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2.人生相談サキュバス

 騎士たちがドタドタと部屋を飛び出していったあと、召喚の間には召喚石だけが残された。召喚石からは光で描かれた魔法陣が展開されたままになっている。


 その魔法陣からぬっと、サキュバスの頭部だけが現れた。そしてそのまま辺りをキョロキョロと見回している。はたから見ると生首が動いているようでとても気持ち悪い。


 しばらくすると満足したようで、生首はドヤ顔のまま沈んでいった。


「ふふーん♪ あいつら気付かなかったみたいね!」


 すとんと着地したリリアは実に得意そうである。その頭上には先程まで彼女が首を突っ込んでいた魔法陣が広がっていた。


 高めの天井にある魔法陣をぼんやりと眺めていたエルノは、その紋様が召喚石から展開されたものと似ていることに気がついた。


「でも向きが反対……?」

「ウフフ、どうしてだと思う?」


 床に対しての天井、そして反対向きの紋様。


「……ここは魔法陣の裏側ですか?」

「せいかーい」


 リリアはニコニコしながらパチパチと拍手を贈る。


「召喚の魔法陣を逆走してみたの。それなりに難しかったけど、まあ私だからできたようなものね」

「ここは……?」

「私のおうち。ここに殿方をお招きするのはキミが初めてってことになるかな? なるべくプライベートは大事にしたいタイプなんだよねー」


 リリアの自宅は異世界で言うところの1DKのマンション程の広さになっている。

 インテリアは落ち着いた雰囲気で統一されており、清掃も隅々まで行き届いていて、とてもサキュバスが住む部屋のようには見えなかった。


「……魔法陣を逆に通れるなんて知りませんでした」

「まあ普通ならできないっていうか、普通ならしないでしょうね。でもさっきはヤバそうだったし、隠れる場所が無かったから仕方なく……」


 急に言葉が止まる。


「なんか今さらムカついてきた」


 リリアはいきなりエルノの両肩を掴むと、その細い体をガクガクと揺さぶりだす。


「せっかく召喚に応えてあげたのに、いきなり殺されかけるってどーゆーこと? 私が普通のサキュバスだったら今頃めった刺しよ? どうしてくれるの? ねえどーしてくれるの?」


 エルノの反応はない。その表情はどこか無感動で空虚なものが混じっている。

 ふと気味の悪さを感じたリリアは手を離した。


「もしもーし? 起きてますかー?」

「……お姉さんは、やっぱりサキュバスさんなのですか?」

「そう。しかも最も高貴なサキュバスよ。ふふん」


 すまし顔で胸を張って見せるリリア。ちなみにそれはサキュバスとしては控えめである。


「僕は、失敗したんですね……」

「あ?」


 人を呼び出しておいて失敗とは何事だろうか。その言葉は悪魔の逆鱗にふれた。

 あまりの失礼な物言いに、リリアは首のひとつでもシメてやろうかと向き直る。


「え?」


 しかしその目に入ったのはぼろぼろと大粒の涙をこぼす、まだ幼さの残った少年の姿だった。

 リリアは当惑した。


「ちょ、ちょっと、どうしたの? そんな泣かなくても……」

「すいません、ごめんなさい、こんなつもりじゃ……」

「私そんなハズレだった? チェンジする?」

「違うんです、ごめんなさい……」


 謝罪の言葉を繰り返しながら泣き続けるエルノ。対するリリアはどうしていいか分からない。ただオロオロするのみである。


「誰か助けてー!!」


 情けない悲鳴が部屋に響いた。


 ●


「はい、お菓子どうぞ」

「すいません……」


 目を赤く腫らしてはいるものの、エルノは泣き止んでいる。今は木のボールに入れられたお菓子の袋を興味深そうに見つめていた。


「これって、異世界のお菓子ですか?」

「その辺のコンビニで買ったやつだけど、食べてごらん? 美味しいから」

「ありがとうございます」


 エルノはお菓子の袋を手に取った。しかしその手触りはカサカサとしていて、とても食べれるようには思えない。


「えっとね、それはこうやってタテに開けて中身を食べるものなのね」


 そう言ってリリアは中身を個別包装から取り出して見せる。それは板状のビスケットの片面にチョコレートがコーティングされたお菓子だった。


「すいません、知らなくて……」

「そんな謝らなくていいよ。ビニールなんて無い世界の方が普通なんだし。とにかくどーぞ」


 受け取ったチョコ菓子をエルノは興味深そうに見つめる。

 高級品のはずのチョコレートがふんだんに使われているだけでなく、その表面が帆船の模様で美しく飾り付けられていることに彼は驚いた。そしてリリアの『最も高貴なサキュバス』という言葉を思い出して納得する。


「……感謝いたします」


 お祈りを捧げてからお菓子を口にいれる。すると口の中に別世界が広がった。サクサクとした食感のビスケットと甘いチョコレートが混ざり合って、絶妙なハーモニーを奏でだす。


「すごく、おいしいです……!!」

「うんうん、それおいしいよねー。全部あげるから食べちゃっていいよ」

「ありがとうございます!」


 年相応に子供らしい笑顔を見せるエルノ。彼がせっせとお菓子を食べる様子をリリアはしばらく眺めていた。


「……落ち着いた?」


 しばらくしてからリリアは優しく声をかける。エルノは少し恥ずかしそうにうつむいた。


「はい…… 先程は取り乱してしまって申し訳ありませんでした」

「なんかさ、思い詰めてることがあったら話してみたら? 私で相談相手になるかはわからないけど、少しは楽になると思うよ?」


 とは言ってもリリアにとって目の前の相手はただの子供でしかない。

 接した感じチヤホヤされて育ったボンボンで、大層な悩みなどあるはずもないだろうと彼女は思っていた。だから適当に話を聞いたあとは適当に慰めてイチャラブ展開に持ち込むつもりである。


「……実は僕、捨て子だったんです」

「私が悪うございました」

「えっ?」

「いいの、私にかまわず、続けて……」


 エルノはおよそ3歳くらいのときに孤児院の前で置き去りにされたという。それは恐らく自分が『魔力無し』なせいだろうと彼は語った。


 魔力無しとはその言葉の通り、魔力を少しも持ってない人のことだ。その体質の持ち主はどんな簡単な魔法も使うことはできない。

 エルノの世界では魔力無しは不吉な存在とされており、各地の施設を転々とするなど様々な苦労をしたという。


 しかし6歳くらいになった時、突然の転機が訪れる。

 セロア公国からやってきた勇者教会の使節団によって、エルノは次代の召喚士として認定されたのだ。


 最初は嬉しかった。不吉な役立たずの魔力無しでもできることがあるということに彼は喜んだ。

 しかしそれはすぐ不安に変わった。


『勇者さまを召喚できなかったらどうしよう?』

『失敗したらまた捨てられてしまうのでは?』


 不安を紛らわすように祈りと勉学に没頭する日々が続く。

 そしてついに勇者召喚の時がやってきた――


「ふむふむ。それで出てきたのが私だったわけね〜」


 話を聞き終わったリリアは納得したように頷くと、いきなり床に土下座した。


「どうもすいませんでした! そんな大事な時に出てきたのがこんなサキュバスですいませんでした!」

「いえ、そんな違います!」


 突然の反応にエルノは慌てだす。そしてこちらも手をついて頭を下げ始めた。


「今回はこちらが勝手にお呼び立てしてしまっただけで…… むしろ巻き込んでしまって申し訳ありませんでした!」

「そういう出来た対応やめて、グサるから。年の割に苦労したんだろうなーってグサるから」


 しばらく謝罪合戦を繰り返したのち、エルノは一つの疑問を口にする。


「あの、やっぱり勇者さまではないんでしょうか? 」


 リリアは肩をすくめてみせる。


「逆に聞くけど悪魔が勇者ってあると思う?」

「たとえ悪魔さんでも清く正しい心をもっていれば……!」

「逆に聞くけどサキュバスがそういう心を持っていると思う?」

「それは……!」


 エルノは少し前にサキュバスに襲われて服をむしられたこと、そして人質にされてナイフを突きつけられたことを思い出す。


 しばらく沈黙が続いた。リリアは残っていたチョコ菓子を口に放り込んでもっしゃもっしゃする。


「……でも、どうしてこうなったんでしょうか? 召喚石は先代様が作ったものなのに」

「うーん、私も詳しくはないんだけど、召喚魔法に失敗すると全然違う相手が出てくるみたいなことは聞いたことがあるから、それくらいしか…… あ!」


 言いながらリリアは口を押さえた。『失敗』という言葉は禁句であったかもしれない。

 おそるおそる横目で見ると、案の定エルノはしょんぼりとしている。放っておくとまた泣き出してしまいそうな、そんな弱々しい気配があった。


「あーもうほらおいで」

「わわっ?」


 リリアはエルノをグイと抱き寄せる。急に押し寄せてきた柔らかい感触に少年は驚いた。


「そんな全部キミが背負い込むことはないんだよ? 大丈夫だから。もし捨てられても私が拾ってあげるから。ね?」

「うう……」

「よく頑張ったよねー。でも今は難しいこととか辛いこと、全部忘れていいから。ただひたすら甘えていいからね、よしよし」

「ありがとう、ございます……」


 頭を撫でられながら背中をトントンされる。優しいお姉さんは少しチョコの香りがした。

 今までずっと何年も続いていた緊張がほぐれていく。エルノは思わず相手に抱きついた。このまま何もかも忘れて甘えていたい。


 しかしあの光が脳裏から離れない。世界の危機を告げる召喚石の赤い光。あれを忘れてしまったら元の世界の人々はどうなってしまうだろうか?


 エルノはリリアからそっと離れた。


「……どうしたの?」

「ありがとうございました。おかげで心が落ち着きました。でも、僕の世界に危機が迫っているんです」

「そっか、強いんだね……」

「これでも召喚士なので」


 少年は笑顔で答える。もう覚悟は決まっていた。


「頑張ってね。応援してるよ」

「はい!」

「なーんて言うと思ったかー!?」

「ええっ!?」


 エルノの両肩が掴まれる。かなり力が入っているのか、指が食い込んで痛い。

 そのまま相手を押し倒さんばかりの勢いでリリアが迫る。


「なんで!? 今の完璧な流れだったじゃない! 明らかに導入成立してたでしょ? どうして帰っちゃうわけ!?」

「ご、ごめんなさい、でも僕だけ逃げるわけには……」

「なあええやろ……? お姉さんと一緒にイチャラブヒャッホォイしようや……」

「こ、怖い!」


 エルノは細身を生かして拘束をすり抜ける。壁際へ逃げながら見上げると天井の魔法陣がそのままになっているのが確認できた。

 あそこを通過すれば恐らく召喚の間へ帰れるかもしれない。しかし彼の身長と跳躍力ではとても届かないだろう。


「フフフ、無理やり路線もこれはこれで……」


 ギラついた目のサキュバスが両手をワキワキさせながらゆっくりと獲物を追い詰めていく。怖い。


 エルノが辺りを見回すと天井近くまでの高さがある本棚が目に留まった。魔法陣から少し離れているが、登ってから飛びつけば届くかもしれない。


「あっ、こら! 反則!!」


 本棚を登りだしたエルノを見て、その意図が魔法陣からの脱出にあると気付いたリリアは慌てて彼の足を掴む。


「このー! サキュバスの部屋に来てお話だけってあるかー! 」

「ごめんなさい、すいません! 帰らないといけないんです!」

「うるさーい! おとなしくヒャッホォイさせろやー!」

「離して、離してください!」


 足を引っ張られたエルノは落とされまいとしてとっさに手を伸ばす。しかし掴めたのは棚板ではなく本だった。

 掴んだ本が棚から抜けた弾みでバランスを崩したエルノは、無我夢中でその本を振り下ろす。


「ふぎゃっ?」


 本はリリアの顔面を痛打した。思わずエルノの足から手を離して顔を覆う。

 自由になったエルノは本棚の上までよじ登り、天井の魔法陣に向かって跳躍する。伸ばした手の先からは冷たい水のような感触が伝わってきた。


 魔法陣にぶら下がりながら振り返ると、床にへたり込んで顔をさするリリアの姿が見えた。


「いったぁーい! なにもそこまでしなくても……」

「危なーい! 避けてーー!!」

「はぇ?」


 その背後には平衡を失って倒れようとする本棚があった。次の瞬間、棚から大量の本が雪崩のように落下する。


「きゃーっ!?」


 本棚にはなんらかの収納魔法が施されていたらしく、その落下量は見た目から想定されるものよりずっと多い。

 ついに悪のサキュバスは本の下敷きになって無力化された。


「だだだ大丈夫ですかー!?」


 想定外の成果に驚いたエルノは助けに戻ろうとする。しかしどういうわけか手を魔法陣から引き抜くことができない。むしろ逆に中へ中へと吸い込まれていく。

 どうやら魔法陣とはそういう仕組みになっているものらしい。


「あーもー! しまうのが大変じゃない!!」


 本の山からリリアの顔が出てきたのを見てエルノは安堵した。

 エルノはすでに額のあたりまで魔法陣の中に入っている。この世界にいられる時間はもう残り少ない。


「お話を聞いてくれてありがとうございました。お菓子おいしかったです。あと顔を叩いてしまってごめんなさい」

「うるさいばーか」


 エルノは元の世界へ帰っていく。その様子をリリアはジトっとした表情で見送った。

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