Chapter 02 電撃
人型達は足を止め、それぞれ振り返る。
人々が目にしたのは最初に怒鳴っていた男。
彼は紙袋をその場に降ろすと、大股で歩き出し、人型の方へ向かって行く。
男の怒りの形相を見た人々は、これから何が起こるのか、色々と想像する。
その中で、愛理は悩んだ顔になり、男に向かって僅かに手を伸ばす。が、二人の距離は遠く、その間には人々が立ちはだかっていた。彼女はそれ以上動かず、下唇を咬む。
人型達は、互いに視線を交わす。
「お前ら何なんだ?!ここは何処だッ!?さっさと俺を帰せ!このクソコスプレ野郎ッ!」
男は唾を飛ばして怒鳴り、外套の人型へ手を伸ばした。
胸倉を掴んで、揺さぶる。男を含めて、誰もが想像した一連の動作。
しかし、男の手は、外套人型の胸元に難なく入り込む。
男は驚き、目を丸くした。直後、彼は野太く絶叫して、右手を引っ込める。
人々がざわつく。
男の右手は赤くそまり、熱を帯びていた。
一方、外套人型は苦しむ様子も、焦った様子もなく。むしろ、のどを鳴らして、嘲笑している様に見えた。
男は、小刻みに震える右手首を押え、人型達を睨む。
すると、兜頭が持っていた杖の先端を男に向け、杖の真ん中の節を捻った。
杖の先端は、三つに枝分かれすると、枝の一本一本が、二つの関節で屈曲する。それは、鳥の脚先の様に見えた。
愛理は目を丸くして、急ぎ、スマホを構える人々を掻き分ける。
三又の枝の内側には、黒い構造が張り巡らされ、そこに幾つも並ぶ真鍮色の突起が電撃を放出した。
バチバチと鋭い音が響き渡ると、男も人々も、危険を察知する。
愛理は、二人の男を左右に押し退け、身を乗り出すと、声を上げた。
「逃げろおっさん!!」
その声を合図にしたのか、兜頭は、男に向かって杖の枝先を突き込んだ。
男は咄嗟に体を左に逸らすと、電撃を纏う枝先は、空を突く。
紙一重で一撃を躱された兜頭は、長い杖を素早く操ると、再び枝先を男の胴に向け、押し込む。
一瞬の出来事に、男は思わず左手を伸ばす。
愛理が叫んだ。
「触っちゃだめだ!!」
放たれた枝先を右手で掴んだ男に、激痛が襲うと、野太い唸り声が轟く。
枝先から放出される電撃は、男の右手から腕を通り、人体の隅々から、奥の奥まで流れ込む。
男は全身を痙攣させ、筋肉が委縮し歯を食い縛ると、呻くことを強制される。
人々から悲鳴とどよめきが溢れる。その中で愛理は、下唇を噛み締め、強く瞼を閉じ、俯いた。
兜頭が杖を引っ込めると、男の手から、枝先が離れる。
電撃から解放された男は、沈黙し、硬直したまま後ろに倒れた。
成人男性の背中が衝突した床は、大きな音を一帯に響きかせ、男女混ざり合った悲鳴が轟く。
恐怖した人々は、歪曲した壁に沿って、人型のいる方とは対照の位置へ移動する。
愛理は、乱暴に頭を掻きむしると、足元に何かが滑り込んできた。
兜頭は杖を反転させると、何もない杖の反対で倒れる男の胴を軽く突く。
人々に押し込まれた夢子は、口元を手で押さえながら、引き下がる。
何とか歩けるようになっていたが、呼吸は乱れ、額から脂汗を流し、息苦しさに胸を押さえた。
すぐ傍にいた老婆がその異変に気付く。
「大丈夫かい?」
夢子は無言で頷くが、次第に耳も遠くなって、寒気が襲い、体が震え始める。
老婆は、ただ事ではないと思い、夢子の背中を摩った。
一方愛理は、遅れて人々に合流し、人の盾にされる。
両隣でも、逃げ遅れたのか、立ち位置が悪かったのか、運悪く壁にされた人が押し合いへし合いを繰り返す。
「押すなよ!」「お前こそ!」「中に入れろ!」「うるせぇッ!」
醜く、絶え間ない怒号に、愛理はうんざりした顔になると、手に持っていた紙袋に視線を移す。それは、倒れた男の持ち物。
夢子の方は、なんとか人々の中心に入り込めた。本人の意思、と言うより、人の流れに巻き込まれた結果だ。しかし、不調は強まり、肺に込み上げる圧迫感で痛みを覚え、両肩を抱きしめる。
それでも、震えは収まらず、とうとう彼女は、膝から崩れ落ちた。
それによって押された周りの人は、一瞬夢子を見て、ある者は睨み、ある者は舌打ちをする。
結局、老婆と共に夢子を気にかけたのは、若い男性一人だけだった。
夢子の意識は既に薄れ、誰の声も聞こえず、視界は黒く濁る。
だが、働かない頭の中で、形を成すものがあった。
――キ、ク…キク、ナイ…キコ、エル――キコエ、ナイ――ワカル…ワカラナイ――
夢子の脳裏に、自分の意思に反する言葉が浮ぶ。
平常であれば、その異変に思考と疑念が向けられただろう。
だが、今の夢子に明確な意思も確固たる思慮もない。沸々とこみ上げる痛みと、強い恐怖と深い悲しみだけが満ちていた。
外套人型が操作する画面に、青い二重の円が浮かぶと、僅かながら、ソナー音の様な連続する音色が聞こえ始める。外套の人型が、腕の画面を仲間に見せた。三体の人型は、しばしの間視線を交わし、何かを示し合わせると、兜頭とスカーフが並んで歩き出し、外套の人型は、別の方に進んでいく。
「うっはぁ……やっぱ、バレてる……」
微妙な顔の愛理が見つめる先から、兜頭とスカーフがやってくる。
一方、外套人型が人々に迫ると、壁にされていた人が我先にと左右へ逃げ出す。それから、示し合わせた様に、人々は遅滞なく動き出し、道を開けた。
結果、外套人型は人々の間をスムーズに進み続ける。
「なあ、完全にバレてる…もう駄目だ…あたしは服をひん剥かれて、お嫁に行けなくされる…」
愛理は冗談か本気か分からない台詞を吐く。その脳裏に、大人びた声が呼び掛ける。
『大丈夫だよ…相手は地球外生命体。よほど特殊な性癖を持っていない限り、君の貞操は無事だ。
寧ろ、命の方を心配するべきだろう』
「そうか…だったら、早く援軍にきてくれよ……」
愛理は、目を瞑り、僅かに俯く。
『そのつもりだ…今、満の作業も大詰めを迎えている。あともう少しで、そちらへ飛ぶホールを繋げられる、と思う。ギリギリまで延命してくれ!』
「はは…延命?どうやって?あたし英語は出来るけど、あいつらと話せる気がしないわ」
『まあ、多分、話せたとしても、問答無用で殺しに来る、だろうね……』
そして、愛理の直ぐ傍で重い足音が途切れる。彼女は顔を上げ、目の前に立つ二体の人型にぎこちない笑顔を見せると、
「ハ、hello……」と言った。
暗い視界の中、誰かの声が聞こえ始める。
――じょ…ちゃ……おじょ…ちゃん……おじょうちゃん……
その声が段々と大きくなり、意味が分かり始める。
「お嬢ちゃん…お嬢ちゃん!早くおきて!」
老婆は、横たわる夢子の体を必死に揺さぶり、呼びかける。その周りから、人々が立ち去っていく。
やがて、夢子は瞼を開け、ぼんやりとした瞳を動かし、周囲を見た。
それから起きあがると、呼吸が楽になっていることに気が付く。体の震えも収まり、音が聞こえ始め、視界も明瞭になる。
老婆は、救われたような笑みを夢子に向けると、立ち上がり、彼女の腕を引っ張った。
「早く立って!逃げなきゃ!」
急かされた夢子は、何が何だか分からない。それでも、とりあえず立ち上がろうとした。が、足がもつれて、再び膝を床につける。
――キコエル
「え?」
夢子は、直ぐ近くから、誰かに呼ばれたような気がして、老婆を見上げた。
だが老婆は「早く立って!」と言いつつ、別の方を見ている。
夢子は、再び立ち上がろうとした。しかし、思うように足に力が入らず、腰を上げた瞬間、転倒し、老婆の介添えから離れた。
「大丈夫?!」
――キコエる?
手を差し伸べ心配する老婆の声と、全く異質な言葉が重なる。
起きあがった夢子は、聞こえてくる言葉が、頭の中で、勝手に紡がれた文字であることをやっと理解した。
――ソれトも、マダ聞コエない?もしかして、無視してる?
脳内に沸き上がるその言葉は、最初は文字として認識していたが、やがて、音に変わり、最後は、女性の声となった。
夢子は顔を青ざめさせ、床にへたり込んだまま、硬直する。
そして、膝元に、金属で作ったブーツの爪先が到達した。
顔を上げた夢子を外套人型は、見下ろす。
夢子の背後に、老婆は回り込む。二人とも恐怖しきった顔で、人型を見上げた。
愛理は、兜頭とスカーフに背を向けて、大きくため息をつく。
その周りを囲む様に群衆が輪を作り、携帯のカメラで少女と人型達を撮影する。
「あぁあ…英語以外の言語も覚えときゃ良かった…あ、そう言えば、テレパシーを使えば言語が分からなくても、ある程度、意思疎通ができるって…言ってたっけ?
ああ、もっとテレパシーの練習しておけば……あんたらと、話せたか?」
愛理が振り返ると、電撃を纏う枝先が、目の前に飛び込んで来た。
少女の顔に直撃する。誰もがそう思い、スマホで決定的瞬間を捉えようとした。
しかし、愛理は、左足を軸に回れ右をする。彼女の眼前を杖が高速で横切る。しかし、杖は同じ速度で引っ込み、今度は愛理の胴体を狙う。彼女は一歩引き下がると同時に前屈し、電撃から逃れ、紙袋を手放す。
「ごめんおっさん!」
愛理の腹の前を勢いよく突き抜けた杖の柄。それを彼女は両手で掴み取った。
兜頭が両腕に力を込めて、杖を引っ込めようとする。が、愛理は、左足で兜頭の胴体を勢いよく蹴りつけた。スニーカーを履く彼女の足は、兜頭の腹を容易く突き抜ける。
「おっと!しまった!」
愛理は急いで左足を引っ込めた。
傍らのスカーフ人型が叫ぶような、唸るような奇声を上げる。
夢子に手を伸ばそうとしていた外套人型が振り返ると、仲間と地球人類がひと悶着を起こしていた。
外套人型は、腕に浮かぶ画面を指先で爪弾く。すると、天井に張り付いていた器具が動き出す。
その器具の見た目は、機械的で、消臭スプレーの噴霧器を肥大化させたような形状をしていた。
器具は天井を滑るように移動し、やがて止まると落下し、スカーフが掲げた大きな手に収まる。
赤く燐光する器具の先端が愛理に向けられる。
仲間の杖を握り締めて離さない地球人にスカーフは引き金を引いた。
愛理は、素早く杖を持ち上げその下を潜り、飛び込む様に前転する。
甲高い音が響くと同時に、赤い一閃が、さっきまで愛理が居た空間を斜めに通過した。
床に着弾した赤い光が水の様に弾け、沸騰したような音が轟く。
周りの野次馬たちは慄き、叫び、背を向けて走りだす。が、そのうち数人は、神経図太く、スマホのカメラを愛理と兜頭に向けたまま逃げる。
「いきなり銃の攻撃は反則だろッ!」
愛理は、立ち上がりながら振り向くと、スカートに隠れた太腿を右手で叩き、声を上げた。
「第弐拾武装解放!」
直後、愛理の右手から白い閃光が溢れ出す。
強い光に当てられた人々は、目を隠すと、銃声が轟き、何かが破裂する音が響く。
スカーフが持っていた噴霧器型の銃が内部から砕け散った。
細かな破片のいくつかは、スカーフの体を通過し、床にばら蒔かれる。
それを見た愛理は、得意気に口角を釣り上げた。