1.召喚失敗サキュバス
「異界より来られ、異界へと去りし勇者さま。この一日を始められることを感謝いたします」
聖勇者教会の中央にある『召喚の間』では毎朝、当代の召喚士による祈りが捧げられている。
「今日、迷宮に挑む戦士たちの上に加護がありますように。彼らの進む道をどうかお守りください」
中央の床には複雑な装飾が施された円盤状の魔道具が設置されており、その中央にはめ込まれた魔石は部屋を緑色に照らしていた。
「日々の仕事と糧が与えられていることに感謝します。この平和がいつまでも続きますように。この世界に危機が迫りしときは、どうかそのことをお教えください」
するとその声に応えるように魔石の光が赤色に変わる。それを見た召喚士は目を大きく見開いた。
「こ、これは、まさか、ついに……!?」
慌てて立ち上がった召喚士は部屋の扉へ駆け寄る。
勢いよく開かれた扉の音に警備の騎士たちは驚いて振り返った。そこには驚きとも喜びともつかない表情を浮かべた、まだ幼さの残る少年がいる。
「召喚士さま、どうされましたか?」
「皆さん大変です、赤色です!」
修道騎士たちの間に緊張が走る。赤色に光る召喚石は二つの知らせを意味していることを知っていたからだ。
ひとつは世界に危機が迫っているということ。そしてもうひとつは……
「勇者さまを召喚する時が来たのです!」
●
かつて異世界から召喚された勇者とその召喚士によって建てられたセロア公国は、国民のほぼ全てが聖勇者教会に所属する勇者信奉の盛んな国だ。
勇者と召喚士は魔王を封印した後、別な世界を救うため旅立ったと伝えられている。
それからおよそ三百年。セロアの民は勇者の再臨を待ち望んでいた。
「ついにこの時が来ました……!」
二代目の召喚士であるエルノは一人つぶやく。
先代の事例から勇者召喚の儀式は一人で行うことになっており、召喚の間には他に誰もいない。
エルノは質素なローブを脱ぐと丁寧に畳んで床に置く。ローブの下はかつての召喚士装束を再現した衣装になっていた。
「大丈夫、きっとできます……!」
自分に言い聞かせるように言いながら、エルノは召喚石の前でひざまずく。召喚士の装束はズボンの丈が膝上までの長さになっていて、冷たい床石の感触が直に伝わってきた。
そしてエルノは心からの祈りを捧げはじめる。
「勇者さま…… この世界に危機が迫っています。どうかこの世界をお救いください! お願いします!」
すると部屋の空気なわずかに揺れた。次いで召喚石を中心として、光の線で描かれた魔法陣が床の上に広がっていく。
召喚の間が複雑な紋様で満たされた時、中央に閃光が走った。そして電撃を帯びた白煙の向こうに、ぼんやりとした人影が浮かんでくる。
どうやら重大な務めを無事に果たすことができたらしい。エルノがそう安堵したその時、煙の向こうから女性の声が聞こえてきた。
「はーい、召喚ありがとー♪ 媚薬にする? 精力剤にする? それとも、わ・た・し?」
エルノはぽかんとした様子で、目の前に浮かぶ存在を見つめていた。
服というより紐と呼んだ方が正しいような露出の多さ。
鮮やかなピンク色の髪の間からは二本のツノが伸びている。
背中にはコウモリのような黒い羽根があり、腰元からは先端がハート型に尖った尻尾がゆらめいていた。
その細くしなやかな手脚は磁器のように白く、美しい顔には漆黒の眼に赤い瞳が輝いている。
悪魔のお姉さんがそこにいた。
「むー、なんか反応悪いなぁ。起きてますかー? もしもーし?」
お姉さんに手を目の前でヒラヒラされて、ようやくエルノの硬直が解ける。
「えっと、あなたは……?」
「私はリリアよ、小さな召喚士さん。そちらのお名前は?」
「す、すいません申し遅れました。僕はエルノと申します……」
「ふーん、エルノちゃんね」
リリアはニヤニヤしながらエルノを肘でうりうりする。
「その若さでサキュバスを呼び出すなんて、キミもスミに置けないなー、このこの〜♪」
「さ、サキュバス!?」
サキュバスというのはもちろんアレな魔族のことである。異世界に関する書物でエルノも知識としてだけは知っていた。
リリアはエルノのあごを指でクイと持ち上げて近づけると、その顔を舐め回すように見つめる。
「うふふ。ちょっと地味だけど、カワイイ顔してるじゃない?」
吐息を感じるほどの距離に驚いたエルノはおもわず尻もちをついて後ずさる。しかしリリアはそれを楽しそうに追い詰めていった。
「ねえねえ、どうして逃げちゃうのー?」
「ど、どうして追いかけてくるんですか?」
「私を呼び出したってことは、そういうつもりなんでしょ?」
「ちっ違います、そういうんじゃないんです!」
エルノの背中に壁がぶつかった。サキュバスからはもう逃げられない。
リリアの顔に妖艶な微笑みが浮かんだ。
「さあ、はじめましょ♥」
●
召喚の間の外では新しい勇者を出迎えるために騎士たちが待機していた。
修道騎士はもとは初代勇者の身の回りで働いていたメイドたちだったといわれている。だからその制服もメイド服を模したものだ。
勇者から教わった剣技や魔法を現代に伝える彼女たちは、今ではセロア公国最強の戦力として知られている。
なお初代勇者が女性だったことからその成員は女性だけに限定されている。女子児童の憧れの職業であり、結婚相手の候補としても大変人気が高い。
「今、どこかから絹を裂くような悲鳴が聞こえたような……」
「中からではありませんか?」
「中からのようですね」
修道騎士たちは勇者の残した足跡に従うため、日々さまざまな訓練を行っている。それには一般教養や礼儀作法も含まれており、戦闘職といえど彼女たちは大変おしとやかだ。
「……もしかすると召喚されたことに激昂した勇者さまが召喚士さまを攻撃しているのでは?」
「ありえるかもしれません……!」
「踏み込みましょう!」
召喚の間の扉が勢いよく開かれた瞬間、盾を構えた騎士たちは部屋の中へなだれ込む。
その先で彼女たちが見たものは……!
「や、やめて、やめてください!」
「ウヘヘ良いではないか良いではないか」
……セクシーなお姉さんに服をむしられる少年の姿だった。
突然の乱入にリリアは驚く。
「えっ、なにこれ、衆人環視? いきなりレベル高くない?」
しかし修道騎士たちはその活動を停止していた。
「な、なんでしょうかアレは、なにをしてるんでしょうか?」
「わかりません、わたくしにはわかりませんわ!」
「召喚士さまのお召し物が破れてあんなに肩がはだけて白くて細くて…… なにか私ドキドキします!」
「わかります、わたくしにもわかりますわ!」
顔を紅潮させた修道騎士たちは盾の隙間から目を凝らしている。
「なんかよく分からないけどすごく楽しんでもらえてる感じがする」
とりあえずこれはギャラリーの一種らしいと考えたリリアは、さらに強度を増したセクハラを再開することにした。
「ここか、ここか? ここがええのんか?」
「キャー! 手が、手がー!」
「ズボンの隙間に、あーっ!」
「すごくドキドキします!」
召喚の間は混乱に満たされている。そんな状況を打破したのは被害者による至極もっともな問いかけだった。
「な、なんで助けてくれないんですか……?」
修道騎士たちは理性を取り戻した。煩悩を振り払った先に残ったのはたった一つの現実である。
「召喚士さまが魔族に襲われている!?」
騎士たちは構えていた盾を手放すと、長剣を両手で構える。盾は床に落ちることなく浮遊したまま前方に集まって壁を作った。
この魔法による浮遊盾を使った攻防一体の剣技が勇者流戦闘術の真骨頂だ。
「召喚士さまをお救いしましょう!」
「突撃ーっ!!」
浮遊盾を先頭に騎士たちが襲いかかる。
「えっ嘘、ちょっと、キャー!?」
リリアの悲鳴が響いたその瞬間、金属音と共に盾が弾かれた。とっさに展開された魔力障壁が騎士たちの攻撃を防いだのだ。
「くっ、これは……!?」
「この強力な魔法障壁は、まさか……!?」
新しい勇者さまの力なのかもしれない―― そんな疑念が騎士たちの脳裏に浮かぶ。
あるいはこの瞬間なら彼女たちは和解することができたかもしれない。しかしリリアが取り出したナイフによってその可能性は台無しにされる。
「やいお前らー! それ以上近付くとこのガキの命はないぞー!!」
「悪魔の所業よ!」
「鬼畜の行為だわ!」
「あんなのが勇者さまのはずがありません!!」
悪鬼による脅迫もむなしく魔力障壁への一斉攻撃が始まった。
浮遊盾が唸りを上げて飛びかかり、両手剣による鋭い斬撃が幾重にも浴びせられる。
「ちょ、ちょっと、人質! 人質がいるんだけど!?」
「召喚士さま! 今お助けします!」
「多少痛くても回復しますから!」
もとよりリリアには召喚主を手にかけるつもりなどなかった。交渉を優位に進めるためにちょっとだけ脅そうとしただけのことである。しかし結果として彼女は一方的に不利な状況へ追い込まれていた。
「こ、こいつらヤバすぎる……!」
ついに障壁は破られた。行き場を失った魔力が放出されて、召喚の間が閃光に満たされる。
続いて正義の白刃が悪鬼へと殺到する。しかし本来得られるはずの手応えはなく、攻撃はただ床材に傷をつけただけだった。
「誰もいませんわ!」
慌てた様子で見回すが、修道騎士以外の存在は見当たらない。部屋の隅々まで調べても悪魔と召喚士の姿は発見できなかった。
「な、なんということでしょう……!」
「召喚士さまが……!」
騎士たちは事態の深刻さに恐怖する。
「召喚士さまが誘拐されてしまいました!!」