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宙に揺蕩ふ者なれば  作者: ユカタタン
第一章 黎明期の終わり
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Chapter 06 変異






ダンスホールでは、愛理が二人の成人男性を両肩に抱え、扉の反対側に運んでいた。

その間エメアは、発露させた薄紅のアウラを床に倒れむ夢子に注ぎ込んでいる。

昏倒する夢子の表情は苦悶に歪み、額には脂汗を浮かべ、浅い呼吸をしていた。

愛理は、白い煙が吹き込む扉から、眠る人々を遠ざけ終える。

だが、エメアの処置は続き、薄紅の光に包まれる夢子は、悪夢にうなされているのか、(しき)りに首を逸らし、藻掻いた。


夢子の意識は暗い世界で覚醒する。


――なんなの…どこなの、ここは…みんなは……


頭を動かす感覚はある。しかし、目を開けているのか、閉じているのか分からず、見えるのは暗黒だけ。

両手を伸ばしているつもりだが、手触りは無い。両足の感覚もあるのに、地面を踏む感触がない。


――どこ…ここ……


その時、背後から気配が迫り、背筋が舐められたような不快感に襲われる。何も見えない中、一瞬の出来事に狼狽した夢子。


――何ッ?!何なの!……やめて、来ないでッ!


熱も、匂いも、音もない。それなのに、何かが忍び寄ってくる。そう思わずにはいられない。

夢子は、意識的に頭を抱え、深い暗闇の中、縮こまる。判然としない手足の感覚を頼りに、胎児のような姿勢を想像し、身を守る。それは、気休めでしかなく、今現在、自分がどんな状況に陥っているのか、自分がどうなったのか分からない。

両手には、何の感触もない。上下の違いもない。自分を構築しているのは、漠然とした感覚だけだ。

その中で、唯一、はっきりと感じるのは、何かが近づく圧力と、胸から沸き上がる恐怖。

溺れていくような息苦しさが全身を埋め尽くす。

それに伴って、身体の感覚が鮮明になってきた。

手足が泥に使っている様に重い。足先から込み上げてきた寒気が、両足をしびれさせる。

胸の奥から、焼け付く様な痛みが膨れ上がり、喉を通って、口から溢れ出た。

叫びたいのに、声が出ない。振り払いたいのに、手足が動かない。

全ての感覚が、沈んでいく。

手を伸ばす自分を想像した。それ以外、彼女に出来ることはなかった。

やがて、何かが聞こえてくる。最初それは、遠くから聞こえてくる雑音や、微かな耳鳴りに思えた。しかし、徐々に大きくなるその音は、無数の羽音に変わる。

細かな羽音。耳障りな羽音。鼓膜を破きそうなほど、騒々しく、(おびただ)しい、羽音。


――嫌だ…来ないでッ、こっちに来ないで!私に近づかないでッ!消えてッもうやめてッ!!


夢子の意思は、拒絶を露わにした。それでも、羽音は鳴りやまず、迫ってくる。

真っ黒な虚無の中で、唯一形を成した悪意は、少女の心を蝕んだ。その時

羽音に紛れて、何か、別の音が聞こえ始める。

夢子は、僅かに残った意思に従い、手を伸ばす。

遠く、穏やかな音が聞こえる。小さな声が聞こえてくる。落ち着いた音。誰かを呼ぶ声。さざ波のような音。名前を呼ぶ声。潮騒(しおさい)


――夢子!


夢子の伸ばした手を誰かが引っ張り上げた。


夢子は目を開ける。

暗闇の中で、透明な気泡が輪郭を揺らし、昇っていく。

ぼんやりと見える自分の両手、身体、両足の全ては、白い(もや)で形作られ、感覚も前より鮮明になっている。

水中にもぐっている感触が全身を包み込む。それなのに、息苦しさを感じない。むしろ、心地いい。

指先に乗るような小さな気泡(きほう)。人の身の丈を超える気泡。全体像が見えないほど大きな気泡。

大小様々な気泡が、混沌の底から沸き上がり、果ての無い暗黒へ昇っていく。

羽音はもう聞こえない。代わりに


『夢子!しっかりして!』


美しい女性の声が、自分の名前を呼んでいた。


『じゃ、邪神…さん?』


暗黒の中、声の主は姿を見せず、語り出す。


『よかった…まだ自我は死んでない……でも、浸食は進んでいるようね……』


浸食(しんしょく)?』


『……ええ、このままだと、貴方の魂が邪神に飲み込まれるのも、時間の問題……』


『それって…邪神さんに、と言うことですか?』


『ええ…え?ああ、(わらわ)じゃないわよ!ほかの邪神!妾は人畜(じんちく)無害!』


『そ、そうなんですか……』


『そう!妾は、もっと高貴な…あ、いや、今それは置いておいて……夢子、今すぐにでも、妾のもとに来なさい。貴方の魂は、とりあえず今は無事だけど…肉体の方は、今直ぐにでも、歪められてしまう』


『ど、どう事ですか?』


『簡単に言うと、魂が侵される前に、妾が直々に夢子に力を与えるの……

 妾は、貴方のすぐ近くに居る、と言っても、似姿だけど…それでも、死にぞこないの邪神よりは、強力な力を秘めているわ』


――ミ…ミツ……ミツg……


微かな声が、途切れ途切れに聞こえた。夢子は聞き返す。


『はい?何でしょうか?あの、急に言葉が聞こえ(づら)くなったのですが?』


『あら、聞こえなかったかしら?反応と繋がりは強まっているのに、おかしいわね……』


邪神の声は、はっきりと聞こえた。


『あ、今は聞こえます…え?じゃあ、今のは一体、誰の声ですか?』


『え、ああ、もしかしたら…貴方の声、じゃないかしら?』






ダンスホールの愛理は、腕を組み、落ち着かない様子で歩き回っていた。

その時、夢子の上半身が跳ね起き、勢いそのまま、立ち上がる。

愛理は振り返り、目を見開く。そして


「ゥゥゥゥウウググググッ、ガガァアァアァアアアアギキィィイイギャカァアアアッ!!」


常軌を逸するけたたましい絶叫が、天を仰ぐ夢子の喉から轟き、ダンスホールを震わせた。

エメアは、体に纏ったアウラをかき消すと、翼を強く羽ばたかせ、飛び上がる。

愛理が見たのは、変わり果てた夢子の姿。

彼女の右目は、虫の様な黄色い複眼に変容し、口からは、興奮したように熱い呼吸が溢れる。

右手は真っ当な人の形を残す。その一方で、左の袖は、肥大化した腕によって裂けていた。

裂け目から露出する左腕の皮膚は黄緑に変色し、その表面には、骨のような細い甲殻が張り付く。指先は、岩石の様な鋭い爪が覆う。

両足は、今のところ、ジャージとスニーカーで隠れて分からない。

愛理が怒鳴った。


「エメアッ!何が起こった?!」


滞空するエメアは、夢子を睨みつつ答える。


「分からないッ…いや、きっと、彼女の体内で、邪神の残滓が活性化して、変容させているんだ」

 

「……ざっけんなッ」


愛理は誰に向けた訳でもない言葉を吐き捨て、背中にかけた骨の銃を左手で掴み、右手のリボルバーの引き金に指を掛ける。


夢子は、俯いたまま、肩で呼吸をする。その度に、人ならざる喘鳴(ぜんめい)を漏らす。

エメアは、僅かに目を逸らすと、心中で語った。


(夢子に行使した僕のアウラが原因かなぁ…でも、他に夢子を助ける術はなかったし……

 いや待てよ…さっき、爆発を抑えるために、僕が元の姿に戻って、直ぐに夢子に異変が現れた……ということは、僕が本の姿に戻ったせいか?だとすれば、これは…愛理のせいか?)


エメアの表情は真剣実を帯びる。

勝手に責任を押し付けられつつある愛理は、二つの銃口を夢子に向けたまま、変異した彼女の正面に回り込み声を掛けた。


「夢子…聞こえてるなら、頼むから、じっとしていてくれ……」


震えを堪える様に歯を食い縛る夢子の口元から、(よだれ)が伝う。

左目は人のままだが、白目が充血して、赤く染まっていた。

さらに、右目の複眼を囲う様に銀色の枝が伸び始める。

エメアは、愛理の頭上に飛んでいく。

ダンスホールの扉の辺りは、既に煙が薄まり、通路の壁が見え始める。

扉の端から慎重に頭を出したヨヘルは、愛理の背中を見た後、その奥に居た夢子を確認した。


(一体、何が起こっている……)


ヨヘルは、そう思う反面、おおよその状況を推測できた。




数週間前、大きな机が照らし出された暗い室内。


「つまり…俺たちは、文明が未熟な辺境の星で、邪神の遺骸に感染した原生生物を捕まえるのか?」


そう質問したのは、壁に寄り掛かるヨヘルで、応えるのは机の前に立つ兄貴だった。


「ああ…そうだ…慎重な作業を要求されるが……まあ、無理ではないだろう」


空中に浮かぶ足の無い丸椅子に座っていたパグーダが、口を挿む。


「はぁあ…まさか、俺たちが、邪神関連の事に、巻き込まれるとはなぁ…」


「まあ、それだけ、俺たちも色々やってきた…と言うことだな」


そう言って兄貴は、左腕に浮かぶ画面を操作する。

すると、目の前の机の四隅から、斜め上に向かって光が照射された。

四方から飛んできた光は、机の真ん中で交差し、立体的な地球儀を構築する。


「今回の仕事の範囲は、星全体から見てかなり狭い」


兄貴は星の表面を指差した。


「まず初めに、原住種族の言葉で『南極』と言われている領域の近くから大気圏に降下し、そのまま、この広い塩水の領域を低空飛行する。

そして、『ジャパン』と呼ばれる領域に侵入し、空から地上に向かって、荒い重力スキャニングを実施する。そこからヒットした個体を捕まえ、精密に解析し、データを増やし、スキャニングの制度を暫時(ざんじ)高めつつ、探索を続ける。

それから、依頼主の情報では、既に対象地域に先客(センキャク)がいる。俺たちの存在が露見しない様に、事を進めてほしいそうだ」


パクーダが膝に手を当てて軽く言う。


「大丈夫だって、あの旅客船(りょかくせん)で行くわけじゃないし、この船で慎重に行けば、問題ないだろ?」


ヨヘルが尋ねる。


「因みに、俺たちがその邪神の遺骸に触れたら、どうなる?」


室内が静まり返る。

兄貴は、机に両手を置き、語り出す。


「お前たちと出会う少し前…密林の星に住む呪術師から、こんな話を聞いた……」


 その昔、邪神を信奉する一団が、邪神の遺骸を磨り潰し、それを辺境の種族に飲ませた。

 邪神の遺骸を飲んだ種族は、瞬く間に、肉体が崩壊し、理性を失い。そして、多くの者が肉と骨の塊になって、死に絶えた――


パクーダから、生唾を飲み込む音が聞こえた。

兄貴は語り続ける。


「だが、その中で、生き残った者も、僅かにいた。

 そいつらは、全く別の生物に変貌(へんぼう)()げ、強大な力を手にし、その星で最強の存在となった。

 ところが、生き残り達は、(ことごと)く、行方知れずとなり、結局、種族は消滅。

 数世紀にわたって築いてきた文明は、廃れていったという……」


「……うッうぇ…ほんと…邪神って単語の後は、真っ当な話が繋がらない……」


パクーダがそうぼやく。

ヨヘルが一歩前の乗り出し、追及する。


「その話を聞く限り、俺たちが感染者に触れるのも、危ないんじゃないのか?」


パクーダが答えた。


「直接触れないようにする方法は行くらでもあるだろ。ほら、昔鹵獲(ろかく)した『遠隔操作型分身装置』を使えばいい。倉庫にしまって、(ほこり)被ってるだろうけど、今こそ使う好機さ!

 それをつかって、感染者を運んで、頑丈な袋に詰めて、あの客船に放り込む!」


兄貴も頷く。


「ああ、いい案だ。それに、依頼主曰く。異変が現れた個体に、触れない限り、危険はないそうだ。

 だから、俺たちが連れ去るのは、感染者の内、異変の無い個体だけ…依頼主もそれを望んでいる。それ以外は、近付かない。そうすれば、問題ない……」




そして、現在。

ヨヘルの目に映ったのは、変異が起こった個体だった。

おい、と声が掛かる。

ヨヘルが左を向くと、対岸の扉の端からパクーダが室内を覗いていた。

ダンスホールを出て、左側にパクーダが隠れ、右側にヨヘルが潜む。


『聞こえるか?』


耳元にヨヘルの声が届いたパクーダは応答した。


「ああヨヘル…聞こえてる。どうする、今のうちに攻撃するか?」


『いや、様子を見よう……幸い、ほかの個体には、異変はないようだし、侵入者の方も、変異個体をどうするべきか迷ってるみたいだ』 


その通りだった。愛理は銃を構えたものの、発砲せず、困惑の表情のまま、語り掛ける。


「夢子、落ち着け、いいな、自分のことを忘れるな。おまえは、ほかの誰でもない。夢子だ」


エメアも言う。


「そうだよ、君は、セラ ユメコ!…地球の日本に生まれた小さな女の子だよ!」


『あの者達の言う通りよ夢子!自分の精神と心をしっかりと自覚して、自分を思い出して!』


愛理とエメアが必死で呼び、故も分からぬ女性の声が告げる。

夢子は、充血した左目を見開き、身体を震わせ、荒れた呼吸をしながら、口を動かした。


「ワ、タ…シ、ハ……」


鋭い牙が見える口が発した声は、夢子のものとは思えないほど低く轟いた。が、それでも、愛理は、会話の可能性が見えたことで、頬を緩める。


「ワタシ、ハ…ミ、ツケ、ル…ミツケル…ミツケル、ミツケルミツケロ見ツケテ…見ツケタ!」


愛理の淡い期待が崩れ去り、エメアは歯を食いしばった。


「ワタクシハ見ツケタノデスッ!新タナル希望ヲ!栄光ノ(キザ)シヲッ!」


そう豪語した夢子の体は、両腕を掲げ、天を仰ぎ見る。

愛理とエメアは、沈痛を顔に表す。

二人に向き直った夢子は、大げさな身振り手振りを交えて、熱っぽく朗読した。


「コレコソ、ワタクシガ至高神ノ眷族(ケンゾク)タル証!

 神デアルカラコソ、悠久(ユウキュウ)(トキ)ヲコエ、今マサニ、矮小(ワイショウ)ナル依リ代(ヨリシロ)(カテ)トシ、復活ヲナシエタノデスッ!……

 (ワタクシ)ノ言葉、伝ワッテイマスカ?」


 愛理は両手の銃の引き金を若干引き、応じた。


「ああ、手前(てめ)ぇが訳分かんねぇことほざいているのは、理解できたぞッ」


夢子の体を乗っ取った邪神は、肩を竦める。


「……ソレハ、結構。依リ代ノ記憶カラ、言葉ヲ抽出シ始メタバカリデシテ…必要…(イタ)ラヌ……

 無用ナ言葉ヲ使ウカモシレナイ……

 ソレハソウト、早速、食事ヲ頂キマス。食ベル?……マアイイ…何分(ナニブン)、コノ数億年ノ間、一切、何モ、(クチ)ニシテイマセンノデ、チカラ、ガ入ラナ、イ?」


食事、と言った直後、邪神の視線が、愛理から、その横に飛行するエメアに向けられた。


「今ノ体力デハ…他ノ器カラ…ワタクシ……我ガ肉体ヲ取リ出セナイ……」


愛理は、エメアの前に立ち、邪神の視線を遮る。


「この豚羊を喰うってぇなら、まず飼い主に許可を貰ってからにしな……」


「ホホゥ、飼イ主、デスカ……デシタラ、ソノ飼イ主ノ方ガ命ヲ散ラセバ、無用ナ交渉ハ、(ハブ)ケマショウナ?」


仰々しい仕草を繰り出す夢子の体。一方で、彼女の面影を残す左目の端に、涙が浮かんだ。

愛理はそれを見逃さない。

その時、エメアが急旋回して、愛理の頬に自分の頬を思い切り、叩き付ける。

愛理は若干頭が揺れると、少し怒鳴った。


「んだよッ!豚羊って言ったことは謝るよ!」


『それは後で謝って、今は目の前の夢子に集中して』


愛理の脳裏に、エメアの声が伝わる。


『今あの邪神は、僕に注目している。その間は、ほかの人や神様が狙われることはない』


愛理は夢子を見ながら、とても小さな声で答えた。


「…大丈夫なのか、旦那のこととか、もうバレてんじゃねぇの電波とかで?」


『それは解らないけど、少なくとも、今あの邪神は他でもなく、この僕に狙いをつけている。

 だったら、注意を引いて隙を作って、倒せる可能性もあるはずだ』


「成程な…お前の魂胆は分かったよ…で、夢子は?」


エメアの返事はない。

愛理は夢子の顔を見た。

その口元は、見る見るうちに、牙の様な銀色の甲殻に覆われる。人間的な左目の白目は、先ほどよりも一層充血して、赤黒く染まっていた。




――キ……エテ……キコエテル……聞こえている…夢子、聞こえている?


――き、聞こえて、います……


夢子は、暗黒に漂っていた。


『まだ心は残っているようね…だとすれば、妾の力で、元に戻せる。

 妾のもとに…いや、今は、貴方の意識と肉体は分離されてしまって、動けない。

 けど、次に、あの小汚い不埒者(ふらちもの)が隙を見せた時、貴方の意識を弾き出せば……

 そうすれば、貴方の体の自由を奪い返せるはず。その瞬間に、全力で部屋から飛び出て、駆け抜けなさい!いいわね?!そして、扉を……』




ダンスホールでは、愛理が邪神に問う。


「いいのか、悠長に人がだべってるのを待って、邪神がそんなに行儀いいとは、思わなかったぞ?」


「構イマセン、棘ヲ向ケヨウガ、毒ヲ飛バソウガ、花ハ花……

 イカナル時デモ、ドンナ状況デアロウトモ、ワタクシノ意思一ツデ、イクラデモ、摘ミ取レル」


「忘れてるようだから言っとくけど、お前一回死んでんだぞ?へっぽこ邪神!」


愛理が嘲笑交じりに告げると、ゆったり動いていた夢子の身体が制止した。

夢子の首が、邪神の意志で捻じれ、変異した顔が、愛理の方を向き、赤黒い左目が見開かれる。


「……ソンナニモ、死ニ急グカ、地虫(ジムシ)ッ……」


愛理は、両手の銃を強く握り、言う。


「死なねぇよ……少なくとも、手前ぇをぶっ潰して、夢子を取り返すまではなッ……」


エメアが悲しそうな目で、愛理の横顔を覗く。

邪神が操る夢子の身体は、愛理に向き直る。


「成程……貴女(キジョ)…イヤ、貴様(キサマ)ハドウヤラ、現実ヲ理解スル認知機能ヲ逸シテイルヨウダ」


愛理は鼻で笑う。


「ふ、戯言(ざれごと)はいいから、とっとと掛かって来い。こそこそ感染しやがって、黴菌(バイキン)野郎ッ!」


愛理の二丁銃は、真っ直ぐ夢子を狙う。

夢子の体は両足を前後に広げ、前屈みになると、右の複眼に愛理の姿を映した。


「ナラバ…コノ肉体ノ力量(リキリョウ)(ハカ)ル為ニモ……

 望ミ通リ、ソノ命ッ…摘ミ取ッテクレヨウッォオッ!!」


夢子の体は、前に伸ばした右足を踏み込み、駆け出す。


扉の端から、パクーダが一瞬出ようとしたが、ヨヘルが掌を見せて制止した。


飛び出す夢子は、左腕を引く。これで、何時でも鋭い爪を突き出せる。


(肉体ノ変異ハ、マダ完全デハナイ……故ニ、我ガ本領ヲ十全ニ発揮スルコトハ叶ワナイ、ガ、ソレデモ、コノ片腕ダケデ、貴様ヲ丹念ニ、切リ分ケラレルゾッ!)

 

夢子を蝕む邪神が心中でほくそ笑んだ。その時


『油断したわね…お馬鹿さん……』


走る夢子の体が、次に床を踏締めるまでの刹那の間、邪神は、突如聞こえてきた声に動揺した。


『誰ダ?!誰ナンダ?!断リモナク…コノ我ニ言葉ヲ向ケルトハ……イヤ、違ウ…言葉ヲ送ッテイルダケデハナイナッ……直接、コノ肉体ニ侵入シテキタカ?!』


『あら、ご明察…と言っても、妾は、ちゃんとその体の主と心を通わせたの、だから、難無く入り込めた。不法侵入したお主と一緒にしてもらっては…心外ぞ!』


夢子の身体は、愛理とあと一歩の距離で踏みとどまると、左腕を振り上げた格好で硬直した。

困惑する愛理は、一歩引き下がり、夢子の胸元に骨の銃を向ける。


同じ時、暗い通路の曲がり角から、旦那が顔を出した。そして、通路の向こうに見える扉の両脇に隠れていたパクーダとヨヘルを見つめる。


「どうしようぉ……」


旦那は、そう呟いた。





 

そこは、半円形の広い空間で、中央に黒く滑らかな表面の机があり、その上の天井から伸びるアームによって、椅子が吊るされていた。

弧を描く大きな窓ガラスの向こうには、銀河の星々が一望できる。その真下には、大きなディスプレイが並んで嵌め込まれた制御盤が湾曲した壁に沿って備え付けられていた。

その時、窓の反対側から、硬いものが勢いよく直撃した衝撃音が響く。

音の発生源は、垂直で平坦な壁の中心。

騒音は何度も続き、その度に壁が膨れ上がり、やがて、壁の中心に縦の隙間が生じる。

そこはもともと扉だった。

開いた隙間から、太く、重く、堅硬な角ばった爪が飛び出す。

隙間は押し広げられ、更に、もう一つの爪が割り込む。ギシギシ、と金属由来の鈍い音が響く。

そして、二つ飛び出た鋼の爪が、歪んだ扉を左右に折り曲げた。

大きく開いた扉の隙間から、黒い手が出ると重装備の満が頭を出す。

重装備とは言え、もともと体の小さかった満は、ぎりぎり隙間を潜り抜ける。

彼は胸で交差するベルトの金具を外し、一歩前進した。が、思い出したように振り返り、元来た隙間に腕を入れると、キーボード付きのデバイスを掴み出す。

息の上がっていた満は、首元の掛け紐を解くと、ヘルメットを脱ぎ、ガスマスクを外す。

蒸れた頭から熱気が溢れ、汗に濡れた頬は赤くなっていた。


「ハァ…よし…艦橋(かんきょう)…いや、船橋(せんきょう)か?に到着……一人で…ハァ…出来た…ハァ……ハ、はは…はははは……」


満の笑い声が(わび)しく艦橋、いや、船橋に響いた。


「はははぁ……やっぱ、『艦橋』の方が、かっこいいな…うん」


さっきまで満が乗っていたロボットはと言うと、艦橋の前に広がるT字路の突き当りにめり込んでいた。

球形の胴体の中央が抉られ、そこから無数のケーブルと部品が飛び出し、火花を散らす。

そして、その前を黒い影が通り過ぎた。











『何ガ起コッテイル?!誰ナンダ貴様ハ?!』


夢子の脳裏では、人ならざる者たちが言葉を交わしていた。


『覚えていない妾のこと?酷いわねぇ…死んでいたのは、高々数億年でしょ…小虫ちゃん?』

 

『ソ、ソノクチブリ…マサカ、貴様カ!淫婦(インプ)ッ!』


『あら、そんな呼び名で他人を呼ぶなんて、下品な性根は相も変わらずね…羽虫(ハムシ)の王……』


『貴様コソ!コノ我ヲソノ様ナ蔑称(ベッショウ)デモッテ愚弄(グロウ)スルトハッ!』


『そうね、御免なさい。この子の知りうる言語で、今のあなたにふさわしい呼び名は……

 黴菌マン、でしょうね!』


 夢子の脳裏で、羽虫の王、または黴菌マンが歯噛みすると、その場の精神の本当の主が頼りない思念を送ってきた。


『…あ、あのぉ…わ、わたしは、どうすれば、いいのでしょうか?』


『そうね、夢子はとりあえず、妾の意識の後ろに隠れていないさい。

 でないと、彼奴(きゃつ)ッの汚らわしい怨念があなたを襲いかねない。

 後であなたにも手伝ってもらうんだから、今は、無事でいてね?』


『そ、そうなんですか?……あ、でも…なんだが、眠たくなってきたというか…意識が朦朧(もうろう)としてきた…と言いますかぁ……』


『それは駄目ねぇ…なにか、思い続けて、意思を保つの。適当な事でも、重要な事でも、嫌な事でも、嬉しい事でも、とりあえず何か念じ続けて』


一方、物質世界では。


「夢子!聞こえてるか!聞こえてるよな!だったら自分を思い出せ!負けるな!お前は強いぞ!黴菌野郎に負けんなッ!」


愛理が銃を掲げ、目の前で硬直する夢子にエールを送る。その隣で羽ばたくエメアも、声を上げた。


「そうだそうだ!ファイトだよ夢子ッ!

 もし負けたら、愛理の無慈悲な銃弾が君の命を必ずや打ち砕くから、絶体に負けないでッ!」


愛理は両腕を上げたまま、エメアの方を向く。


「おい!あたしにそんな重い宿業(カルマ)を背負わせるなッ!お前が一思いにがぶりと咬みつけ!」


「僕は君たちと違って、繊細な舌と消化器官を備えているんだ。夢子には申し訳ないけど、汚染されたものを口に含みたくはないねぇ……」


憤慨する愛理。

やれやれと言うように、首を横に振るエメア。


扉の陰では、パクーダとヨヘルが視線を交わすと、二人同時に頷いた。

エメアと愛理が睨み合っている隙に、ヨヘルは持っていた袋に手を入れ、機関銃の如き器具を取り出し、パクーダに投げる。

次にヨヘルは、渦巻き状に丸めた黒い束を袋から取り出す。

その様子を通路の曲がり角から見ていた旦那は、おもわず叫んだ。


「愛理!エメア!敵だッ!!」


旦那の左に続く通路から、黒い影が忍び寄る。

ダンスホールのエメアと愛理が振り返った瞬間、パクーダが機関銃を室内に突き出し、銃口から光の弾丸が炸裂した。

エメアの体から薄紅のアウラが溢れ出る。光の弾丸は、薄紅のオーロラに弾かれ、天井に向かって進路を変えた。

エメアの後ろから愛理が飛び出し、扉に向かって骨の銃を構え、引き金を引く。

骨の銃口から重たい発砲音が轟き、真っ直ぐ飛んでいく尖った弾丸は、人が視認できぬ速度で直進した。

パグーダは扉の陰に隠れる。が、愛理の弾丸は扉の端を掠めて砕き、パクーダの左横腹に衝撃を与えると、そのまま通路の壁に直撃した。

よろめき、片膝を付き、横腹に手を当てるパクーダの名をヨヘルが叫ぶ。


「ぐッうぅ……平気だ…」


パクーダは消え入る声で告げた。

直後、通路の奥から、騒音が轟く。

ヨヘルがパクーダの向こうを見ると、突き飛ばされた旦那が壁に激突していた。

無言で脱力する旦那は、壁に背中を擦り付けて、床に垂れ下がる。


「何だ?!」


パクーダは、驚きの声を上げた。


旦那の目の前に影法師(かげぼうし)が近づく。

影は、不気味に揺らめいた後、白黒に瞬き、上の方から色を変えていった。

見る見るうちに、影法師は変色し、やがて、外套を被った兄貴となる。


「兄貴ッ…うッ!!」


パクーダは声を上げると、呻き、膝を屈した。

兄貴は旦那を放置して、すかさず駆け寄だし、パクーダの背中を支え、ゆっくりと床に座らせる。


「大丈夫か、何があった?」


辛そうなパクーダは、兄貴に向き合うと、答えた。


「うぅッ…弾丸が横腹を掠った…けど大丈夫、服も破けてねぇから、傷は無い、筈……

 (あざ)はできたかもしんねぇけど」


「そうか、なら自分の足で歩けるか?」


パクーダは兄貴に支えられながらも、自らの足で立ち上がって見せる。

次の瞬間、パクーダは兄貴を横の壁に向かって押し退けた。

壁にぶつかった兄貴が驚く間もなく、パクーダは蒼く揺らめく光の塊を真正面から受け止め、後方に弾き飛ばされる。

ヨヘルは、飛んできたパクーダの背中を受け止めた。

兄貴が振り向くと、先程まで倒れ込んでいた旦那が、壁を支えにして、立ち上がる。

突き出された蒼い右手は、群青のアウラの光に包み込まれていた。

群青色に染まった星雲の如きアウラ。その内部では、薄い虹色が揺らめき、銀河の様な眩い粒子が激しく渦巻く。

兄貴が身構えると、右側の壁が弾け飛んで、弾丸が飛び込んできた。

兄貴が後ろに飛び退き、開いた扉に姿を晒す。

ダンスホールの中に居た愛理は、兄貴に向かって、立て続けに射撃した。

二発は骨の銃から放たれ、合間にリボルバーが一発撃つ。

兄貴の体の傍を二発の弾丸が通り過ぎ、向こうの壁に轟音を立ててめり込む。

踵を返す兄貴。その動きに合わせて波打つ外套を最後の弾丸が貫く。

廊下に破砕音が響き渡ると、外套を突き抜けた弾丸が壁にめり込む。

動かないパクーダに押し倒されたヨヘルが、大声で兄貴を呼ぶ。

直後、兄貴の足元から、鈍い落下音が響く。

パクーダをどかして起き上がるヨヘルが床を見ると、千切れた黒い袖とグローブに包まれた右腕が転がっていた。

兄貴は左手で右肩を抱え、後ろに下がり、扉の傍から離れる。

床に落ちる右腕の肩に出来た無機質な断面からは、管が飛び出し、黒い液体を床に垂らす。それに絡まる千切れた配線からは、青い火花が散る。

右手に群青のアウラを携えた旦那は歩き出し、ダンスホールから注ぐ照明の中で立ち止まった。

その姿を見たエメアと愛理の表情が緩む。


「無事か旦那!?」


愛理が旦那の横顔を見ながら尋ねる。


「ああ、無事だ。君たちの方、は…なんだ?」


旦那が室内を覗くと、二人の後ろに見知らぬ生物が立ち止まっている。

生物の胸元には、胸骨の如き甲殻が張り付き、その下にパーカーの生地が覗く。そして、下半身にはジャージを履いていた。

旦那は兄貴を睨みながら告げる。


「何が起こったのかは、想像つく。二人は大丈夫かい?」


「僕も愛理も大丈夫です。夢子の方は、今のところ、動いていません」


エメアは翼を広げて宙を舞い、離れた位置から微動だにしない夢子を見つめた。




『…身体ガ…動カナイッ!何故ダッ!?何故動カナインダッ!我ガ手中(シュチュウ)ニ有ルハズナノニッ!!』


視線すら動かせない羽虫の王は、精神世界で慟哭(どうこく)する。そこへ、淫婦が語った。


『状況を理解せよ……今、お主と妾の意志は引っ張り合って、結果、この肉体の制御がお互い、不可能になっている。でも、そこに夢子の意志も合わされば、どうなるか……』

 

(ナニ)ッ!?マダアノ小娘ノ意識ガ残ッテイタノカ!オノレ小癪(コシャク)ナッ!』


『状況が不利に傾くと、途端に小物臭くなるわね……』


『貴様ッ…ドコマデ不遜ニ振ル舞エバ、己ノ傲慢(ゴウマン)ヲ改メルノダッ!猥雑(ワイザツ)ナ邪神メッ!』


『別に伝えたくて伝えたんじゃないわ、ただ、思ったことが、直接、お前に伝わってしまうの……

 それが嫌なら、さっさとこの身体から出ていくことね……』




物質世界では、兄貴が左腕を外套の内側に引っ込め、旦那を見ながら後ろの仲間に問う。


「無事かお前ら?」


「ああ、無事だ…パクーダは……」


「問題ないぜぇ…」


ヨヘルは、パクーダの背中を支え、一緒に立ち上がる。

直後、二人と兄貴の間にあった壁が吹き飛び、穴が開く。


愛理の骨の銃の口から、濃い硝煙が立ち昇っていた。


兄貴の外套から左腕が飛び出ると、その手に握られていた灰色の球体が落下する。

床に接触した球体の真ん中が上下に開き、六角形の無数の穴が露わになり、そこから勢いよく煙が噴き上がる。

旦那の手に浮かぶ群青のアウラが、波紋となって空間に広がり、煙を押し退け、巻き上がった。

壁に開いた穴と扉の端から煙が漏れ出し、ダンスホールに流入する。

それを見てエメアが告げる。


「愛理!夢子は僕が見る!」


「任せた!」


そう言った愛理は駆け出し、扉の前にやってくる。しかし、既に、煙の中に誘拐犯たちの姿は見えなかった。

群青のアウラによる波紋が、強く煙を吹き飛ばす。

視界が晴れると、愛理が誰も居ない廊下を睨み、呟いた。


「逃げられた……」






通路を走るヨヘルが後ろの兄貴に問い掛ける。


「あの機械に騎乗していた小さな生物はやったのか?」


「……いいや、色々と面倒な技術を持っていたし、船橋を制圧されても、また制御を奪い返せると思ってな…それに、最後の手段では、船橋ごと吹き飛ばせばカタが付く。

 その後は、俺たちの船でこの船を牽引だ」


「なるほど…それじゃ人数も揃ったし、そのチビを殺しに行くか?」


パクーダは負傷をものともせず走り続ける。

兄貴が答えた。


「そうだな、一匹ずつ、確実に仕留めよう」


ヨヘルは言う。


「そして、叶うなら、アウラ生命体を確保したいな…」


「だな、俺をふっ飛ばしたあの二足歩行の奴も、多分アウラ生命体だし……お詫びの印に、高値で売り飛ばしてやるよ!!」


兄貴は、少し楽しそうに、呟く。


「誰にとってのお詫びなんだ?」






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