8.それでも作る
陽空は花恋と一緒に朝登校するのを止めた。
花恋は陽空のうちで夕飯を食べることも何かと理由をつけて断るようになった。学校でもお互い会うこともなくなった。
「はあ。気合い入れて今シーズン最後のアップルパイ作るか」
花恋に食べさせなくても、食べたい人はたくさんいた。
整理券も配っていた。
せめて頼まれた分だけは責任は果たさなければならない。陽空は機械的に慣れた動作を繰り返す。
陽空たちがアップルパイを配るのはりんごがスーパーで買える9月の中頃から4月頃にしていた。今年はこれで最後。陽空は来年はもうやらないと決めていた。やる意味がなくなった。
「これも違うな。思い出の味で美化されてるのか」
食べなくても何となくわかった。最後の決め手に欠けている。サクサクふわっとして花恋と並んで食べたあの味。花恋のとろけるような笑顔が幸せだった。
「おれはほんとばかだな。小さい頃好きだって今も好きだとは限らない。そんなこともわからないのか」
陽空自身、保育園の頃はレトルトの子供向けのミートボールが大好きだった。
しかし母からほとんど毎朝出されているうちに飽きて嫌いになった。なんで花恋がアップルパイを飽きないと思っていたのか。
陽空は自嘲した。
「ラッピングできたよー」
「じゃあ陽空、配ってくるな」
「ああ良太、美香。頼むよ」
美香は次の朝、「おはよ!」とふだん通りに挨拶してきた。目を真っ赤にはらしてまぶたは重そうだった。日々が経つうち、何とか元通りになっていた。
美香は強い。俺はだめだ。
陽空は花恋の顔をまともに見れないし、むしろ徹底的に避けていた。調理室の窓ごしに校庭を見ると、サッカー部が走っているのが見えた。日差しが強くて暑い。体育館も蒸し暑いだろうなと無意識に花恋の居るバスケ部のことを思った。陽空は花恋のことが気になっていたが、自分のアップルパイ作りを否定されたことが心の傷になっていた。いまだに好きな気持ち、今までの楽しかった日々の記憶が陽空を苦しる。
「ほんとおれはばかだよな」
誰とも付き合わなかった完全無欠の生徒会長がバスケ部の三沢花恋と交際しているというウワサは校内にあっという間に広がった。
陽空が花恋に片思いしてアップルパイを作っていたこともそれなりに有名だったため、陽空が長瀬について何を言っても失恋の腹いせに悪口を言っているとしかとられなかった。
風の噂で、陽空は花恋が「二股女」「生徒会長にはふさわしくない」と責められ、ひと悶着あったことを聞いた。居ても立っても居られなくなったが、良太と美香から長瀬が何とかするだろうと止められた。
じりじりと何できないまま、夏休みに入った。
「パン焦げるよ!」
「……おう」
陽空は遅く起き出して自分でパンを焼いていた。トースターの前で、焦げた匂いがしてきても働かない頭で出さずにぼおっと見ていたら、母から一喝された。もそもそと何もつけずに食パンをかじり、苦すぎるブラックコーヒーで流し込んだ。
克美も自分のコーヒーを注いでテーブルの向かい側に座った。
「最近全然花恋ちゃんち行かないけど、けんかでもしたのかい?」
「そんなんじゃねえ」
陽空がずっと避けていた話題だった。
「じゃあ、思い余って手でも出したか」
「そんなわけねえだろ!」
「じゃあ、あの子可愛いから彼氏でも出来たか。振られたね」
「……わるいかよ」
「何よその反応。まさかおまえあんなに好き好きアピールしてたのに、花恋ちゃんに逃げられたのかい?」
「はあ。母ちゃんにもばればれだったのかよ」
「あんな分かりやすいのにばれてないわけないだろう」
4月の頃でなく夏休みにもなって時間が空いたせいか、陽空も多少気持ちに余裕が出ていた。じゅくじゅくとした生傷に薄いかさぶたが貼ったくらいには耐えられた。
それでも痛くないわけでない。会話をしなくて済むように、ぱくっと食パンをもうひとかじりした。
「バターもジャムもつけないでよく食べられるね」
克美は呆れたようにつぶやいた。陽空もこのまま話題が変わればいいと思ったが、ふいに記憶の底をちりっとなにかがまたたいた。
いつかの花恋のキッチン。
カウンター越しに奈津美さんの笑顔。
カウンターの上。花恋の大好きなクマのぬいぐるみのとなり。
食パン。
「あれ? 花恋んちって朝はご飯党だよな」
「なんだい急に」
「ほら俺が遊びに行くとさ、いつもまだ花恋ご飯食べてて……」
「ああ、花恋ちゃんのお父さん、若いのに大の和食派だって言ってたね。おばあちゃん子だったからとか、うちのお父さんはなんでもいいから楽なんだけど」
途中から母親の言葉を聞き流して、陽空は理由を探した。小さかったから全然気にしてなかった。
花恋んちは洋風のおしゃれなインテリアだった。たぶん奈津子さんの趣味だ。でもご飯は基本的に和食だった。陽空の家はパンですぐに食べ終わって花恋の家に行くと、食べるのが遅い花恋がまだ食べていた。
じゃあ、あの食パンていつ食べるんだ?
「もしかしてアップルパイに入れてたのかな」
「はあ? なんでお父さんから急にアップルパイの話になるんだい?」
母親からしてみたら意味不明の会話の転換だが、陽空は持論の展開に夢中だ。
もしかして。いや聞いたことがない。でも。もしかしたら。
「だから! ほらパン粉入れたりするじゃん! パイがべちゃっとしないようにさ」
「ふうん? まあ母ちゃんは聞いたことないけど」
克美が手伝ったのは小学生の頃の数回のみだった。あまり料理が得意でなくおおざっぱな克美が覚えていないのも無理がなかった。陽空は背中から駆けあがる興奮に指先が震えてきた。
「リンゴとパイ生地の間に食パンをいれて……だからふわっとなんだ」
さくさくだけじゃないふわっと軽い食感は食パンがリンゴから出る水分を吸収してパイ生地を生焼けにさせないから。やっと正解にたどり着いた直感があった。
「奈津子さんのレシピ俺分かったかも!」
「なんだって? あーそりゃすごいね」
新聞の広告を見ながら、克美は気のない相づちを打った。