19.勝ちに行く(対決・後編)
重ねられた資料に圧倒されて三年の学年主任は黙り込んだ。それから動揺してきょろきょろと他の教師の様子をうかがった。校長はさっと目を伏せた。ここまで陽空たちが本格的にやっているのは知らなかったのだろう。長瀬ですらあぜんとした顔をしていた。
ざまあみろ。陽空は胸がすく思いだった。
「俺たちのアップルパイ作りはもともと俺の個人的な事情ではじまりました。だけど、誰か他人に食べさせるならきちんとすべきだと思ったんで、俺たちが出来る最大の努力をしています。非難されるいわれはありません」
最初は陽空一人だった。人気が出るにつれて良太や美香が協力してくれた。一緒に悩み、いろいろ試してきた。陽空は自分一人じゃないことが誇らしかった。
長瀬は教師たちの脇に座っているが、一人だ。
そうか。長瀬は友達が居ないんだ。陽空は気づいた。
いかに優秀でもだれか本気になってかばってくれたり、ぶつかってくれたりする親友が誰も居ない。出来ないんだ。あわれなやつだな。優秀だったから外側だけほめられて中身だけがくさっていったんだ。
「……こ、校長先生公認だったなんて、校長先生も早くおっしゃってくださいよ。まあ後藤くん、君たちがちゃんと考えてやっていることはよくわかったよ。資料を出してくれてありがとう」
三年の学年主任が自分の発言をとりつくろいだした。資料の裏には資格を持った保護者がいることも察したらしい。
「ええと、アンケートの話だけれど後藤くんが手伝ったということでいいよね」
教頭がぽろりと無防備に本音を出した。明らかな失言に校長が教頭をにらみつけたが遅かった。
「俺はいっさい手伝ってません。それに長瀬だって集計していないです。出来るはずがない」
「陽空くん、いったい何を言いだすんだ? どうなってもいいのか?」
長瀬がするどく口をはさんだ。だれがどうなるかは言わないが、もちろん花恋をさしているのはわかった。昼休みに花恋と和解した以上、陽空に怖いことはなかった。
「アンケートの量、うちの担任の片桐先生が俺に手伝えって言うくらい多かったですよね? だって一クラス四十人として一学年、6クラス分だ。全員が出さなかったとしても700人以上の枚数があるはずなのにアンケートを集めた当日、21日はもう夕方でもうすぐ全員下校の時間だった」
陽空はアップルパイを作ってから日誌と一緒に持って職員室に行ったことを覚えていた。
「22日。次の日、長瀬……生徒会長が駅前のカフェに居るのを俺と美香が見ています。美香が頼んだレモンパフェの写真を撮っていたので時間もわかります。なんならカフェの防犯カメラで確認することだって出来るだろうし。俺だったらアンケートを出来るはずないし、当然長瀬も出来るはずがない」
陽空はちらっと長瀬の顔色をうかがった。長瀬は表情のない能面のような顔をしていた。
「アンケートの提出日だって言う23日は、俺はアップルパイを作っていたけど、提出したこのワード文書のファイルの作成時間を見せて欲しい。若しくは集計データの表。700人以上のアンケートを手作業で集計なんて一日で出来るはずがないし、エクセルで集計したとしても一次データを残してないわけないんだ。家に持ち帰ってやったって言い訳したとしてもパソコンの履歴をたどればすぐわかるはずだ」
長瀬は何も言わなかった。ただ無表情で座っていた。教師たちがざわついてお互いにどうするか小声で話し始めた。
「後藤くん、君の意見はよくわかった。アンケートの件は誤解していたようだ。すまなかったね。どうやら君は無関係のようだ。もう帰ってもいいよ」
少しの話し合いを終えた校長が陽空にむかって、何事もなかったかのように言ってきた。
いくらなんでもそれは面の皮が厚すぎるだろ? と陽空は思った。さて徹底的に行こうか。
「じゃあ長瀬は故意にアンケートを捨てたってことを認めてください! 捨てた責任、長瀬が責任とるんですよね?!」
陽空は声を張り上げた。
「いや、最初に言った通り、これはヒューマンエラーというか、誰にでも起こりうるミスだからね。誰がやったとしてもとがめたりしないし、しょうがないことだ。もし万が一長瀬くんがちゃんと集計したのにも関わらず見逃しがあったとしてもしょうがない。今後気を付ける課題になるだけだ」
三年の学年主任が長瀬を擁護する。陽空は「長瀬が故意にしたとしても不問する」という学校側の強い意図を感じとった。
当然認められなかった。
「だけど、これはミスじゃない! 長瀬は確信犯です! 俺は捨てるところを見ましたし、見たことを脅されました! 俺がばらしたら三沢花恋がどうなっても良いのかと言われてました!」
「ちょっと後藤くん落ち着いてくれ。外にも聞こえてしま……」
三年の学年主任が止めに入るが陽空の狙いはそれだった。学年主任が言い終わるかどうかのうちに会議室の扉があいた。
「陽空! 聞こえたぞ!」
「連れてきたよ!」
「長瀬くん、陽空に脅しをかけていたなんて最低!」
なだれ込んできたのは、良太と美香、そして花恋だった。三者が三様にしゃべってなにをいっているかいまいち分からなかったが陽空は味方は増えたことが心強かった。
「君たちは許可なくなんだね?!」
教頭が追い出そうとするが、花恋はすり抜けて長瀬の前に立った。
「わたしばかだった。本当に信じるべきだった陽空を信じないで長瀬くんの言うこと信じてたけど、もうだまされない。わたしもう長瀬くんとつきあっているふりしないから!」
花恋は長瀬に向かって言い放った。長瀬の顔色が変わる。陽空も他の誰も見たこともない歪んだ顔をしていた。
「ふざけるな……きみみたいな頭の悪いメス犬が僕をふる? 絶対に認めないぞ! 僕は完璧なんだ! 僕の前で別の誰かをほめるな! 僕にもっとこびへつらえよ!!」
イスから乱暴に立ち上がり、テーブルに両手を叩きつけた。ブチ切れた長瀬の醜態に会議室はしんと静まり返った。
「……っさ、最低……」
花恋がつぶやく声が響く。長瀬がはっと我に返った。ここがどこで何をしているか思い出して、青ざめていく。
「あ……すみません、あの取り乱しました……」
それだけ言うのがやっとで長瀬はへなへなと座り込む。花恋は校長に向きなおった。
「校長先生! わたしは陽空……後藤陽空から4月のときに長瀬くんがアンケートを捨てたとはっきり聞いたことを証言します!」
「……校長先生、俺が無関係ないのはもう十分理解してもらえたと思うんですが、今の長瀬のことはどう思いますか?」
花恋の援護射撃を受けた陽空は余裕をもってゆっくりと区切りながら質問した。
「まあ長瀬くんもAIでなく人間らしい、熱い男だったということかな。今はまだ何とも言えないが、話し合って検討させてもらうよ」
校長の煮え切らない言葉に、陽空は怒りをのみこんだ。
徹底的にやってやる。校長たちにもお灸をすえてやる。
陽空はいったんうつむくとぱんっと両手を叩いた。そしてにぱっと人好きのする笑顔を浮かべてがらっと明るい口調に変える。
「まあそうですかわかりました! 俺も長瀬でも失態をおかしちゃうのを見て完璧な人間っていないんだなって安心しました」
びっくりした花恋を陽空は無視して笑顔をはりつけ軽い口調で話し続ける。
「あー、えっと俺の言い方が悪くて誤解させちゃったかもしれませんね。長瀬も受験生なのに一人であんな集計とか大変でちょっと楽しようとしても仕方ないかなって俺思うんですよ。人間なんだから」
「陽空何言いだすの?」
教師達もとまどっているが無視する。長瀬だけが何事かといぶかしげだが無視する。
陽空は道化に徹する。
「こんな大さわぎになって内心、長瀬もビビりまくってると思うんです。校長先生たちは俺にミスは問わないと言ってくれたじゃないですか? 長瀬にも何の罰も与えないってことですよね?」
「あ、ああそうだね。一人に負担をかけすぎたこちらにも責任があるからね」
校長も教師達も明らかにほっとした様子だった。自分達のが得たかった「アンケートのミスは後藤陽空によるもの」という結果ではないが、最低限の落としどころ「アンケートは故意でなくミス」まで持ってこれれば成功と言っても良かった。
長瀬を何の瑕疵もなく受験に送り出せれば問題はないのだから。
うんうんと軽い調子でうなづき陽空がまた問いかける。
「ですよねー? 誰か一人にまかせっきりじゃチェック体制がうまくいかないですもんね」
「ああ、そうだね」
校長はようやくこれで面倒ごとが一つ片付いたとばかりふうと大きく息を吐いた。よくわからないが終わったのか、とほんの少し場の空気がゆるむ。陽空はにっこりと労わるような笑顔を浮かべた。
「校長先生もお疲れさまでした。色々大変ですよねぇ。長瀬生徒会長の件はこれで終わりで、何にもなしでいいですか?」
「まあ、そうだね。そうなるかな」
陽空の意図を計りかねるように校長は慎重に返事をした。美香は何かを察したのかすっと陽空の脇に立った。
「校長先生ってすごいんですね! 授業とか無いから何しているのかなって思ってたけど、大変な時に大活躍するんですね! すっごいかっこいいです!」
美香がにっこりと無邪気な笑顔で校長をほめたたえる。
「ああ、そうだね。授業をしていなくてもやることはたくさんあるんだよ」
「わあ、先生たちってほんと頼もしくてすてきですね!」
可愛い女子高生からわざとらしいほど称賛されて、校長の顔がゆるんだ。教頭や学年主任も顔のこわばりがとける。陽空は「ちょろい」と思った。
「じゃあサッカー部の顧問の責任も何にもなしの、もみ消しですか?」
さらっと同じ口調でさりげなく問いかける。
「ああ、そうだね。いや、ちょっと待ってくれ何の話だ?」
校長は慌てて問い返したが、遅かった。陽空は答えずトートバックから小型の機械を取り出した。教師たちの顔色が変わる。
「校長先生、すみませんが録音させてもらってました。今の会話、サッカー部の被害を受けた一年生の親はどう思うんでしょうね?」
次話完結です(*´▽`*)