13.アンケートの波紋
花恋はまた泣き出してしまった。花恋と陽空にとって一番触れて欲しくないデリケートな部分を、長瀬は土足で踏み荒らした。陽空は長瀬が信じられなかった。
あの男はダメだ。陽空は思った。さっきほんの一瞬、花恋が幸せなら諦める気にもなった。しかし、こんなうそを信じてだまされて傷ついて誤解したままで花恋は幸せだろうか。
「あのくそ野郎……!」
長瀬は自分が優位に立つためには他人の心を傷つけても何とも思わないのだ。そんな男が花恋を心から大事にしているとは思えなかった。
長瀬は今は花恋を大事にしているふりをしている。しかしなにか自分に不都合があったり、必要が無くなればあっさり花恋を切り捨てる。
もとはと言えば陽空が偶然アンケートを捨てるところを見られ、ばらされると困るからという理由だけで、一人の女の子をだましてもてあそんでも平気な人間だ。
陽空の思う常識が通じる相手ではなかった。
「花恋、俺はアップルパイ作りを迷惑だとか、大変だとか思ったことはないよ。それに俺が長瀬に相談したことなんか一度もない」
花恋の心に届いてくれと陽空は願った。長瀬がどんなひどいうそをついているかわからない。陽空に出来ることは、ただ真摯に自分の気持ちを伝えるだけだ。
「え? うそ。佳くんから陽空がアンケートとか生徒会で手伝ってくれたのが縁で仲良くなったって聞いたけど? 美香ちゃんと過ごしたいのに、わたしが家族でもないのにおねえちゃんぶっているのが困るって言ってたって……」
「そんなわけないだろ!」
「でも陽空、もうわたしのことお姉ちゃんって呼んでくれないじゃない?」
「それはっ!」
陽空は言葉に詰まった。その理由を言ってしまうか迷った。
「……ほらね、やっぱり」
もつれてしまった糸はほぐすのが難しい。
「アップルパイ、ありがとう。美味しかった。もう帰って」
「花恋、話を聞いてくれ」
「……ごめん、一人にして欲しい」
ぐいぐいと背中を押されて、陽空は花恋の家から追い出された。
金属製のがっしりとした玄関が、陽空にはすっかり閉じてしまった花恋の心に見えた。一度は触れ合ったはずの心はまだ遠い。
陽空はアップルパイを作り上げた今、自分がどうしたらいいのか分からなくなった。どうやったら長瀬のうそをあばいて、花恋のことを取り戻すのか。
何もアイデアも浮かばないまま夏休みが終わり、陽空が事件を知ったのは始業式を数日過ぎてからだった。
サッカー部での傷害事件が起こったのは夏休みが終わる直前だったらしい。戒厳令が敷かれ、しばらくはごく一部の当事者に近い生徒しか知らなかった。
陽空にとってまったく関わりのない事件だったはずだった。
「だいぶ前に書いた生徒会のアンケートって結果どうなったんだろう」
昼休みに陽空が良太と美香とご飯を食べていると、良太がスマホを見ながら話しかけてきた。
「うろ覚えだけど、たしか4月頃、陽空があれ捨てたとかなんとか騒いでなかったっけ」
「俺じゃねえよ!」
「そんなことあったっけ?」
陽空は即座に否定したが、美香はすっかり忘れていた。良太がスマホの画面を見せてきた。部活のグループラインらしい。
「俺の部活の友達が書いてるんだけど、例の話をこっそり告発したやつがいるらしいんだよね」
「例のって?」
「サッカー部の後輩いじめの話」
サッカー部では何人かの一年生が三年生から目をつけられて、練習の範囲を逸脱したいじめに近いしごきを受けていた。顧問が黙認したため行為はエスカレートし、夏休み最後の他校との練習試合で負けた罰に一年生がリンチされて病院送りになった、と陽空は聞いていた。
「そうそう。アンケートにサッカー部の一年達が何人かがいじめのこと書いたって言ってて」
「あのアンケートって生活改善のやつだろ? いじめとかそんなの書くとこなかっただろ」
「だからだって。いじめアンケートは無記名だけど、集めるの先生だろ。顧問の先生見るかもしれないからって、生徒会のアンケートに書き込んだらしい。一年生にだけ練習がきつすぎるから何とかして欲しいって」
「まじかよ」
「でもそれ、生徒会長捨てたんじゃなかったっけ」
「陽空、そんなこと言ってたよな」
「じゃあもし、アンケートをちゃんと集計してたらもっと早く顧問もまざったいじめが明らかになって
ケガする生徒もいなかったってことか」
「これ、会長も責任問題じゃない?」
「顧問とか学校側へのいじめの責任追及をそらすためにも見せしめになにか処分は下されるんかもしれないな」
良太と美香が二人で探偵気分で熱く語り始めた。
「だからちゃんと全部に目を通さないとなんだよな」
陽空は飲みかけの甘い紙パックのコーヒーをくるくるとゆらしながら考え込んだ。
「俺としては長瀬ざまあって言いたいところだけど、なんとかして欲しくて必死で訴えたやつがかわいそうで複雑だな」
「陽空、お前ほんといいやつだな」
良太は半ばあきれ気味だった。
「ん?……ちょっと待て。これもしかして俺のせいにされるかもしれない」
「なんで? 陽空は関わってないでしょ?」
陽空はふと花恋との会話を思い出した。不思議そうに美香が聞き返す。
「長瀬のやつ花恋に色々とんでもないうそをふきこんでたんだけど、最悪なことに俺と長瀬がアンケートを手伝ったことが縁で仲良くなったって聞いたらしい。俺からいろいろ内緒で相談されたって花恋をだましたみたいだ」
「はあ? なんだよそれ。そんなウソすぐばれるじゃん!」
良太は一笑にふそうとしたが美香は何か思い当たったようだ。
「ねえそれが二度と話をしたくなくなるようなひどいうそだったら? 実際に陽空と花恋ちゃん、ずっと話してなかったよね」
「え~でもいつかばれるよな」
納得できない良太は食い下がる。
「あたしたちも最初、会長がアンケートを捨てたって陽空から聞いても全然信じられなかったでしょ。まさかあの素晴らしい会長サマが? ってくらいのいきおいでさ。すごい優秀な善人だと思っている人から理路整然と言われたらさ、みんな無条件で信じちゃいそうじゃない? いまなら陽空を信じるけどさ」
長瀬は生徒だけでなく教師からの信頼もあつい。文武両道で見るからに好青年だ。良太も美香も幼馴染で付き合いの長い陽空の言葉でも、そんなまさかと半信半疑だった。
「花恋に対してもうまくコントロールしてぎりぎりうそじゃない範囲にしてたし、くやしいけど口が回るんだよな長瀬の野郎」
陽空もたまたま食パンを見て奈津子のアップルパイのレシピをひらめかなかったら、克美から自分のために作ってと言われなかったら、花恋と話し合わなかったらと、数々の偶然が重ならなければ、長瀬のうそには気づかなかった。
「うーん。だとするとつまり会長は、アンケートを捨てたのは自分じゃなくて陽空だって言い出す可能性があるってことか?」
「花恋は少なくともアンケートを俺が手伝ったって聞いてるはずだし、長瀬のことだ。自分の保身のためにうそをつくだろうな」
良太の結論に、陽空もうなづく。そしてきっと周りも長瀬を信じるだろうと陽空は思った。
「……むかつく」
美香がぎりっとつめを噛む。良太と陽空は突然暴言を吐いた美香に驚いた。
「花恋ちゃんがもしそれ証言したら、陽空が疑われるじゃん! 悪いことになっちゃうじゃん! 人望の差で負け確定じゃん!」
「最後! 最後おまえもひどいからな?!」
美香の正直すぎる発言に陽空はつっこむ。
「アンケートを捨てたのが陽空のせいにされる最悪のケースを想定して俺たちも対策しようぜ」
良太が指であごをなでながら考え出した。
「そうだね、わかった!」
美香も力強くうなづいた。
「二人ともありがとう」
陽空が二人の優しさに感動していると、良太がそぼくな疑問と言った体でつぶやいた。
「なあところで花恋ちゃんさ本当に会長とつきあってるのかな」
「はあ?」
キレ気味の美香とあきれた陽空の声が重なったが、良太は動じない。
「俺ずっとおかしいと思ってるんだ。花恋ちゃん絶対陽空のこと好きだよな。会長とつき合う理由なんかないだろ」
明日はなろうのメンテがあるそうなので終わってから更新するか、もし忘れちゃったら明日更新です(*´▽`*)