10.兄弟はけんかするものだから
「あ」
克美から言われて陽空は思い出した。むしろなんでこんな大切なことを忘れていたのか。
「花恋、きっとうっかりアップルパイを頼んで甘すぎたんだ」
「ん? どこかに行ったのかい」
「俺とじゃないけどさ、駅前の新しくできたとこ」
上の空で母親と会話をしながら、陽空はあのカフェの味を思い出す。自分が作るよりもずっと甘めだった。陽空自身は気にも留めていなかったが、花恋には無理なレベルだったんだ。
でもあの花恋が?
陽空は冷静になりもう一つの可能性に気づいた。陽空の知る花恋はいくら苦手だとしてもその店に居るうちに味を否定するようなことは決して言わない。だとすれば。
「長瀬だ。ああそっかそれで。あーでも今更か」
陽空はアンケートのときに長瀬がすらすらと反論した姿を思い出した。
長瀬の屁理屈はけっして陽空が理解できるものではなかったが、長瀬は自分が優位になるためには呼吸をするように嘘をつける人物だ。
花恋が苦手そうな様子を見て、俺をはめるために一芝居売ったんだ。
花恋は自分の作るアップルパイが苦手なわけじゃなかった。陽空は花恋のためにいつも甘さはぐっと控えめに作っていた。今までも食べれば美味しいと言ってくれていた。
その言葉が嘘ではなかった。
陽空にとってそれは涙が出るほどうれしい気づきで、母の言葉に救われる思いだった。
「でもじゃあなんで花恋はもう作らなくてもいいっていったんだろうな」
「さあね。本人に聞いてみたらどうだい?」
軽く言う母親に陽空はジト目でにらみつける。
「それが出来れば苦労しないよ」
「出来るさ」
克美はにやっと笑って肩をすくめた。
「おまえも花恋ちゃんも家族同然、兄弟同然で育ってきたんだ。兄弟はけんかするもの。けんかしても仲直りすれば元通りだよ」
「簡単にいってくれるよな。花恋、彼氏だって出来たんだぜ」
おおざっぱな克美らしいがばがば理論だった。
「彼氏が出来たって家族は家族。仲良しであることは変わらないだろ? せっかくの出来たてのアップルパイを食べてもらいに行っちゃだめなのかい?」
陽空はあまりに自信たっぷりに言い切る母親の言葉にゆらぎかける。もともと花恋のためのアップルパイでこのレシピが正解だという自信があった。食べてもらいたい思いは強い。
「でもさ花恋の彼氏、長瀬って言うんだけど成績優秀ですごいやつなんだ。あっでも中身はほんとクズなんだけどさ」
陽空は克美にもう少しだけ自分に自信をつけてもらいたくて弱音を吐いた。しかしただ長瀬のことをほめるのはしゃくだったから、中身のことも忘れずに告げ口した。
「ふうん。まあ中身がどうであれ優秀なら世渡り上手そうだけどね」
「中身が腐ってても?!」
陽空は母の言葉に女のしたたかさ、腹黒さを見た気がした。
「冗談だよ。陽空、おまえはまっすぐ小さい頃から花恋ちゃん大好きのまま変わらないからね。結婚するならそういう一途な男も貴重だよ。恋愛はちょっと悪い男にどきどきするほうがいいけどさ」
「母ちゃんどっちの味方だよ?」
あはは、と笑って克美は陽空の肩をばんばん叩いた。
「私はおまえの味方だよ。同じものを飽きもせずに作り続ける執念、ちょぉっと気持ち悪くもあるんだけど、ただ花恋ちゃんにまた奈津子さんの味食べさせてやりたいんだろ。おまえはえらいよ」
「いまいちほめられてる気がしないけどな」
それでも陽空は母親の率直な言葉がくすぐったかった。
「ほめてるほめてる。わが子ながら母ちゃんに似て器量も良いし」
「はあ? 本気で言ってる?」
「おまえ母ちゃんが美人じゃないとでも」
「自分でいうかよ」
陽空は母の放言に呆れてくすっと笑いが出た。母もすました顔からふっと笑顔になった。背伸びをして陽空の頭をポンポンと軽く叩く。
「ほら笑った笑った。ずっと張り詰めた顔して辛気臭いったらなかったよ。女も男も笑顔のほうがよっぽどいいさ。おまえはおまえの良いところがあるんだから自信もってぶつかって、なんなら奪いとってきな」
克美が悪い笑顔を浮かべた。
「あ、でもねオッケーもらわないうちは手を出しちゃだめだからね!」
「それはわかってるよ!」
克美の飾らない言葉に陽空は自然と笑いが出た。
「……ありがと母ちゃん」
母の助言が真っすぐにしみる。
「さあ花恋ちゃんと仲直りしておいで。彼氏がいたって弟と話をしちゃいけないわけじゃないだろ? そこにつけこむんだよ!」
克美はぐっと親指を立ててウィンクした。
「最後で台無しだよ母ちゃん!……うん。でもまあそうだよな」
陽空は力業で押し切られた気がしたが、アップルパイを届けようとする動機にはなった。ミトンにふたつ、オーブンから手のひらサイズのアップルパイをつかんだ。
「母ちゃん悪い! 玄関開けて!」
「へいへい」
「返事は一回って俺には言うくせに!」
アップルパイが出来たから食べてもらうだけだ。そこから先はなるようになれ!
陽空はどきどきしながら花恋の家の玄関のインターホンをひじで押した。
後半になったので一日一話ずつ更新になります(*´▽`*)
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