17.和解
昼休み終了のチャイムとともに教室に戻った。良太が待ち構えていて声をかけてきた。
「おかえり! 陽空は先生が探してたぞ。たぶん例の話の関連だと思う」
「まじか」
「ああ。準備が間に合ってよかった。で? どうだった? その様子じゃうまくいったんだろ?」
陽空は見るからにニコニコとご機嫌で良太もニヤッと笑いがでた。
「手作りチョコあげてなかった!」
「陽空、まず言うのそれかよ」
「だってさ、そこが気になるじゃん」
「陽空らしいな」
良太は笑った。
「ああじゃあ、調理実習のやつだったんだ?」
「そ」
美香はすでに三年女子から情報を聞いていたらしく、すぐに反応を返した。陽空はご飯を食べていたときの会話を思い出す。
「でも花恋、長瀬のこと好きだったんじゃないのか? 長瀬が手作りチョコもらったって言ってたけど」
「手作りチョコ?」
陽空が問いかけると、花恋はきょとんとした。
「あげたんだろ長瀬に」
「ええ?」
花恋が本気でわからないように首をかしげる。
「あげた覚えないけど? うーん。あ。バレンタインのあたり女子の選択の家庭科でチョコクッキー作ったこと言っているのかな。男子全員に渡したけど、個人的には渡してないよ」
「……あの野郎」
手作りであることは間違っていない。チョコ(クッキー)も間違いない。ただ男子全員という情報を長瀬が意図的に伏せただけだ。
「長瀬くん、たまたま職員室で会っただけなのに面倒なアンケートの集計をいやがらずに手伝ってくれてなんて良い子だろうって思ったって最初言ってた。それから生徒会長だからもともと陽空たちのアップルパイ作りの話を聞いてたって。どんな悪いやつらだろうと思ってたら全然違って驚いたんだって」
「は。よく言うわ」
「長瀬くんいろんな法律とか知っててね、それに学生が無許可でやっていることで食中毒とか出したらどう責任取るつもりなのかなって言われて。そんなこと言われたら怖いし、わたしのアップルパイのせいでこれ以上陽空に迷惑がかかったらと思うともうどうしていいかわからなくて」
長瀬は狡猾だ。花恋の前では陽空のことをたくさんほめた。元々、長瀬と花恋は同級生で、お互いをそれなりに知っている。長瀬は生徒会長で誰もが知る好人物だった。
花恋からも当然悪い印象を持たれていない。花恋はその長瀬が陽空の知り合いであることを知った。陽空をほめることで花恋を喜ばせ警戒心を解いた。
その上で過剰な不安をあおり、自分なら助けられると花恋をだました。
花恋の中にあったうす暗く屈折した感情と長瀬の目的が合致した。
「わたしは自分がどうなってもいいから、陽空たちが楽しくアップルパイを作っていられたら良かったと思ってた。でもあとから長瀬くんに陽空はほんとはアップルパイを作るのいやだったって聞いてなにがなんだかわからなくて」
陽空は怒鳴りたい気持ちをおさえて口をつぐむ。だまって花恋の話をうながす。
「陽空はもう美香ちゃんとつきあってるし、どうせ僕たちは卒業だから勉強に集中したらどうだろう? って言われてそれが楽だなってわたしも思ってきちゃったんだけど」
花恋が言葉を止めてサンドイッチをかじる。陽空は小さくため息をついた。だんだん言い訳がずれてきている。陽空にとって問題はそこではなかった。
「……花恋、もっと俺のこと信じて。俺だってもう子供じゃない。花恋が俺よりも他人を信じることは面白くないし、ひどい侮辱だ。俺たちの関係はそんな軽いものなのか?」
陽空がまっすぐに花恋を見つめた。その瞳の強さに花恋は動けなかった。花恋はもぐっとパンのかたまりを飲みこむ。
「……陽空はなんでわたしのことをこんなにも世話を焼いてくれたの? 自分でもばかだし、面倒な女だと思う。わたしのこと好きなのはなんで?」
花恋も陽空に向き直った。
陽空は一度ゆっくりと目をつぶる。すうっと息を吸って目を開けた。
「花恋、覚えている? 保育園の頃さ、俺みんなからウソつきってよばれたことあったじゃん?」
「そんなこと、あったっけ?」
「あった。保育園の誕生日会のミートボール、俺の大好きだったやつね。いつもと違う! 食べるな! って大さわぎしたとき覚えてない?」
記憶を探る花恋に陽空が助け舟を出すが、花恋はいっこうにピンとこない。
「うーん? 全然覚えてないけどな。ミートボールが大人気だったのは覚えてるけど」
「あったんだ。先生も友達もみんな同じだって言ってたし、先生たちからめっちゃ怒られたんだけど俺泣いてさわいでさ」
「ふうん?」
花恋は記憶を探るように空をにらんだが思い出せない。
「花恋が俺の泣き声聞きつけて年長組から走ってきて俺のことかばってくれたんだ。陽空が言うなら絶対理由があるはずだから先生ちゃんと調べてくださいって!」
「先生からどこが変なの? て聞かれたけど、俺もうまく答えられなくてさ。でも絶対味が違うって思ってさ。花恋が来てくれて俺を信じてくれたことがすごくうれしくて」
「そっか。全然覚えてなかったけど、そんなことあったんだっけ。それって結局どうなったの?」
花恋は思い出すことをあきらめて、陽空に結末を聞くことにした。
「一応調べてくれることになったし、うちの組は食べたり食べなかったりだったけど軽度の食中毒が起きた。ちょっとしたニュースになったの覚えてない?」
「うん。まったく」
言い切った花恋に陽空は苦笑する。
「あとから先生たちからいっぱい謝られたけど、俺はまっさきに花恋が信じてくれたことがうれしかった。花恋は特別だと思った。俺も花恋を信じるし、だれかが花恋のことを悪く言ったり、意地悪しても俺が守ろうと思ってた。俺が花恋の笑顔を守るって、あのとき決めた」
陽空のまなざしが花恋をまっすぐに射抜く。
「だから俺は花恋が俺のことを信じてくれなかったことが一番いやだった」
「陽空はばかだよ。わたしが覚えてもいないそんな小さなことだけであんなにずっとわたしのためにアップルパイを作り続けてくれたわけ? わたしのことを好きでいてくれたの?」
花恋は、陽空の思いの強さにたじろいだ。自分のしでかしたことへの後悔と、陽空からそそがれていた愛情の深さに息が苦しい。胸が熱い。
「俺にとっては十分すぎるくらい、好きになる理由だった」
「……ありがとう。本当にごめんね」
花恋はこれ以上言葉を紡ぐことは出来なかった。ぽろぽろとまた涙がこぼれる。陽空もつられて泣きそうになった。
陽空は思わず花恋の肩に手をかけようとしたがやめた。そのかわり花恋の鼻を思い切りつまんだ。
「ふぎゅ?!」
「おそいよ、ばか」
突然のことにびっくりした花恋が目を丸くする。
「俺のことを信じなかったバツだ。これで全部チャラにしてやる」
陽空は花恋の鼻水がついた手をハンカチでふいた。言い返そうとした花恋の口に、陽空は人差し指を押しつける。
「もう昼休み終わるし、早く弁当食べちゃおうぜ」
花恋はそれ以上何も言えず、泣きながらお弁当の残りを食べた。
陽空は自分が長い間、秘めてきた気持ちがやっと伝えることが出来た。望んだシチュエーションではないが、花恋に伝わったこと、花恋が後悔して謝ったことでずいぶんと気が楽になった。
もつれた糸は少しずつほぐれている。あとはもつれさせる元凶と戦うだけだった。