109.舞台挨拶(3)
千夜のドイツでの短い滞在期間は極めて有効に使うことができたと思う。こういったスケジュールを組んでくれるのも明石さんだ。
まずは舞台挨拶だけど、その前にパフォーマンスをしているおかげもあって、随分盛り上がった。そしてトークについては、監督とオリバーに、上手く支えてもらったので、万雷の拍手を受けることができた。
千夜も早く支える側の人間になりたいと思うけど、そこまでキャリアを積むことができるだろうか?
そしてその後は、今回千夜が極東から飛んできたメインイベントである、ベルリナーレの表彰式に出席する。今回、千夜はルイッチに提供してもらったドレスを着こなし、舞台挨拶の時とは逆に、ゴージャスに髪の毛を整えてもらう。
そうして始まったセレモニーも無難にこなすことができたと思う。千夜は主演俳優部門で、オリバーは助演俳優部門でそれぞれ銀賞をもらった。銀賞というのは2位ということではない。最も優れた作品に金賞が与えられ、他の部門は銀賞しかない。
だからこうして銀賞を頂くというのはものすごく、本当に名誉なことだ。ここのところ千夜は、こうした賞を受賞することが多かったので、感覚がインフレしてしまっており、正常な判断ができないと思った。だからコメントは千夜の前に受賞したオリバーのコメントをおおいに参考にさせてもらった。
『こんな若輩者に、このような素晴らしい賞を頂いて言葉もありません。実際、多くの人の助けを受けてこの賞を頂くことができました。つい先ほどこのステージにいたオリバー=ミラー、彼は私に演じる楽しさと厳しさを教えてくれました。そしてアンリ=ルフェーブル監督は、まるで魔法使いみたいに、私の知らない私を見出してくれました』
千夜はここで言葉を切って拍手が止むのを待つ。
『他にもこの映画で、あるいは家族をはじめそれ以外の所で私を支えてくださった皆様に深く感謝します。本当にありがとうございました』
もうちょっと柔らかいコメントの方が若さを出せて良かったかもね、というのがオリバーの評であった。いやオリバーのコメントを参考にしたからなのだけど、実績のある彼と、ルーキーの千夜では立場が違う。そこまで頭が回らなかった。でもまあ失言はないだろうから良しとしよう。
その後作品賞、つまり金賞が発表された。主演、助演俳優賞の時点で想像がついていたが、ルフェーブル監督に続いて千夜とオリバーがその後を追う。そして監督を真ん中に舞台の上で肩を組んだ。
千夜に求められたコメントは短いものだけで、ほとんどはルフェーブル監督がひとりで話し続け、たまにオリバーをコメントを挟んでいた。
『世界中のあらゆる映像作品に目を通している中で、彼女を見つけた時に、私にインスピレーションの波が押し寄せて来た』
『本来は慣れたヨーロッパを舞台に考えていたが、彼女のスケジュールの問題で日本での撮影になった。結果としてはそれが表現の広がりにつながったと思う。私自身も監督としてのキャリアのステージを、またひとつ上がった気がする』
このようにもらうべきものはもらったが、それだけではあまりにももったいない。
まず、当然ながらいくつかの映画を見た。それほど潤沢に時間があるわけではないので、ルフェーブル監督のお勧めのものを何本か見た。確かにすごい。短編でも千夜の感情を激しく動かす作品をいくつも見た。やばい、こういうのを見ているともっと女優業に没頭しなければならないと思ってしまう。
そして食事は毎回別の映画関係者と食卓を囲んで、互いに連絡先を交換した。監督や俳優はもちろん、脚本家、映画会社の重役、プロデューサー。彼らの連絡先はことごとく千夜のスマホに記録された。
幸い千夜を使いたいと言ってくれる監督やプロデューサーには事欠かなかった。共演したいという俳優にも、だが、半分以上はリップサービスだろうし、残りも今後スケジュールの調整の中で、ほとんどの話が消えてしまうだろう。
こういった、楽しい時間はあっという間に終わってしまう。ドイツで使える40時間をほぼ使ってしまった。まだ若干時間はあるが、遅刻すると元治大の二次試験を受けることができない。幸い恵愛医大に合格したことは既に両親から教えてもらっているので、そこまで悲壮感はないけれど、選択肢は多い方が良い。
ほぼ予定通りにブランデンブルグ国際空港を飛び立ち、羽田に着いたのは試験の3時間前。事務所的には記者会見をやってほしいようだけど、流石に入試当日にそのようなイベントは入らない。
そこから間合塾が用意してくれた車で元治大学へと向かった、途中で朝食を取ったが、それでも十分な時間があった。大学のそばの駐車場で試験に向けた最終確認を終える。
「これが最後の入学試験になりますので、余力を全部つぎ込んできます」
そうカメラに向かって発言すると、千夜は高校の制服姿で元治大の構内に脚を踏み入れた。ここからは静香の仕事だ。
まずは小論文、それから面談。やっぱりひとつ受かっていると余裕が違うなと思った。東大では恵愛医大の反省から、ややまともな面接をしてしまったが、今日はもっと踏み込んだ話をしてもよいかもしれない。
そして試験が終わったら、いくつもの棋戦が手ぐすねを引いて静香を待ち受けている。それも、最初の対局相手が御厨先生。御厨先生、絶対準備しているよね。成す術もなく負けるのはいやだ。
でもまずは小論文。そして面接が静香を待っている。