105.静香の病院(3)
公的病院とは民間病院と対比する言葉になる。個人の医者や医療法人が経営しているのが民間病院。民間病院は当然ながら経営という概念が入って来る。補助金の対象になることはあるが、税制上などの優遇措置はない。
そして公的病院は、国立病院、地方公共団体による公立病院の他、日本赤十字社、済生会、厚生年金病院、労災病院、社会保険病院などがある。私立の大学病院の立ち位置は微妙ではあるが、補助金を受けたり、税制についても一部もしくはすべてが非課税になる点では公的病院に分類されるという考え方もあるだろう。
しかし、どのような優遇措置があったとしても、ほとんどの病院は経営状況があまりよくない。大規模な病院は多くの高い志を抱く、医者に限らず多くの医療従事者の献身によって成り立っている。大学病院ですら多くの無給医の存在がその運営を支えているのが実情だ。
例外は技量が高く患者がやってくる、あるいはやり手の経営者でもある先生が運営する個人病院ぐらいだ。もちろんその診療内容によっても違う。美容も含めてだが整形外科、小児科、皮膚科などが比較的粗利が高く、眼科や産婦人科などが低い。それらは統計の中で明らかな数字として表面化している。おそらくお産を扱っていない「婦人科」を除けばもっと少ないに違いない。
公的病院の小児科の先生は開業しようとするし、民間の病院から産科が無くなるのも無理はないと思う。
「こういった厳しい現実の中で、日々鋭意努力されている医療従事者の皆さま方には頭が下がります。ですが、私は初めから徹底してその逆を目指そうと思います。特定の患者の望みを全力で叶えることを目指します。ご存じかと思いますが、ウィッシーズと言う難病の子どもの夢を叶えるための団体があります。それの医学版を目指すとお考えいただければイメージが伝わるのではないかと。そしてそれは患者だけでなく、医者や、医学界全体に貢献できるのではないかと思います」
ウィッシーズというのは18歳未満の難病と闘っている子どもたちの夢をかなえ、闘病を続ける彼ら彼女らの精神面をかなえようとする世界的なボランティア団体のことだ。
試験官たちはしばしの沈黙の後、言葉を続けた。
「医者や医学界への貢献とは?」
静香はうなずいて話を続ける。
「その患者個人に最適な医療を施すということは、その特定の病気に精通した医師が数人必要になります。彼らにはその患者、あるいは患者群だけを担当してもらうことになります。病院としては医師の給与は当然払います。そして医者は雑事から解放し、そのライフワークとなる病魔との戦いに邁進してもらうことができます。その成果は医学界にフィードバックできるでしょう。将来的には症例ごとに複数のチームを動かすことを理想としております」
試験官は再び、天道受験生に訊ねた。
「しかしそれは、コストがかかりすぎる。保険診療をはみ出すこともあるだろうから、患者はその費用に耐えられないだろう」
彼女はうなずく。
「はい。ご指摘のとおりです。ですから私は保険診療ではなく自由診療を想定しております。そして収入はウィッシーズ同様、篤志家による寄付を想定しています」
篤志家? つまり金持ちの個人が社会的な義務として、あるいは大企業が宣伝のためにお金を出す? 現代ならクラウドファンディングという方法もあるかもしれない。そんな人間がいるなら、うちの病院に寄付をしてもらいたいと試験官たちは思った。
「そのように寄付金で賄うというのは甘すぎると言わざるを得ないですね。現実にはそのような人物や団体はごく少数です」
天道受験生はまたうなずいた。
「おっしゃるとおりです。個人にせよ企業にせよ、潤沢な寄付金を頂くには相応の努力や人脈が必要です。ですが実際にお金を持て余している人もいます。例えば私のように。また私の友人やスポンサーの方々のように」
そこで試験官たちは気づかされた。目の前の少女がいったいどれだけの資産を持っているのかはわからない。だがどちらかというと世間一般で言うと裕福な試験官3人の財産を足しても、この目の前の少女の年収に及ばないかもしれない。歌手として既に世界的な名声を既に手にしている。女性として初めて棋士になり、それから1年に満たない間に32連勝などの社会的なブームを何度かひきおこし既に六段まで昇段。五段を称していたのはわずか8日間。そしてそれらに時間を取られているせいか、女優としての露出度は低いが、銀幕での存在感は決して小さくない。
そして、彼女が国内外に持つセレブリティの友人たち、そして彼女を支援する企業群。そして世界中にいる膨大な数のファンたち。彼女が何かを始めようとした時に彼女を取り巻く人たちはどのように動くだろうか?
「こういう考え方は不遜だと思うのですが、お金が潤沢にあれば、患者も医者も闘病や研究に専念できるのではないかと思います。ですが、そういった病院をこの国で作るためには自身が医者である必要があります。そして私の医者としての役割は、主に資金集めになるのではないかと思います」
この受験生をいったいどう判断すれば良いのだろう。彼らの判断できる範囲を超えていた。そして理事長が彼女を合格にするようにと指示したことについて初めて感謝した。