学校にこっそり持ち込んだモノ選手権
ある日、お調子者のY田が、学校にこっそり漫画雑誌を持ち込んで担任に怒られていた。Y田は天邪鬼の化身とも呼ぶべき男だったので、誰も同情はしなかったが、それ以来、私のクラスで密かにある企画が立ち上がった。
それが『学校にこっそり持ち込んだモノ選手権』である。
ルールは簡単。
教師の目を盗んで、こっそり学校にふさわしくないモノを持ち込もう、という選手権である。ゲームや漫画、お菓子、タバコ、酒など……別にわざわざ学校に持って来る必要もないのだが、禁酒法の下で酒を裏取引するような緊張感と、生徒間で秘密を共有している一体感があった。
もちろんバレたら処罰は間逃れない。
だからこそブツはどんどん過激になり、私たちの間で選手権は加熱していった。自分ならこんなモノまで持って来れるぜ! と言う見栄の張り合いもあっただろうし、何より『大人たちに内緒で』というのが楽しかったのだ。
誰が言い出したか知らないが、そのうち私たちの間で、細かなルールも派生し始めた。
①できるだけこの学校にふさわしくないモノが高得点となる。
②できるだけ教師に見つからない(1限につきプラス10点)方が高得点となる。
③できるだけ他の選手が持ち込んでないモノが高得点となる。
……などなど。①に関しては、たとえばペンシルや部活動の道具などよりも、ワインセラーとかマッサージチェアとか、明らかに学校に存在してないブツの方が価値が高い、という話である。
バスケ部のS山などは、実際にワインセラーを持ち込もうとした。確かにブツは希少だが、校門をくぐった瞬間に教師に見咎められたので、残念ながらS山にはポイントは入らなかった。
また長い時間見つからなければ、それだけポイントが加算される(②)。放課後まで発見されなければそれだけ点数は高い。だが、決してブツを倉庫などに隠してはならない。誰もが見える場所に置いておかないと醍醐味はないとして、隠すのは禁止された。その頃には私たちも、こっそりカバンの中に入れておくだけでは我慢ができなくなっていたのだ。
さらに、選手権黎明期にはゲームやエロ本などが大量に持ち込まれたが、ルールが改定され(③)、ブツが被れば被るほど点数は低くなっていった。これは美意識の問題である。やはり普通に考えて持ち込めないような、希少価値の高いブツの方が、『運び屋』としての腕が鳴るというものだった。
いつの間にか点数集計係や審査員などが設置され、シーズン12(12月1日から24日終業式までの間)には、引越し屋のバイトで鳴らしたG野が教室にタンスを持ち込んで3000点を叩き出すなど、白熱した試合展開が続いた。
ネクストシーズン(3学期)には大型テレビや冷蔵庫を持ち込む者、スケボーや馬で登校しようとする者、ご自慢のペットを持参する者……中にはアリゲーターやマンボウを持ち込もうとした猛者もいた……などが現れ、選手権は全盛期を迎えた。
こうなるともう、シーズン中の点数稼ぎよりも、出オチ狙いの生徒が増えた。
真面目だった生徒が突然、ラクダを引き連れて登校してくる。
昼休み、校庭にヘリコプターが不時着する。
ありえない状況、理由が分からない教師たちは当然キリキリ舞いで、職員室では何度も緊急会議が開かれた。頭のおよろしい教師たちは散々難しい顔をして、思春期による非行、漫画やバラエティによる悪影響、果てまた集団催眠などを疑った。状況を打破するため、『牧師』や『心を落ち着けるヨガ・インストラクター』が特別講師として招かれた時には、さすがに私たちも爆笑した。別にこれは非行でも悪影響でも集団催眠でも何でもない、単なる生徒間の選手権なのである。
こうして『運び屋ごっこ』に夢中になっていった私たちだったが、選手権は意外な形で幕を閉じた。
年明けシーズン4(4月1日〜)になって、クラス替えがあったのだ。私たちは別々の教室になった。すると評判を聞きつけた元々他のクラスだった生徒たちが、自分たちもやりたいと言い出した。
あれよあれよと噂は広がり、他校の生徒まで参加の意思を表明した。選手権がどんどん大規模になって行く……と共に、自分たちの手を離れ、私たちだけの秘密を失ったような、一抹の喪失感も確かに存在した。
さらに時が経ち、隣のクラスの生徒が、びっしりと板書の内容が書かれたノートを審査員に提出して胸を張った。
「これは?」
「見りゃ分かんだろ。『真面目に授業を受けたノート』だ」
「これが何?」
「まさか先公も、ウチのクラスで真面目に授業が行われるとは思ってもいなかっただろうぜ」
審査員は唸った。確かに今となっては、真面目な授業などウチの学校にふさわしくない(①)。さらには教師も、生徒がそんなことをしているとは夢にも思っていないだろう(②)。他のブツとも差別化できている(③)。点数の基準は満たしていた。何だか屁理屈っぽいが、この画期的なブツのおかげで私たちはもうすぐ卒業が近いこと、さらに受験生であることを思い出した。年が明け、遊んでる場合ではなくなったのである。そうして一人、また一人と受験勉強に取り掛かり始め、私たちのクラスで選手権は敢え無く下火になった。