104.静香の病院(2)
仕事はさっさと終わらせるに限る。試験官は最初の雑談が終わるといきなり核心から入った。
「ではまず、私どもの医学部を志望した動機を教えてください」
そう質問しながらも、試験官たちは天道静香受験生の答えを予め知っていた。ほかならぬ彼女自身……舞鶴千夜名義ではあるが……がCMの中で高らかに宣言している。彼女はCMの中で、日本を代表する疫病の研究者と対談し、その現場を見学し、その崇高な使命について詳細に理解していた。
『私は疫学を学び、世界から疫病をひとつでも根絶することを目指したいと思います』
CMだとその一言に集約されていたが、おそらく間合塾が総力を挙げて梃入れしているだろうから、これから模範解答に近いものが展開されるのだろう。だが、天道受験生から飛び出した言葉は試験官の予想とは程遠いものだった。
「私が医学部を志した理由を一言にまとめますと、私の理想である個別の患者に完全にカスタマイズした医療を行うことが可能な病院を作るためです」
個別の患者にカスタマイズした医療?
病院を作る?
試験官たちが予想していなかった言葉を聞き、彼らは相対する彼女の冒しがたい美貌を凝視した後、気まずそうにその視線を避けた。
「天道さんが先ほどおっしゃった、『個別の患者にカスタマイズした医療』とはどういうことですか?」
彼女はその凛とした声で躊躇なく答えた。
「文字通り、特定の患者の価値観を尊重し、それにそった医療を施すことです。そしてそのために取り得るすべての手段を行う、ということです」
試験官たちは黙り込んだ。彼女の思想は現在の医療とは全く別の方向性を向いている。
「つまり特定の富裕層やVIPに特化した病院を作ろうということですか?」
言ってしまってから試験官は自分の失敗を悟った。試験官が受験生の論理を飛躍させて理解してどうする。
「私の考えている『特定の患者』は先生がおっしゃったものと大きく異なりますが、患者へのアプローチは概ね同意します」
つまり選ばれたものに特化した医療を行う。その他の患者は切り捨てる、それを理想とした歪な病院を作り上げる。彼女はそう言ったに等しい。これは医者としての重大な欠格事由に当たるのではないだろうか?
黙り込んでしまった試験官にとって幸いなことに、これまで黙っていた教授が話を続けてくれた。
「私は患者を選別するというのは危険ではないかと思うが、天道さんはどう思いますか?」
それについても彼女はよどみなく答える。
「同意します。公的病院は患者を選別するべきではありません。しかし残念ながら、事実、各種資源の問題で事実上大なり小なり患者を選別しているのが現状だと考えております。ましてや民間病院においては、よりその資源格差が大きいのではないでしょうか」
患者の選別と言えばトリアージが真っ先に挙げられるが、さすがにこれら、大規模災害などへの対応は例外と言うべきだろう。
天道受験生が言う資源というものは医者や看護師、技師などの人的資源。人数だけでなく、かれらが無理なく仕事ができる時間も含む。そして普通のベッドから、高額な医療機器に到るまでの設備を調達する費用、当然それらを設置するスペースも必要だ。
そして、治療や投薬には公的私的な保険があって、それらは複雑に絡み合い、膨大な事務処理をも生み出す。カルテだってそうだ。小さな病院だとまだ手作業で行っているところもあるし、大きな病院であればシステム化されているが、そうするとそのシステムにも当然購入や保守、リース費用、あるいは故障対応などが必要になる。
伝染病、紹介状、救急車、学会、セカンドオピニオン、論文、害虫の発生、新たな病気、新たな治療法、新薬、新たな医療機器。世界的な気候変動、世界各地の紛争、為替レート、近場での大規模火災や大きな事故の発生、院内感染、患者の予想外の行動、業者との癒着やその発見、医療ミス、裁判、病院内の勢力争いや人間関係、複雑でかつ夜ごと日ごとに変わる医療行政や福祉制度。無責任に批判するマスコミや無関係なのに電話してくる人々への対応。これらが病院の中外に渦巻いて、それは時間や心理的なコストとなって病院を蝕む。
そうするとどうしても一つの病院で見れる患者の数、病気の数、できる検査の数、出す薬の数、それらひとつひとつがひとりの患者に対してできることを狭めていく。残念ながらそれが現実だ。
だが、それでもできる限り患者に線を引くべきではない。そういう思いで多くの医療従事者が、自らやその家族を犠牲にしながら、今日も医療現場は動いている。それは公的病院も民間病院でも一緒だ。