不満の声が治まるのをゆっくりと待つ。
「はい。速やかに解散するようにとの、お上のお達しです。私も入学初日に注意を頂くということになりまして……さすがに懲戒まではもらいたくないので、真に相済すみませんが、速やかに解散をお願いいたします」
そういって天道さんは舞台の上で深々と頭を下げた。
語り手の船井さんは28話が初出で、登場はそれ以来ですね。