12.好きの気持ちはだれにむく
「そっか」
陽空はそれ以上、どう言っていいか分からなくなった。花恋がずっと陽空に言うことが出来ずに我慢してきたこと。陽空には全く思いもよらないことだった。
「あ、でも誤解しないで。本当にうれしかったの! うれしいの。……でも怖かったの」
「大丈夫、わかっているから俺も」
陽空は分かっていると言いながらも自分でも何がわかっているのか、さっぱり分からなかった。どうしたらいいのか、なんて言葉をかければいいのかみじんもわからない。
陽空はぬるくなった牛乳のコップを持ってくるくると水面を揺らす。
「はは、陽空のそのくせ変わんないね」
「え? うそまじ?」
「ほんと。小さい頃からね、考え事してるときにやってるよ」
くすくすと花恋から笑われて、陽空はとまどって手を止めた。自分で全く身に覚えのない。
「陽空のくせ、わたしもっといろいろ知ってるよ」
照れ隠しかいたずらっぽく花恋が笑う。
「ええ、俺そんなにわかりやすい?」
陽空もあわせておどける。
ほんの一瞬だけまるで4月より前、長瀬と出会う前に戻ったような親密さがただよう。陽空は懐かしさに目がくらみそうだった。このまま何もなかったことに出来たら良いのに、と心の中で願った。
「わかりやすいって言うか、わたしもずっと陽空のこと見てきたからね」
「え? 花恋が?」
ふいに放たれた爆弾に、陽空は心の防御が出来ない。
「わたしはさ、佳くんや陽空みたいには頭が良くないし、昔の記憶、そんな覚えてられないから。味覚も普通だしさ、もうママの味忘れちゃったと思ってたんだ」
「いや俺、そんな成績良くないけど?」
長瀬はともかくとして、と陽空は心の中で付け加えた。陽空は花恋の前で意地でも長瀬をほめる言葉を口にしたくなかった。
「陽空、それ本気で言ってる? 成績じゃなくてさ、陽空、記憶力がおかしいの自覚ないの?」
「えー俺、人並みだと思うけどな」
信じられないとばかり、花恋は目を見開いた。
「ふつうね、保育園のころ何回か食べただけの味、覚えてられないから。わたしはいつも食べてたけど、それでもあやふやなんだよ。あとね、勉強ほとんど家で何にもしないのにうちの高校で中くらい維持してるの絶対おかしいから!」
「お、おおう?」
「もー、まだ納得してないの?」
花恋は珍しく早口でまくし立てるが、陽空は自分の記憶力が良いか悪いかなど考えたことがなかった。
「でも……だからさ、いつか陽空がママのアップパイを本当に再現出来たとき、わたしそれがわからなかったらどうしようって不安だったんだ」
「でもすぐわかった、よな?」
「うん。自分でもびっくりした。わかると思えなかったし、もう絶対食べれないと思ってたからすごくうれしくて……」
言葉がつまり、花恋がまた涙をこぼす。花恋はティッシュに手を伸ばして、ずびびっと盛大に鼻をかんだ。
花恋は陽空に向き直ると両手をガシッとつかんだ。そのまま花恋は頭を深く下げた。
「ありがと、陽空。本当にありがどう……!」
「……うん。俺も良かった。本当に良かったよ……」
花恋を笑顔に、幸せにすること。それがあの日からの陽空の目的で、いまようやく重い肩の荷がおりた気がした。
花恋がまた落ち着くのを待っていると、陽空も気持ちがないできた。
「花恋、今、幸せ? あっいや幸せだよな彼氏できたんだし」
陽空は花恋が幸せならもうそれで十分だと思って自然と口に出たが、すぐに馬鹿なことを言ったと後悔して言い直した。花恋の口から「長瀬と付き合っていて幸せ」だと聞きたくなくて、まだ自分で言う方がマシだった。
「え。あっうん、彼氏ね」
「なんだよその反応?」
煮え切らない花恋の態度に違和感を覚えた。
「……陽空は幸せなんでしょ? 美香ちゃんと付き合っているんだし」
花恋は陽空の質問には答えず、質問で返した。
「付き合ってないよ。美香に告られたけど断ったから」
「ほんと?!」
陽空は花恋の食いつき方に驚いた。自分のことを意識しているのか、といううれしさと、いやまてお前は彼氏いるだろうという二つの気持ちがわいてきた。
「花恋、俺に彼女居ないのがそんなに嬉しいのかよ。ひどくね?」
陽空はいらだちまぎれに嫌味を言った。
「あ、いやあの。えっとさ。うーんと、違うの。あんなに仲良いのになんでかなって思って」
「仲良すぎて恋愛対象に見れなかった。それだけだよ」
おまえだって俺に対してそうなんだろ? と言いたいのを陽空は我慢した。花恋は目を見開いてから少し疑うように眉をひそめた。何か言うかどうか迷っているようだった。
「陽空が美香ちゃんと付き合ってるって聞いたから」
「あれは美香のフライングだし」
はあとため息をつきながら花恋は話し出した。陽空も、あのカフェで美香が花恋に宣言したのはいっしょに聞いていた。
「違うの、佳くんからも聞いたの」
「……いつだ、それ」
陽空は長瀬の名前が出てきたことに警戒した。
「カフェで美香ちゃんから聞いたちょっとあとかな? 佳くん、陽空から内緒で相談受けてるって言ってた。美香ちゃんと付き合ってるけどわたしのアップルパイ作りでなかなか遊ぶ時間がないってグチってたんでしょ? ごめんね、迷惑かけて! でもわたし作るの強制したことないじゃん?!」
「……は。はああ??」
花恋は思い出し怒りをしだして語尾が逆切れぎみだった。陽空は長瀬がとんでもない嘘を花恋に吹き込んでいたことに怒りを通り越して困惑した。
「陽空、なんでそんなにいやなのにアップルパイ作ってたの? 何のために? わたし、陽空の気持ちが全然わかんないよ」