Chapter 01 困惑
真っ暗な深淵に奪われていた意識が戻ってくると、改めて自分と言う一人の存在を思い出す。
次に芽生えたのは、生暖かい温度、それと、頬に張り付く、硬い感触。
無意識のうちに瞼を開けると、ぼやけた視界に光が注がれ、瞳孔が収縮した。両目を襲う鈍痛に耐えながら、床に両手をついて、起き上がる。
瞬きを繰り返していると、景色が鮮明になってきた。
今まで、わたしが横たわっていた床は、薄っすらと黄色く光っている。
周りを見ると、今まさに、床から起き上がろうとする人々が居た。ざっと見て、数十人。
殆どが日本人らしい顔立ち。しかし、性別と年齢は、それぞれ違う。
スーツを着こなす男性、私服の女性、学生服の少年、ブレザーの少女、母を呼び泣き叫ぶ男の子や、静かに狼狽するご婦人。見える限り、一人だけ白人の男性も居た。
その全員に共通しているのは、仕草と表情から分かる通り、困惑していることだけ、だろう。
その中で、パーカーを着た少女、夢子が、頼りなさそうに立ち上がる。不安そうに周囲を見渡す彼女は、不意に顔を顰め、首筋に触れた。
夢子が指先で触れた肌は、虫刺されの如く、丸い形に赤く盛り上がり、熱を帯びている。
それは、周りの人々も同じで、夢子は、近くに居た人の首筋を見て、自分も、同じようになっていると、何となく理解した。
夢子は上を向く。滑らかなドーム型の高い天井は白く、所々に何か異物が張り付いている。注目する限り、異物は工具が機械の類と思われたが、詳しくは判別できない。それでも、自分たちが今居る空間が円形のドームであることは理解できた。
床も天井も光を放っているのか、眩しくない程度に明るく、一人一人の輪郭がくっきり見える。
「どこ…ここ……」
夢子は、か細い声で囁くと、着ていたパーカーの腹ポケットから、スマホを取りだした。
周りでも、皆一様に携帯を操作し始める。が、繋がらないようで、老若男女の苛立ちの声が聞こえ始めた。
夢子のスマホの画面にも、圏外の表示が出ている。
不安と憤りと焦燥の声が次第に大きくなり、増えていく。
「どいうことだッこれはッ!!」
突然、男の怒声が響き渡り、夢子は肩をすくめた。周りの人々も、同じような反応を示す。
声の発信源を向くと、色黒で顔中ピアスだらけの金髪の男が怒りを露にし、ここは何処だ!とか、何なんだ!とか、思いついた言葉を大声に出している。
関わらない方がいい、と直感した人々は、怒鳴る男からゆっくりと背け、慎重に離れて行った。
夢子も、パーカーのフードを目深に被り、人々に紛れ、男の方を注目し続ける。
散々喚いた男は遂に何も言わなくなると、肩を落とし、手に持っていた紙袋を覗き込む。そして、怒りの形相から一変、泣きそうな顔になった。
夢子は、男が危険な人物ではないと何となく思い、視線を外す。直後、人々の合間に見えた女性が目に留まった。
女性と直感したが、彼女はブレザーの学生服を着ている少女。ベリーショートの髪型、日に焼けた肌、端正な顔立ちで、他の女性に比べて背も高いようだ。学生服を着てなければ、大人と見間違われただろう。モデルの方、と言われたら、素直に納得できる、かもしれない。
学生服の少女は、落ち着いた眼差しを周囲に向け、独り言なのか、唇を動かしていた。
何を言っているのか、夢子には聞き取れなかった。その時、不意にこちらを見た少女と目が合う。
一拍の間、視線を交わし続ける二人の少女。
先に夢子の方が耐え切れず、視線をそらし、両手でフードの縁を握りしめ、顔を隠す。
制服の少女は、パーカーの少女が人ごみに紛れる瞬間を見つめ続けた。
「……ん?ああ、いいや、別に、捕まった人と目が合っただけ、気にしないで……」
制服の少女は、周りを気にも留めず、虚空の誰かと話す。
その時
スァァァアアアアンッ、というような電子音が鳴る。それに誘われて、皆一斉に上を向くと、天井に張り付いていた物体が、三つ同時に、ゆっくりと降りてきた。
物体は、細長い金属質の物体で構築されており、蹲る人の形を成している。
人々が見つめる中、物体は空間の中心に降下。近くにいた人々は驚き、即座に退避すると、動きは波及して空間全体が慌ただしく動き出す。
制服の少女は惑う人々を避けながら、空間の中心を見つめて、一人囁く。
「ああ…大丈夫だ…あたしはな…でも…面倒なことになりそうだ……」
そう言いつつ少女も、壁際へ逃げる人々に紛れ、引き下がっていく。
人の形の物体は、静かに床へ着地すると、震えるように駆動する。
退避した人々は壁に密集し、大きな人の輪を作って、空間の中心に円形の余白を作った。
人型の物体は、細い四肢を伸ばし、単純な構造の足で立ち上がる。
背骨の様な支柱は、幾つもの関節を連ね、それに巻き付く細いケーブルは、後頭部や手足に張り巡らされている。胸元は、胸骨と内臓の代わりに、円筒形の構造が埋め込まれていた。
球形の両肩を支えるのは、支柱に貫かれた楕円形の装置で、上がったり下がったりを繰り返し、肩の位置を微調整している。垂れ下がった両腕が震えると、細長く骨張った五本指の手が小刻みに関節を曲げる。
人々は、恐怖に満ちた表情で、不気味に震える三体の人型の機械を観察し、スマホで撮影を始めた。
人型物体の両足を支えるのは骨盤、ではなく、逆二等辺三角形の構造。無機質で味気ない頭部には、三つのレンズが埋め込まれている。
人々の中にどよめきが生まれるが、それと同時に興奮した声が溢れた。
その時、人型物体の体表に、細い突起が立ち上がる。
先端が青白く光る突起は、全て黒く、マッチ棒の如く細い。長さは少しずつ違うが、一番長くても、人の中指程。体中に折りたたまれていた無数の突起は次々と乱立する。それに合わせて、人型物体は火花を散らせ、激しい音が響く。
突然の変化に、ある者は純粋に驚き、ある者は喜色を帯び声を上げる。
人型物体を覆う火花は、突起の間を飛び交い、増大していく。
やがて、物体の全身が網目状の火花に包まれると、両肩の球形構造から円筒形の機構が飛び出す。機構は六角形の穴に覆われ、そこから粒子が拡散する。更に、骨盤の位置にある逆二等辺三角形の上部が開き、同じく光の粒子を放つ。
溢れ出す粒子は微細な結晶の群れであり、緻密に光を反射しながら、網目状の火花に誘われ、重力に逆らい広がる。
人々は、恐怖も混乱も抱えていたが、それを置き去りにして、夢中でスマホのカメラを向け続けた。
人型物体を包み込んだ粒子は形を整え、やがて、暗い色彩に染まっていくと、新たな物質へと変化する。
そうして、生み出された三体の人型は、それぞれ服装もヘルメットも異なった。
人々から歓声めいた声が上がる。
「なんだあれ!」「特撮か?」「いやマジックだろ!」「ありえねぇ…ありえねぇえ!」「ていうか、ここ何処だよ!」
最早、人々の心を埋め尽くしていたのは、恐怖でも、不安でもない。驚きと興奮だ。
現れた人型の中で最も背の低いのは、バケツ型の機械的なヘルメットをかぶり、外套で全身を隠す。
もう一体は、全身を覆う黒いライダースーツの如き服装の肩、胸、腰、両腕、両足に鉛色の装甲を装着し、西洋兜と現代のバイクのヘルメットを足して二で割ったようなものを頭にかぶる。眼前の黒いガラス質の風防には、人々の顔が映った。
最後の一人は、一番背が高く、着衣はまるでカーキ色のウェットスーツ。長めの両手両足は、ザトウクジラの腹部を思わせる溝が刻まれた細長い洋梨型の素材に包まれており、迫り出したヘルメットは、口を開けた狼の頭を連想させる。狼の口に当たる部分には、黒い風防がはめ込まれ、表面に通るつづら折りの赤いラインが、牙を描く。おまけに、首には、擦り切れたオレンジ色のスカーフがひっそりと、巻かれていた。そいつが、辺りを見渡した後、外套の人型が左腕を出し、腕のプロテクターに張り付く二本の細長い突起を押す。 左右に立ち上がった二本の突起の内側には、細い溝が刻まれている。
外套人型は左腕のプロテクターをグローブに包まれた右手の指でなぞった。
すると、細い溝の奥から、白い光の線が幾本も放たれて、それが重なり合い、織り合い、透明で紙のように薄い画面を構築する。
「まずいぞ…来やがった……」
制服の少女が苦々しく呟くと、彼女の脳裏に声が響いた。
『君の存在に気が付いたのかい?』
制服の少女は、首を僅かに振り、静かな声で言う。
「分からない…だけど、早く来てくれなきゃ、大変かも……」
外套人型は、左腕に立ち上がった画面を右手で三度触れた。
直後、天上から三つの塊が降下し、重い音を立てて、床に落ちる。
それは、指を組み合わせた金属の手。その手頸の内側は、ぽっかりと穴が開いて、グローブの様相を呈していた。兜の頭とスカーフ人型は、持ち上げた金属グローブの手首を囲む金輪を捻る。すると、金属の指が解け、兜頭とスカーフは、両手に装着し始める。黒い手をグローブが覆う。同時に、二人の手首と腕の表面が波打ち、激しく震えて色が霞む。まるで映像が乱れているみたいだった。
しかし、当人たちは気にすることもなく、金属のグローブを両手に装着し終える。因みに、残った一組のグローブは、外套人型の傍に転がったままだ。
兜頭とスカーフは、繰り返し、両手を握ったり開いたりして、感触を確かめる。
外套人型は、左腕の画面を操作すると、再び上から器具が落下。それは、物干し竿の様な銀色の長い杖で、兜頭の掲げた左手に収まった。人々から、ぉお…と感嘆の声が漏れる。兜頭は、銀色の杖を手元で一回転させた。
制服の少女の脳裏に、今度は少年の真剣な声が響く。
『聞こえてる?愛理?』
「ああ…聞こえてるよ…どうだ?こっちにこれるか?」
制服の少女、愛理は、囁くように語り掛ける。その脳裏では、少年の声が応じる。
『ごめん……スマホのビーコンが受信できなかった。だから、旦那の力で愛理の居場所を探しだしてる…けど、旦那の感覚は、機械にフィードバック出来ないから、口頭とフィーリングで、場所の特定をしている』
「加えて…転送装置自体、正常に稼働するか、分からない…か?」
愛理は、細々と嘆息する。
『しかも、ぼ…俺たちが導き出した座標が、そもそも間違ってたら、それで終わり』
「なぁ…あたしの元気が復活するグッドニュースは無いのか?」
『うん……とにかく、何事もなく、どうにかやり過ごして』
最後に少年の声がそう告げると脳裏は静まり返った。
苦い表情を浮かべる愛理は悩む。
(何事もなくって、どうすりゃいいんだよ……そう言えば……昔、満が、NASAの長官の発言を教えてくれたっけぇ……
たしか…アメリカの会議か、公聴会かなんかで、隕石の衝突の対抗策を聞かれて、その長官、こう答えたんだよねぇ……)
『祈ってください……』by NASA長官
愛理は、目を瞑り、眉間にしわを寄せ、合掌し、祈った。
(……何事も…起こりませんように……あ、誰に祈りゃあいいんだ?)
愛理は、目を丸くした。
その時、杖を持った兜頭が傍にいたスカーフの肩を叩き、お互いヘルメットを近づけ、何かを話始める。更にそこへ、外套の人型が近づき、左腕の画面を二人に見せつけた。
画面に映る円形の中には、ドーナツ状に青い三角が密集している。しかし、その中に、赤いひし形の表示が紛れ、点滅していた。
人型達は、狙いを定めた様に、同じ方を向いて歩き始める。
その向かう先に集まっていた人々の中に、愛理も紛れていた。彼女は生唾を飲むと、口元を手で隠してから、静かな声で怒鳴る。
「おい!なんかバレたみたいだ!なんでだ!?なんでバレたの!?」
すると彼女の脳裏に、大人びた声が少し慌てた様に答える。
『え、なにかしたのかい?目立つようなこととか…』
愛理は、向かってくる人型に背を向け、壁に囁きかける。
「知りませんよ…あたしは…まあ…独り言をずっと言ってますけど…それでも、他の人たちも同じようなもんですよ…あれじゃないっすか、スマホのビーコンがばれたとか…あたしの偽装がばれたとか……』
すると、少年の声が脳裏に届く。
『ああ…その可能性もあるな……』
「どういうこっちゃ?」
愛理困惑。
『うん…犯人と接触するため、キャリアーに成りすますのマーカーを持ってただろ?』
愛理は、ブレザーの内ポケットに手を入れ、マーカーを掴み出す。
それは、萌葱色の木の枝と光彩が揺らめく結晶、そして、赤い色素で模様を描いた布を荒縄で束ねた呪術めいた代物だった。
『ビーコンの通信を傍受された可能性もある、けど…もしかすると、誘拐犯は、そのマーカーの反応の違いに気づいた、のかもしれない』
「ホワッツ?」
『つまり…本物のキャリアーを集めた後、誘拐犯たちは、その人たちが発する微弱な反応を更に解析した。その結果、反応を検知する機械の精度を高めて、愛理の偽マーカーの反応の差異を見つけた。
ぼ…俺たちも、同じようなことしたし、向こうだって、これからも引き続き、キャリアーを連れ去るつもりだったんだから、検知の精度向上はやってるはずだ』
その間にも、人型たちは迫る。慄いた人々は後ろに引き下がり横に逸れ、道を譲った。
『或いは、愛理の挙動が目についた、か……』
少年の声がそう言ったあと、大人びた声が告げる。
『だから、念話をもっと練習しようと言ったのに……』
「人間、向き不向きが有るんですよ!」
人型と愛理の距離は、五メートル程まで縮む。両者の間の人々が左右に逃れると、愛理の後ろ姿が露になった。
愛理の脳内で、大人びた声が問う。
『満!私にできることはないかい?』
少年の声の満は、切迫した感情を言葉に滲ませつつも、冷静に答えた。
『じゃあ…落ち着いてください』
愛理と人型の距離は、三メートルに縮まっていた。三人分の足音が迫り、愛理は、ぎこちなく振り返る。
すると、人型は、右に逸れていき、愛理から離れていった。
愛理は右の眉を上げ、困惑を表し、誘拐犯を見送る。
人型たちが突き進むと、人々が道を開ける。その先に夢子がいた。彼女は、逃げようとする。だが
(あしが…動かない……)
夢子は青ざめた表情で震える両足を睨み、ジャージを握り締める。
彼女の歯の根は合わず、カチカチと音を鳴らす。
夢子と人型の距離が縮んでいく。その時
「おいッ!!」
男の怒号が響き渡った。