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みんなで私の背中を推して  作者: 多手ててと
前編:高校生編
103/285

103.静香の病院(1)

静香は廊下にある椅子に座り、何も考えずにただ座っていた。何も考えずに時間を過ごすことについては、もしかしたら世界一かもしれないと思ったこともある。もちろんそれを考えたのは今ではない。


そして、その思考の空白は他の人間によって破られた。椅子の前にあるドアから1人の男性が出て来ると、静香の名を呼んだ。そこで静香の思考は現実に引き戻され、口には返事をするように、足には立ち上がるように命じた。そして静香は歩いてドアを開けた。



だが世の中には、絶えずいろんなことを考え続けなければならない人間の方が多い。静香が入室する直前の室内がどうだったのか、時間を少し巻き戻す。


「では我々の結論として先ほどの学生の一次評価はこのようにする」


この場の責任者である教授がそのように結論づけた。彼らが下した評価とそのプロセスは、後程他の委員会メンバーによって検証されるので、逆転がないとは言えない。だが、一次試験の成績をひっくり返す程の「なにか」を見つけることはできなかったので、合格することはまずないだろう。


「次が例の受験生だな」


「楽でいいじゃないですか。もう合格させることは決まっているんでしょう? 私は人の人生をこういう形で左右させることには向いてないので、ここで息抜きをさせてもらうつもりです」


次の受験生については、出願時点で理事長から合格させるように指示がでていた。なんといってもその受験生が持つネームバリューが大きい。大きすぎる。もともと名門の医大であるにも関わらず、彼女が受験したということだけが、一般のニュースに取り上げられて放送される。そして出願時の段階で、都内の名門医大という特殊な存在であるにも関わらず、入試倍率に影響を与えるほどの存在感を持っている。


もちろん受験生が複数の大学に受かった場合の選択権はあるので、彼女がこの大学に通うかどうかまではわからない。だからこの大学に良い印象を受験生に与えるようにとまで理事長からは指示が出た。特待生にできないか? などとの命令に近いような示唆まであった。これを聞いて同僚の誰もが彼女の試験官になるのを嫌がった。


当然ながら学長は理事長に反論した。どんな有名人であっても、資質に欠けるものを本校に迎え入れることはできないと。だが理事長はなかなか引き下がらず、議論は平行線のままで物別れになった。


だが、蓋を開けてみれば一次試験の結果はなんと首席。それを耳にした理事長と学長は、どちらも胸を撫でおろしたという。これでもう無用な内部対立は必要はない。このように明確な数字があれば、あとは普通の人格を持っていることを再確認できれば、落とす理由は何ひとつない。


「そうかな? 私は逆に訊ねることがなくて困るんだけどね」


彼ら面接官が受験生に聞く内容はだいたい決まっている。


医師として、またこの大学への志望動機

将来の進路

学費の問題

円滑なコミュニケーションが可能かどうかを探る問い

人格、ストレス耐性、そして熱意


だが、その受験生に限って言うならば、それらについて試験官たちは既に知っていた。志望動機や将来の進路についてはCMで流れている。財産やコミュニケーション力については、彼女より高いと自信を持って言える教授や准教授は誰もいないだろう。人格についても広く知られているし、挫折から栄光を勝ち取ったことも広く知られている。そして仮にそれらすべてが虚構だったとしても、試験官たちにその嘘を見抜くことはできないだろう。彼女は本職の女優なのだから。


懸念事項としては彼女は既に仕事を持っているので忙しすぎることだ。医学部は必修科目が多く実習だって多い。そして単位をひとつでも落とせば即留年となる。


だが、この時点では彼女が留年するかどうかなど、彼女自身含め誰にもわかるはずがないのだから考慮することはできない。下手に突っついて、受験は仕事なので一応しますけれど、芸能活動が忙しいのでどの大学にも入学するつもりはありません、などと言われでもすれば、さすがに不合格にせざるを得なくなる。


そういった背景があるため、ある意味試験官たちの方が異常な状況だったと言って良いかもしれない。


「私立聖瑞庵高校3年、天道静香です。入室させて頂きます」


問題の受験生が入って来た。


彼女を迎え入れた同僚が隣に座った。まず受験生用の椅子に座ることを勧められて腰をかける。幼い頃から将棋の世界で鍛えられているからだろう。その所作と姿勢はむしろその顔やスタイルなどの外見よりも美しいと言える。


それから形通りのやりとりがされる。目の前の受験生を落ち着かせようとする配慮であり、全員に行っているものだが、目の前の彼女は入室前から全然緊張も、逆に弛緩もしている様子も見受けられなかった。


彼女はひとりの人間とひとつの木板を挟んでにらみ合い、言葉を用いず、それでいて濃密なコミュニケーションを、場合によっては10時間以上集中して過ごすことを日常としている。それは困難な手術の施術に通じるものがある。


その一方で彼女は5000人、ネットを合わせればそれこそ何十万という聴衆の前で、少数の仲間と、時にはただ独りでパフォーマンスを行うことも珍しくない。目の前にいる人数というのは恐ろしいもので、その物理的な圧力はそれだけでしばしば人の思考を奪う。自分に関心のない観衆であってもそうなのに、ましてや自分の一挙手一投足に注目されているとなればなおさらだろう。だからたった3人を相手にすることに、彼女はまったく痛痒を感じていないだろう。


こうして心理上ではどちらが試験官か判らないという、天道静香の恵愛堂医科大学、入学試験の2次試験が始まった。

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