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作者: 天理妙我

 猫を誉める仕事を始めた。猫が獲物をしとめてきたら、よしよしと誉める仕事だ。猫もつい調子に乗って、より大きな獲物を狩るようになる。猫というやつは犬と違って、飼い主を喜ばせることを己の天職としないから、小さな獲物しか狙わない姑息な猫や、まったく獲物をとろうとしない怠惰な猫がいる場合、僕のような職人が必要になる。


 猫は人様の猫を拝借する。猫は犬じゃないから、人の言うことを聞かない。猫の思うようにさせながら、それとなく獲物をとってくるよう仕向けるのが僕の仕事で、そこに特殊技能が要求される。猫の獲物を横取りするわけじゃない。猫が獲物をしとめてきたら、よしよしと誉めるだけだ。


 僕は鷹匠ではない。




「猫誉めぇ~う~、猫誉めぇ~」


「猫誉め屋さん、ちょいとたのまぁ」


「へい。上中下とありますが」


「中でいいやな」


「あいよ。さてと、この子ですな。お猫さんや、何か捕まえてきておくれ。鰹節をあげるから」


 さっそく猫は飛び出すと、すぐに口に何か咥えて戻ってきた。油虫のようだ。猫は捕えてきた獲物をそっと地面に置くようにして落とした。解放された平たく黒光りする昆虫は仰向けのまま、数の揃わなくなった足と細く長い触角を激しく動作させながら円を描くように這いまわり、再び猫の興味を惹起する。


 注意深く前足で油虫を小突いていた猫も、僕が鰹節を取り出すと急激に関心の先を移動して、僕の顔を見つめて瞳を輝かせる。僕は鰹節を与えながら猫を誉める。


「おー、よしよし。獲物をとってきたんだね。偉い偉い。よーしよしよし」


「なんだい、猫誉め屋さん、油虫かい」


「然様で。害虫でさぁ。それに気色も悪い。少しでも減った方がいいでしょうに」


「違ぇねぇけどもねぇ。油虫なんてぇのは、一匹や二匹減ったところで、どうってこたぁねぇように思うがねぇ」


「でございましたら、蜘蛛なんかもいけると踏みましたよ。このお猫さんは。大きな巣を張るようなやつをね。もっとも蜘蛛ってやつは油虫を食べるらしゅうございますから、捕りすぎるのも考え物でして」


「いやね、虫しか捕れないのかい、うちの猫は」


「とんだこって。上中下とございますから、中では鼠くらいがいいところでしょうが、チューだけに、上や、こいつぁ初めての方には披露しないことになっているのですが、特上なんかですと、そらぁびっくりするような働きを見せまさぁ」


「鼠で十分なんだがね、鼠で。じゃあ、上でたのむよ」


「よしきた。お猫さんや、矢継ぎ早ですまないけれど、大きな獲物をとってきておくれ。鯛の尾頭付きをあげるから」


 猫は威勢よく飛び出すと、しばらくして自分の図体よりも大きな動物を、首元にしっかりと噛みついて引き摺ってもってきた。アライグマのようだ。僕は事前に周到に用意していた鯛の尾頭付きを与えて、猫を誉める。


「おー、偉い偉い。よくやった。アライグマとは、大物だ。よーしよしよし」


「こいつぁ凄ぇや。あれだろ。赤坂に出たやつだろ。手前よりでっけぇじゃねぇか。うちのぐうたら猫にこんな才能があったなんて、驚いた」


「確かに、ちと驚きましたね。上でも普通は狸が限度。アライグマとは優秀なお猫さんだ。目の付け所が違う」


「どうだろうな、猫誉め屋さん、ちょいと例の特上ってやつを、見せてもらえないかい」


「特上ですかい。本来ならお馴染みさんだけなんだが、このお猫さん、特上で何をしとめてくるか、興味がないわけじゃない。ちぃっとばかし値が張りますが、よろしゅうございますか」


「構わねぇよ。銭っこのことで泣きは見せねぇ。やっとくれ」


「合点。さあ、お猫さん、お疲れのところ申し訳ないが、ちょっと他ではお目にかかれないような獲物をとってきておくれ。なんでも好きなものをあげるから」


 猫が猛烈な勢いで駆け出していくと、暫しの時間の後、急に浜の方が騒がしくなった。行ってみると鯨が打ち上げられている。否、よく見ると、本当によくよく見れば、猫が一所懸命に引っ張っている。その健気な姿には胸を打たれるものがある。


「どうです、鯨ですよ」


「どうですって、もはや害獣でもないし、いくら飛躍の芸とは言い条、飛躍の仕方が安直じゃないかい。より大きな獲物で、鯨って」


「ご不満で。おや、お猫さん、お帰りで。ところがね、ご主人が得心いかないらしい。もうひと踏ん張りして、害のあるものを狩ってきておくれ。なんでも好きなものをあげるからね」


 猫は再び勇壮に海へと漕ぎ出すと、米国に本部を置き、豪州を拠点に活動する、捕鯨活動(猫によるものも含む)を危険かつ暴力的な手法で妨害する自称・海の番犬どもを、ごく穏当な言い方をして、やっつけてきた。


「どうです、反捕鯨団体ですよ。捻ったでしょう」


「角が立つよ。いくら作者が鯨食いだからって。薬品入りの瓶を投げたりするのは有害だとは思うけども。もっと国際問題に発展しないような案件はないのかい」


「まだご不満で。おやおや、お猫さん、お帰りなさい。でもね、お前さんもよくよく物分かりの悪いご主人に飼われたよ。納得できないそうだ。最後に頑張ってきておくれ。なんでも好きなものをあげるからね」


 猫は旅に出た。そして国際的で大々的なロビー活動を経て遂に、鯨は賢いから獲っちゃいけないだとか、イルカ漁は残酷で可哀想だとかいう概念を、この世から抹殺した。


「よーしよしよし。いい子いい子。どうです、概念ですよ。捕鯨がいけないという概念そのものを根絶してしまえば、誰も文句はないはずです」


「うん、もうわかったよ。鯨食えよ。好きなだけ。じゃあ、お足は、これでいいかい」


「ありがとう存じます。どうぞまたご贔屓に。いえね、手前とこのお猫さんと、実に相性がよろしゅうございますな。大変に気に入られたようで。ところでお猫さん、欲しいものは何でございますかな。先ほどから手前の顔を、蛇が蛙を見るような目で見ておいででございますが……」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 落語のような小説。良いですよね。 謎生物(猫)がビーストテイマー(猫誉め屋さん)と出会った事で世界が変わった… “上”でアライグマ… 女子高生が罠猟する漫画でヤバい動物のイメージになった…
[良い点] 鳴海酒さんのところより参りました! 面白い!小粋な江戸っ子風態を想像していたらいきなり捕鯨の話になったところで、電車の中で息を漏らして笑ってしまいました。なるほど、こういう小話 、面白い。…
[良い点] まさしく小話といった感じで、すらすら読めて面白かったです。 [一言] すっとした流れで捕鯨問題の話に持ち込んでるところすごいなぁと感心しました。 書くの上手いなぁ。
2019/01/07 20:39 退会済み
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