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ゆっくりと魚たちを見て歩いたら、気づけばお昼を過ぎていた。
僕たちはあまりたくさん会話をしなかった。
天音が真剣に魚を見ていたからだ。
朝はすいていた水族館もこの時間になると、どこもかしこも人で賑わっていた。
人が多い場所は息苦しくなるので苦手だ。
それは天音も同じらしく、僕たちは逃げるようにして外に出た。
近くに銀杏並木が続いている長い歩道があり、並んで歩いた。
髪をさらさらと揺らす程度の心地よい風が気持ちよく、僕はうーんと背伸びをした。
天音はそんな僕を横目で見てから同じポーズをした。
「はぁ、外は気持ちいいなぁ。
水族館は好きだけど、やっぱり週末は混むね。
あー!でもやっぱり魚っていいなぁ。魚になりたい。」
そう言って天音は魚のようにゆらゆらと手を動かした。
その仕草が子どものように無邪気で可愛かった。
天音のこれまでの人生、天音はどこで生まれて、どんな風に育ったのか。
家族構成は?好きなことは?恋愛は?
基本的な情報がなさすぎる。
よく知りもしない人とこうやってデートのようなことをしている自分に心底驚いている。
人付き合いにおいてはかなり慎重な僕はまず男でも女でも相手のことをよく知ってからでないと、一緒に出かけたりはしなかった。
恋愛においては特に、だ。
これまで僕も多くはないが、それなりに恋はしてきた。
亀のように進展は遅いが、不器用なりにも僕なりの恋愛をしてきたのだ。
しかし、恋愛に没頭することはなく、相変わらず頭の中でストーリー遊びをしてしまうので、デート中に愛想をつかされたり、うまく会話ができなくなり、ちょっとずつ歯車が合わなくなってダメにしてきた。
恋愛は向いていない、しばらくは一人で過ごそう、と2年前に決意してからは悩みも減り、割と楽に生きることができるようになった。
誰にも恋をしないようにガードを固めているつもりだったが、この天使か悪魔かわからない天音という女の子のことが気になっている自分に気がついた。
ふと、朝の喫茶店でのほっぺにキス事件を思い出した。
頬に触れた柔らかい唇の感覚がリアルに蘇ってきて、僕は自分の頬を触った。
いけない。
頭の中でサイレンがなる。
もう恋愛はしない、と決めたのに。
しかも何やら事情がありそうな、こんな危険な女の子に。
目の前を見ると銀杏並木が一面キラキラに光って見えた。
隣でまだゆらゆらと魚の真似をする天音がいた。