107.舞台挨拶(1)
千夜たちが乗り込んだビジネスジェットは、太陽を追いかけて飛び続け、ブランデンブルグ国際空港に降り立った。
残念ながら太陽、正確には地球の自転の方が速いので、太陽は少しずつ離れていく。昼前に羽田を飛立ったが、なんとか2月末の太陽が傾く前にドイツに舞い降りることができた。もっとも途中で千夜もスタッフも仮眠をとっていたけれど。
千夜はそれなりに疲れていたので、そこそこ寝ることができた。スタッフも旅支度に結構疲れていたようで、ほぼ全員寝ることができたようだ。逆に言うと移動時間ぐらいしか休みがないのか、この業界は。
そして空港を出るとすぐに用意されたバスに乗り換える。ここまでで貴重な69時間のうち12時間程度を使ったことになるので、残り持ち時間は57時間。
昔の将棋には何日もかけた勝負があったそうだが、静香ならほとんど寝ているような気がする。
ビジネスジェットでなければ、さらに4~5時間が必要だっただろうことを考えると、とてもありがたい。だがこれでも、帰りの飛行機には13時間、羽田から大学まで長めに考えて1時間とするとこの街で過ごせるのは丸2日もない。
この期間を少しでも有効に使いたい。こちらではお昼過ぎなので、千夜たちは早速メイン会場にむかう。まずは入口で警備会社のスタッフと合流し、バスの中から連絡していたルフェーブル監督たちと合流した。
監督が指定した場所に近づくと、マスコミを中心とした人だかりが、十重二十重にできている。正直あの集団で間違っていないか不安になるが、なんとか合流を試みる。
例えが悪いかもしれないが、餃子のタレに浮かぶ脂がくっつくようなイメージが千夜の脳裏に浮かぶ。
『ああ、チヨ、久しぶりだね。とても忙しいところをわざわざ来てもらって申し訳ないね』
千夜はアンリ=ルフェーブル監督に抱きしめられる。続けて1か月ほど前にロサンゼルスで会った、オリバー=ミラーとも抱き合う。
『先日はロサンゼルスで大変お世話になりました』
『いやあ、グラマフは凄かったね、最初の受賞を聞いてから会場に向かったんだけど、その後何度も名前を呼ばれていたから、これは会うのは無理だなと思って途中で引き返したんだ』
『それはすいませんでした』
そこに監督が割り込んできた。
『この私たちの周りの人達を見たらわかると思うけど、現時点での私たちの作品の評判は上々だ。私とオリバーの舞台挨拶は初日にしているけど、今日は千夜も含めたフルメンバー、3人でやろう。申し訳ないけど、今の衣装も素敵だけど、こちらで衣装を用意してあるから千夜には着替えて欲しい。あと1時間程だからそろそろ用意をしてほしいな。千夜は完成した作品を見たかい?』
完成版のDVDが送られてきたのはベルリナーレが始まってからだから、忙しすぎたので千夜は見ていない。だが流石にそれをそのまま伝えるのは失礼すぎるので、少し言葉を選ぶことにする。
『いえ、今日会場で見るのを楽しみにしていました』
だが現時点での作品の評価のおかげだろう、監督は上機嫌だ。むしろ千夜がまだ見てないことを喜んでくれる。
『それはよかった。じゃあ作品を最後まで……は無理か。まあ途中まで楽しんでもらって、そこから舞台に移動してくれればいい。申し訳ないけど、エンディングだけは端末を渡すから、先に確認しておいてほしい』
『わかりました』
もちろん千夜は飛行機の中で衣装はルイッチが用意してくれたオーダーメイドのドレスに着替えているし、髪もマスコミの前に出れる程度には整えてここにきている。だが、監督からの指示があるならしかたがない。早めに着替えに行くことにしよう。
そんなことを思っていると、またこの人間の塊に向かって、別の塊が近づいてきている。そしてまるで銀河と銀河が衝突するようにさらに大きな人の輪ができた。
新たに輪に加わったのは千夜も知っている名監督たちだ。
『彼女が今回の主役を務めてくれた マイヅル=チヨ だよ。チヨ、こちらは Arnav=Balakrishnan(アルナブ=バラクリシュナン)だ。ムンバイとハリウッドの要素を上手く取り入れている気鋭の監督だよ。それから……』
ルフェーブル監督が、彼ら彼女たちを紹介してくれる。幸い相手も千夜の事を知ってくれているので、スムーズに交流が進み、千夜の連絡先リストが増えていく。アメリカで撮影してくれた、マクラウス監督も来てるみたいだし、そのうち会えそうな気もする。
あとは俳優さんにも知り合いをいっぱい作りたいな。千夜みたいにギラギラしているかはともかく、同じように人脈を作りに来ている映画関係者は多いはずだ。いかにその人たちと人的ネットワークを築くかが、今回のドイツ訪問の目的のひとつだ。千夜はいろんな有名人たちと連絡先を交わした。
その後慌てて千夜は監督が用意した衣装に着替え、髪を整えた。それから、千夜が用意した小道具を所定の場所においてから。用意された劇場の最前列に座る。
1ヵ月近くある映画祭もそろそろ大詰め、この劇場の観客の多くは、この映画をもう何度も見たのではないだろうか。でも千夜は、自らが主演を務めたこの映画作品を初めて目にした。
都合上、モデルになった映画祭とはスケジュールをはじめ、本当にいろいろ違います。ご了承くださいませ。