20.チケットは転売禁止
「校長の顔おっかしかったな!」
良太が思い出し笑いをした。陽空たちは学校を後にしてときどき行くカラオケに来ていた。フリードリングをそれぞれ選んで乾杯した。
「最後ね、わたし全然陽空が何しようとしてたか分からなかったからびっくりしたよ! 陽空すごい! 美香ちゃんすごい! みんなすごい!」
花恋が酔ってもいないのに上機嫌でくすくす笑った。
「ジュースだよな?」
陽空が花恋のオレンジジュースを取り上げたのを美香がさらに横からうばって一口確かめる。
「ジュースだよ」
「ちょっと二人とも失礼じゃない?」
花恋はぷーっとふくれてみせた。美香と陽空が同時に吹き出す。一件落着して緊張がとれて今日はもう笑いのテンションがおかしかった。
陽空と良太が大活躍して校長たちにサッカー部の顧問はもちろん学校側として正式に被害者に謝罪すること、一連の騒動の加害者はすべてしかるべき処分を下すことを約束させ、校長に非公式の念書を書かせた。長瀬にも、長瀬が助けてくれると信じて密告した被害者たちにアンケートを捨てたことを告白して謝罪することを約束させた。
「それにしても生徒会長があんなにうろたえたの初めて見たよ。だっさ」
ひとしきり笑ってから美香が吐き捨てた。
「ねえ? 花恋ちゃんも目が覚めたでしょ? 自分の気持ちにウソついて、好きな相手をすっごい傷つけたのちゃんと反省した?」
美香が花恋をじっと見つめる。陽空も良太も息をのんだ。花恋の顔から笑顔が消えて真顔になった。「美香のもジュースだよな」「ああ」こそこそと陽空と良太は確認する。
「うん。本当にごめんね。みんなにはちゃんと聞けばよかったし、わたしが暴走したせいで迷惑をかけた……って、え?! 好きな相手って陽空?!」
花恋は素直に頭を下げたが、途中で後半部分に気づいて慌てだした。
「おっそ!」
「おそいわ!」
「だがそこが良い」
美香と良太からつっこみがはいり、陽空は一人のろける。陽空は美香と良太からジト目でにらまれた。花恋は顔を真っ赤にしてあわあわしていた。
「あのさ、美香ちゃんなんで今なんで急に好きな相手とか言い出すの?!」
「なんでって全部終わったいま、花恋ちゃんが何を考えるのか一番知りたいから。花恋ちゃん、陽空のことが好きでしょ? 4月のあの時も独占欲丸出しだったじゃん」
「う」
美香の迫力に飲まれ、陽空も良太も口が出せない。陽空はまだ花恋から答えは聞いていなかった。でも自分のことは好きで両想いなんだろうとは確信はあった。
花恋は美香から言われ、良太と陽空からも興味津々でみつめられ逃げ場がないことをさとった。
「……うん。わたし、あのとき美香ちゃんに陽空を渡したくなかった。おかしいよね? 自分は長瀬くんとつきあうふりをしようとしてたのに。でも兄弟とか家族とか、もう自分の気持ちごまかせないよ。ちゃんと陽空が好き、だと思う。男として……?」
「おいそこなんで疑問形なんだよ?! どんどん声ちっさくなってるし」
陽空はつっこんだ。
「うー! やっぱわかんない! 家族で居たい! だって今は幸せなの!」
花恋が思考を放棄する。4月までのぬるま湯のような家族ごっこは花恋にとって幸せ過ぎた。陽空にとってはじれったい日々だったが。花恋は戻れるなら家族が良かった。
「あ! それもいいね。やっぱり陽空は弟のままで居てくれたら現状維持じゃん?」
美香がにやりと笑ってぱんっと手を叩いた。自分の欲望が見えるすがすがしいくらい悪い笑顔だ。陽空は苦笑する。
「はあ? ここまできてかよ。なしなし」
良太がダメだしした。
「うううでもさー!」
「でもじゃねえ。花恋ちゃんさ往生際って言葉知ってる?」
「わかるけどー!!!」
「処置なしだなこれ」
かたくなに認めない花恋に良太がさっさと諦めた。陽空は仕方ないと、ため息をついた。ダメなところがあってもホレた弱みがあった。好きな子がいじられていればむしろ自分がいじりたい。
「じゃあ俺が誰か別のこと付き合っても幸せ?」
陽空が花恋の前にしゃがみこんで上目づかいに見あげた。
「え。い、いや」
陽空から助け舟でなく、想定外の質問されて反射的に花恋は否定する。
「おかしいよね? 家族なら付き合ったりしないよね? 恋愛は別の人とだよね? 違うかな?」
陽空はにっこりと笑顔で花恋を追い詰めていく。
「うん。あ、家族なら。あ、でも。いや。いやだけど。でもわかんない! そんないじわる言わないで!」
「いじわるは花恋だろ。俺の気持ち知ってて残酷じゃない?」
花恋は押しと理詰めに弱い。陽空はそれを今回の一件で十分に学んでいた。自分ならこの場で返事を引き出すことも間違いなくできる。
だが陽空はやっぱり待つことにした。花恋はちょろいがときどきあさっての方向に暴走する。だから泣きださんばかりに目がうるんだ花恋をこれ以上追い詰めるのは、今は止める。
「じゃあこうしよう」
「え?」
にやっと陽空はいたずらっぽく笑った。良太のトートバックからごそごそと使っていない抽選の当選チケットを出す。
「俺たち二人とも売約済みにしよう」
チケットの当選者欄に「三沢花恋」と書き込む。アップルパイの文字の脇に「+後藤陽空」と書き込んだ。
「これは花恋が持ってて。このチケットは転売禁止だから俺はもうこれで花恋のものだ」
陽空が花恋の前に差し出すと、花恋は何も言わずに受け取り、ぎゅっとにぎりしめた。陽空は白紙のチケットを一枚、ボールペンとともに花恋の前のテーブルの上に置いた。
「花恋も書いてくれる?」
「わ、わかった」
陽空にうながされて、花恋がボールペンをとる。震える手で当選者に「後藤陽空」と名前を書き込んだ。花恋は「わたし食べるの専門だから」と言いながらアップルパイを二重線で消して「三沢花恋」と書いた。
「これむしろ普通の告白より恥ずかしくね?」
「だまれ良太」
陽空は良太に裏拳をたたきこみ物理的にだまらせた。花恋が書き終えたチケットを陽空はさっさと財布にしまう。
花恋にむかって満面の笑みをうかべた。陽空は暗示をかけるつもりでダメ押しをする。
「ほらこれなら安心じゃない? 花恋はもうふりだろうはなんだろうが、俺以外とつきあっちゃダメだ。つきあうなら俺だけ。いいね? はい返事は?」
「……はっはい。ん? あれ」
「よくできました。これで大丈夫だよ」
陽空はポンポンと花恋の頭を撫でて安心させる。
「花恋ちゃんってほんとちょっと頭は残念だよね」
「ちょっとじゃねえだろ。あれは陽空じゃないと無理」
こそこそと美香と回復した良太が話し合っていたが、陽空は花恋の頭をなでていた手をそれとなく移動して耳をふさいだ。
「俺が納得しているんだからいいんだよ」
べっと二人に向かって振り返ると舌を出した。
「なになに? 聞こえないけど」
「ん? 大丈夫だよ。ほら花恋、無くさないようにチケット財布にもいれておいたら?」
「あっそうだね」
花恋がカバンから財布を出してしまう。
四月からいままでの半年間は陽空にとってジェットコースターみたいだった。お互いの財布にしまい込まれた新しいお守りが心強く、ようやく昔のような幸せが戻ってきたことの実感がわいた。
「もうあせることはないな。いままでの現状維持みたいに見えるけど確実に進んだよな」
パイづくりと同じだ。焦ることはない。寝かせて美味しくする時間も必要だ。幸せのレシピはもう手に入ったのだから。
陽空はもう少しだけ甘酸っぱいじれじれの日々を楽しむことにした。