16.花恋のあやまち
「は? なんだよそれ?! そんな大うそどうすれば信じられるんだよ?!」
「ひゃうっ?!」
陽空はさすがに怒鳴った。花恋が驚いて小さく叫ぶ。陽空は何もかもが信じれらなかった。
「花恋。俺にひとこと、いや俺じゃなくても美香でも良太でも良かったんだ。誰かにひとことでも聞けば、どっちが正しいのかすぐにわかったんだ! 俺たちのことそんなに信じられないのか?! そんなにばかだと思っていたのか?! 見損なうな!」
「あ……ごめっ……」
花恋が陽空のあまりの怒りように怯えて一歩下がった。陽空が一歩つめる。
「俺のことはいい。でも美香と良太のことまでばかにするのはゆるせない。あいつらに失礼だ! 俺たちはきっちりまじめにやってきたし、非難されるようなことはしてない」
「……ごめん」
陽空の地雷を踏みぬいたことに花恋がようやく気づいた。目を大きく見開いて花恋はわなわなと震えていた。陽空は大きくため息をついた。
「……花恋。俺はすごく残念だ。花恋だって気づいていたと思うけど俺、ずっと花恋のことが好きだった。花恋の言うことは誰よりも信じた。だけど花恋にとっては俺はそこまで信用のない相手なのか? ただのクラスメートの根も葉もない大うそを信じちゃうくらいさ!?」
「……ちがっ違うの、陽空。うそ。あの、ごめっ……あの、待っ……?!」
陽空は待たない。花恋は言葉を継げなかった。
「……あのさ、それからふりだって? 長瀬とつきあうふり? そんなの信じられるかよ」
「う、うそじゃないよ! 本当にふりだけ。わたしには恋愛感情ないし、受験に集中したいから隠れみのにさせてって頼まれたんだよ! 普段会ってもそれぞれ受験勉強しかしてないよ!」
吐き捨てた陽空に花恋が早口で言い訳する。
「はあ? 長瀬のことずっとかっこいいって言ってたし、参考書も持ってきてもらったときずいぶんうれしそうだったじゃないか」
「それは……! 最初はヒーローみたいに見えたんだもん。陽空たちを助けてくれて、私のことも女の子扱いしてくれて」
陽空はとても信じられなかったし、もう聞きたくなかった。
「なあ? 俺だってずっと女の子扱いしてたじゃないか。ずっと弟扱いしたかったのは花恋だけだ! あのさ、ふりだろうがなんだろうがつきあったのは花恋だって少しは好意を持ってたからだろ?!」
陽空は泣き笑いのような変な顔になった。
「あ……ごめんなさい。ほんとに……本当にごめんなさい」
花恋は自分がどうしようもなく陽空を傷つけたことをさとった。自分のおろかさに気づいて泣きそうになったが我慢した。
陽空は優しかった。花恋が泣けば自分の心の痛みを飲み込んで耐えて花恋を優先してしまう。
花恋は今まで陽空に甘えきって自分のわがままや都合を押し付けてきたことがやっとわかった。
「ごめん、いまさらほんとうにごめん。わたし、陽空に甘えすぎてて何も言わないでもわかってくれてると思って」
陽空はママとは違う。花恋はいまさらながらに思い知った。
花恋は陽空から無条件に与えられる愛情が心地よかった。
陽空の視線に家族とは違う熱が入っていたことに花恋はずっと気づいていた。
それでも、強引にでも「おねえちゃん」と呼ばせることで今まで通りの「家族」として幸せなまどろみのなかに居たかった。
ママを裏切ったパパみたいに恋人や夫は裏切るけど、弟は裏切らない。
花恋にとって陽空は、大切な大切な弟で自分に残された守りたい「家族」だった。
「おねえちゃん」と呼ばなくなった陽空は花恋の幸せな檻を壊そうとしている。
うその彼氏がいれば、陽空とは恋人にならない。
陽空は家族に戻ってくれる。
戻るしかなくなるはず。
花恋は、自分勝手で幼稚すぎる理論にしがみついて陽空の気持ちをずたずたに切り裂いた。
長瀬の言葉に大げさだと思いながらも信じてすがってしまったのは、花恋の浅ましい願いからだった。
花恋の心の底にたゆたう、ほの暗い思い。
関係が変わっていくことへの恐怖と、変えていこうとする陽空へと怒りと罰を与えたい気持ち。
幸せはとつぜん壊れてしまうものなのに、他ならぬ陽空がわざわざ壊そうとしているなんてゆるせなかった。
「……はずかしい……」
花恋はつぶやいた。涙が我慢できずぽろっとこぼれた。
「え? なに? 聞こえなかった」
陽空は聞き返したが、花恋は答えず涙をごしごしと腕でふいた。泣いてはダメだ。花恋はこれ以上ひきょうなまねは出来なかった。
花恋は深く頭をさげた。
「……陽空。本当にごめんなさい。わたしもうただ謝ることしかできない。ゆるしてもらえないくらいひどいことをしたの、やっとわかった」
「いまさらかよ」
陽空は花恋の急な変化にとまどったが、ささくれた気持ちはまだ収まらない。
「うん。ほんといまさらだけど。ばかでごめん」
「ああ。ほんとばかだよ」
ぎこちなかったが、花恋は笑ってみせた。泣いて許しを請うのには遅すぎるし、軽すぎると思った。陽空に最低なことをした。
「うん。だから自分で落とし前つけてくる」
「え?! おい花恋。どういうことだよ?!」
「長瀬くんと話してくる。もうつきあうふりもしないって言ってくるし、自分で見たこと以外の証言もしない。わたしは陽空を信じるからって言う」
いままでの積み重ねで、陽空は花恋の言葉が信じきれなかった。よろこんでいいのかあやしんでいいのかわからない。
「待て。あわてるな。これは孔明のワナだ」
「はあ? だれよ孔明って」
「三国志。いやそうじゃなくてさ、俺も行くよ」
陽空は決めた。
「わるいけど、俺はいま花恋のこと信じられない。長瀬が何を言うかもわからない。花恋が長瀬からまるめこまれる未来しか見えない。だから俺も行く」
もとはと言えば俺がアンケートを捨てるの見たせいだし、と陽空は心の中で付けくわえた。
たったそれだけでここまで他人を翻弄する長瀬の精神が陽空には理解できないが、天才で通ってきた完璧な男がはじめてした失敗だ。
挽回しようとして空回っているのかもしれないと陽空は思った。
「わかった。じゃあ今から行く?」
「いや飯食おうぜ。腹減った」
花恋が変わってきたことを感じとると陽空は急に空腹を覚えた。昼休みの残り時間も少ないし、空腹で頭が回らないときに長瀬と話すのはさけたかった。
「いらいらしてもし殴っちゃったら俺が一発アウトだし。それにさ、もうちょっとちゃんと花恋が反省したところ俺に見せて欲しいしな」
「お、お手柔らかにおねがします……」
にやっと陽空は黒い笑いを浮かべた。
念のためセリフ引用は『三国志』横山光輝です。