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朝の水族館は静かで美しい。
一筋の光が巨大な水槽を照らすと、神様が降りてくるんじゃないか、と思わせるほど神聖な場所になる。
喫茶店を出てから1時間半後、僕と天音は開館直後の水族館で、巨大な水槽の中をゆらゆらと泳ぐ色とりどりの魚たちを見ていた。
人はまばらで、落ち着いてゆっくり時間をかけて見ることができた。
水族館なんて、どのくらい来てなかったっけ。
小さい時、親に連れられて来た以来だから、かれこれ15年ぶりくらいだろうか。
こんなに心が落ち着くところなんて知らなかったな。
横をちらりと見ると、天音が熱心に魚を見ていた。
その横顔には少女のあどけなさが残っていた。
「ねぇ、斗真。」
天音が前を見たまま、突然口を開いた。
「へ?」
僕は自分の名前が急に出てきてたことに驚いて、ずいぶん間の抜けた声が出てしまった。
僕の名前、一応覚えてくれてたんだ。
「魚になりたいって思ったことある?
気持ち良さそうに海を泳ぐの。」
そう言って天音は何かを考えているように目を閉じた。
その顔がぞくっとするほど綺麗で、しばらく見とれてしまった。
いけない、いけない。
ブレーキをかけないと、そのまま僕の心が持って行かれそうだ。
「うーん。そうだなぁ。
確かに海を自由に泳げるのは気持ちよさそうだけど、こういう水槽に入れられるのはいやだなぁ。
窮屈そうで。」
「そうかな。
私は水槽の中のほうが快適で安心で、自由にのんびりと泳げると思うけど。
海の方が敵も多いし、いつ食べられるかの恐怖でまともに気持ちよく泳げないと思うけど。
水槽の中の魚の方が幸せかもしれない。
それは魚になってみないとわからない。」
「うん、まぁそういう意見もあるよね。」
僕はそれ以上、何も言えなかった。
「それに、魚ってさ、何にも考えてないよね、きっと。
食べること、眠ること、逃げること、繁殖すること、それの繰り返し。
過去の後悔、未来への不安とかないんだろな。
今その瞬間しかない。
それがとても羨ましい。」
天音はそう言った。
魚を羨ましいと思うくらい、人間として生きていることが辛いのだろうか。
「うーん、それも魚にしかわからないんじゃない?
だって、気になるあのコに振られて落ち込んでる魚くんもいるかもよ。」
少し重くなってしまった雰囲気を軽くしたくて僕はそう言った。
天音はしばらく考えこんだように沈黙してから、ぱっと表情が明るくなった。
「あ、そっか、確かにね。
何も考えてないのかどうかは魚にしかわからないよね。
もしかしたら人間よりも感受性が強いかもしれないし。」
意外に素直に人の意見に耳を傾ける子なんだな。
天音は軽い足取りで先に進んだ。
水槽の中の1匹の魚と目が合った気がした。
「あのコに振られて落ち込んでいる魚くん、頑張れよ。」と心の中で呟いた。
「お前もな。」と言われたような気がした。
あ、また頭の中でストーリーが始まってしまった。
僕は天音を駆け足で追いかけた。