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11.思い出はつながっていく

「花恋! 出来た! 食べてみて!」

「全く。急に。何しに来たのかと思ったら」


 陽空は母親の克美にならい、弟ぶりっこで押し切ることにした。久しぶりに会った花恋は陽空の記憶よりも痩せていた。


 花恋は陽空の手元のアップルパイを見て戸惑いながらも中に招き入れた。


「アップルパイ作ったの?」

「うん。奈津美さんのアップルパイ、これだと思う」


 花恋はひゅっと息を飲んだ。


「はいって。何か飲む?」

「うん、じゃあ冷たい牛乳」


 花恋は聞きながら陽空にすぐに背を向けてリビングへとむかった。陽空も後へ続く。


 あの頃と同じソファに二人並んで座る。いつものガラスのコップに二人分、花恋が牛乳を注ぐ。


 陽空がはじめて座ったときは広いと思った二人掛けのソファが狭く陽空と花恋の肩が触れ合った。花恋はびくっと震えてこぶし一個分距離を開けた。


 陽空はちくりとハチに刺されたような痛みを覚えた。


「いただきます」


 花恋の声はぎこちなくて低い。陽空は居たたまれずに姿勢を正した。アップルパイの表面はもう冷めて手でつかんでも熱くない。花恋はぱくっと大きくかじった。


「あっつ!」


 とはいえ中のリンゴはまだ熱かった。花恋はかじったリンゴを吐き出しそうになるのをはほはほしながらたえた。


「花恋、大丈夫?!」


 落としそうになったアップルパイを陽空が支えて二人の手が重なった。


「う、うんありがと。も、大丈夫だから」


 花恋は照れくささとあせりと火傷の痛みで涙がにじんだ。花恋は陽空の手を内側から軽く押して放すように押し返した。


「まだ熱いからゆっくり食べてね」

「うん」


 なごり惜しくなりながら、陽空は花恋から離れた。小さい手だ。中学生くらいから花恋の成長がゆるやかになって、陽空がずっと追い抜いた。


 花恋は牛乳をこくりと飲む。


 慎重に一口。


 ゆっくりと咀嚼(そしゃく)して飲み下すと、花恋は急に止まった。


 時間が一時停止したように、花恋は大きく目を見開いて動かなくなった。


「花恋?」

「……ママの味だ。これ! ママの味……!!」


 ぼろぼろと花恋の目から涙がとめどなく落ちてきた。涙をぬぐおうともせずまた一口パクリとかじる。


「陽空。ほんとに出来たんだね。すごいよ。ほんとにママの味だよ。ね、どうやったの?」


 もぐもぐとかじりながら涙と鼻水まで垂らしだした。陽空は自分のアップルパイを置くとテーブルのティッシュで花恋の顔をふいてやる。


「わたし、ちゃんとママの味覚えてた。忘れてなかったんだあ」


 泣きながらまた一口もぐっとかじる。


「おいひっ」


 鼻が詰まって花恋がむせる。


“ほら焦らないでゆっくり食べて。まだたくさんあるんだから”


「ママ?!」

「奈津子さん?!」


 もう居ないはずの懐かしい声が聞こえた気がして、二人は同時にカウンターを見つめた。


 当然キッチンの中は薄暗く誰もいない。


「……ママ。寂しいよ。会いたいの」


 ぽつりと花恋がこぼした。


 時間が巻き戻り、ずっと二人で過ごしてきた思い出が二人の胸によみがえっていく。


 高校受験もこのソファで二人で勉強した。

 

 一緒にご飯を食べた。


 テレビを見た。


 お互いに背中を預けて漫画を読んだ。


 奈津子が亡くなって茫然(ぼうぜん)とただ泣き続ける花恋を陽空が抱きしめて一緒に泣いていた。


 事故にあう前、ただ幸せでただただ楽しかった日々。


 おもちゃを取り合ってけんかした。


 仲直りして食べたアップルパイ。


 二人を優しく見守る奈津子。


 あの懐かしい笑顔がキッチンカウンター越しに見えた。


“花恋、大好きよ”


「ママ?」

「奈津子さん?」


“本当に”


 誰も居ない暗がりから懐かしい大好きな声が二人の耳に聞こえた気がした。


 花恋はぽかんと口を開け、陽空を見つめた。陽空も何と言っていいかわからず、言葉が出なかった。


 ほんの一瞬、二人で同時に見た白昼夢だったのかもしれないし、都合のいい願望だったのかもしれない。


 それでも陽空は神様が与えてくれたご褒美のように思えた。


 二人は耳をすませたが、それ以上はもう声は聞こえなかった。 


 すぐそばの道路に車が通った音がして、じーじーと鳴くセミの声が響いた。エアコンのかすかな作動音が聞こえた。


 凍った時間が溶け、また流れ出す。


 陽空は手に持ったままのアップルパイのほのかな重さに気づいて、テーブルの上に置いた。



「……うあわあああああ!!」


 一拍おいて花恋が叫んだ。そのまま小学生のときのように号泣した。


 陽空も花恋を抱きしめる。ほろほろと一緒に泣いた。


 抱き合ったまま、お互いの肩を鼻水と涙でぐちゃぐちゃにした。エアコンを入れていても、Tシャツが汗で湿っていく。


 泣き過ぎてのどがかれ、鼻の下は赤くなった。目は腫れ上がって二人ともひどい顔だった。



 だいぶ日も傾いたころ、ようやく落ち着いて花恋はぽつりぽつりと話し出した。


「あのね、あの日、私がトイレで手を洗ってきたら佳くんがこの店で一番人気だし、アップルパイ好きなんでしょってもう注文しておいてくれたんだよね。でも陽空のとは全然違って、びっくりするほど甘くてなかなか食べられなくてね」

「ああ」

「苦手なの? って聞かれたから、甘すぎるのは少し苦手かもって答えたんだ」


 やっぱりな、と陽空は思った。長瀬から言われるのと花恋から聞くのはずいぶんと違っていた。


 花恋も誘導尋問のように長瀬から言わされていた。


 陽空はあの日、まんまと長瀬から(おとしい)れられたことに気づいた。陽空は長瀬に対し「あのくそ野郎……!」と怒りが込み上げてきた。


「ママが亡くなったとき、本当に悲しくて辛くて何にもしたくなくて。夢だったらよかったのにって思っても本当のことで。眠ることが怖くて」

「一時期ぜんぜんなんにも食べなかったよな」

 

 花恋の告白に当時を思い出して陽空の怒りがすこしだけ霧散する。


 花恋はしばらく笑わず食べずがりがりに痩せてしまった。陽空は花恋も死んでしまうとおびえ、なんとかして花恋を立ち直らせたかった。


「それでねママのアップルパイも美味しかったし、陽空のアップルパイは美味しいの。美味しいんだけどね、ほんとは最初からアップルパイじゃなくても良かったの」

「え? どういうこと」 

「ママの作るものだったら何だってうれしかったから。ママのことが大好きだったから」

「ああ俺も奈津子さんのこと大好きだった」


 うん、と小さく花恋がうなづいた。


 陽空は今なら奈津子の気持ちも花恋の気持ちもどちらもわかった。


 花恋はママが自分のために特別なお菓子を作ってくれることがうれしくて、奈津子は食の細い花恋が喜んで食べてくれることがうれしかった。


 お互いを想い合うからこそ、産まれる優しい気持ち。


 奈津子が死んでしまい壊れかけた花恋の心を守るため、奈津子の代わりに花恋を笑顔にするため、陽空がどうしても作りたかったもの。


 親子の愛情をつなげる特別なもの。


 たまたまそれがアップルパイだっただけで、奈津子が生きていたらきっともっといろいろな食べ物に変わっていったのかもしれない。


「陽空と一緒に食べるのもうれしかったんだ。大好きなママが作ってくれて、陽空と一緒だからうれしかったし、幸せだった」


 花恋がずびっと鼻をすする。陽空はティッシュを一枚渡そうとすると花恋が箱ごと受け取った。

 


「アップルパイは陽空の作るのしか食べてこなかったからずっとわからなかったけど、お店のってすごく甘いんだね」

「まあそうだな」


 元々は奈津子が小さな娘のために作ったアップルパイで、陽空も奈津子の味を再現しようとしているため、甘さは当然ごく控えめだった。


「一番はじめに克美ママと一緒に陽空が作ってくれたアップルパイさ、中のリンゴめっちゃ焦げてるのにガリって生だしパイ生地も生焼けでべちょっとしててママのとは全然違ってた。甘すぎたし」

「おおう、ごめんね?」


 そのときは一言もださなかった正直すぎる花恋の本音に、陽空はいまさら動揺して謝った。


「でもね、私をはげまそうと一生懸命考えてくれた陽空の気持ちがうれしかったの」

「そっか……」

「ママが居なくても、私には陽空と克美ママが居てくれたことがうれしかった。二人のために頑張って元気にならなくちゃって思ったんだ」


 陽空が本当にしたかったことが、花恋にもちゃんと伝わっていた。陽空は目の奥がじんわりと熱くなった。


「だけどさ、たくさんの陽空が作るアップルパイを食べているうちに、ママの味を忘れちゃってもう二度と思い出せなくなる気がしてきて。陽空が作ってくれたのがママの味かわかるかどうかもわからなくなってきて。わたしそれがすごく怖かったの」


 陽空はやっと花恋の本音がわかった気がした。

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