非常識と常識がぶつかり合い火花を散らす。
これは文明のある程度発達した世界の、東方の小さな島国の話である。「科学研究」の活動が産声を上げて早400年。世界の至る所に科学技術は根を張り巡らせており、人間は最早それなしでは生活できないような、そんな時代に到達したころだ。
誰もが信じてやまない絶対的な、科学が導き出してきた地球上における法則。それはたとえ科学者でなくとも、当たり前と確信しているものがいくつかあるはずだ。例えば、地球の引力によって物体が落下する現象、物質の状態変化と熱との関係性、そして物体の移動速度の限界。列挙していけば限りがないが、ともかく数多あるのである。
しかし、「これらの法則が通用しない世界が存在したら・・・」と考えた人間がかつてどれだけいただろうか?科学がこれだけ社会に浸透してしまった現代では、なおさらそう考える者は少ないだろう。
今ある現実世界でそれがたとえありえなくとも、その「if」をもとに想像を膨らませてゆくとなかなか面白いものである。今から始まるストーリーのテーマの一つはその「if」についてである。
1.
現代の日本人の中で、「陰術」を使える者は数少ない。おそらく数千人に限られるだろう。今、その数千人にまもなく加わることになるであろう術使いが生まれようとしている。
その名は「テンテル」。まだ15歳の少年だ。テンテルはたった今、陰術の基礎的訓練を終了したばかりなのだ。
彼の師、シュザは彼に言った。「お前に教えるべきことはすべて教えた。明日からは、これまでに教えた術を生かして、お前にしかできない仕事をしていく。すなわち、『術師』になるのじゃ」
古びた瓦屋根の邸宅にある板の間で、シュザはテンテルの肩を叩いた。
「術師としての仕事は、父や母がするのを見てある程度は知っています。自分もこの時が来るのを心待ちにしていました。・・・ただ・・・」テンテルの表情は初めきりりと引き締まるも、次第に迷いのようなものが浮かんだ。
「何なのじゃ?」シュザは尋ねた。
「私は術師の仕事に、それほどの価値を感じないのです。術師が存在すべき理由もわからない。この国でたった数千人しかいない我々が、なぜ存続してゆかねばならないのですか?それがここしばらくの、最大の疑問だったのです、師匠」そう問うテンテルの目はことさらに真剣だった。
「ふむう・・・なるほどな」シュザはすぐには答えず、自身の長いあごひげを触った。
「その疑問は、術師たる誰もが必ず一度は抱くものだ。わしだってそうだった。・・・しかしその答えは、今わしが言ってみせたところでお前には理解できまい。・・・これはな、術師として生きていく中で少しずつヒントが見つかっていくのじゃよ。だから・・・」
それまで真面目な面持ちだったシュザはテンテルに微笑んで見せた。
「正解を急ぐな。これから時間をかけてゆっくりと考えてゆきなさい。・・・しかしな、これだけは、ただこれだけは言えるのじゃ」
「何ですか?」テンテルは少し身を乗り出して尋ねた。
「『陰術』は決して途絶えさせてはならない。また、『外』の者にその存在を知られてもならない。ただ、親から子へ、孫へ、ひ孫へと永久に伝達し続けなければならない。限られた者たちの中でな。それが我々の一つの大きな使命なのじゃ」
シュザの肩を掴む力と強い目つきから、テンテルは今彼の言ったことの重要さを感じた。
「よいか。決して途絶えさせてはならないのじゃぞ」
それが、師から弟子への最後の戒めとなった。
かくして、テンテルは師の庵の門をくぐり出た。
季節は、桜の咲き乱れる春だった。
2.
テンテルのなすべき「仕事」とは、一言でいえば「異端狩り」だ。
「陰術」の持つ長い歴史の中で、術師は常に「正統」と「異端」に分かれ続けてきた。「異端」の者どもは今日もなお「正統」と比べ少数ではあれど徒党を組んで対立の姿勢をとっている。
テンテルや彼の家族、そして師たるシュザはみな「正統」に属し、「異端」の勢力を抑えつけることを術師としての主たる仕事としている。
「すべては、『正しき伝統を汚さず、純粋なるままに後世へ受け継いでゆくため』か・・・」
修行を終えた日の翌日、テンテルは道を歩きながら一人つぶやいた。
(術師は皆が「正統」であればよいのに。なぜ「異端」などというものが生まれるのか。もしそうであれば、僕らの責務は術の伝承だけで済むのに。)テンテルにはその意味がまだ分からなかった。
修行を終え術師となった者は、すぐに「異端狩り」のための小隊に配属される。5人1組の小隊で、正統派の中にはそれが数百ほど存在している。
やがてテンテルは配属先の小隊の集会所にたどり着いた。集会所と言っても、瓦屋根に木造の、そのあたりの民家と変わらない建物である。
集会所の扉を開けると、すでに残りの4名がひとところに集まっていた。広い板張りの部屋の中に、彼らはみな床の上に円く座していた。
「今日より配属となりました。テンテル・シイカです」テンテルは振り向いた4人に頭を下げた。
「これで全員だな。テンテル、ここに座れ」隊員の一人が呼んだ。
テンテルが円の中に入ると、先ほどの隊員が片手を伸ばした。
「君の師からの修了認め書を預かろう」
テンテルは師シュザからの一枚の文書を隊員に差し出した。隊員はその文書によく目を通すと、ふたたびテンテルのほうを見た。
「確かに。では、テンテル。君を我が『杉ノ山第十一師団』に迎え入れよう。