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喫茶店の小さな窓から涼しい風が入ってきた。
もうすっかり秋になった。
ギラギラと暑苦しい夏が過ぎ去り、街や人々のトーンがぐっと落ち着く秋がようやくやってきた。
僕の大好きな季節だ。
枯葉の上を歩く音、金木犀の香り、空の高さ、いたるところに秋を感じる瞬間が昔からずっと好きだった。
しかし、今年の秋は今までとは違う感じになりそうだ。
天音という、天使か悪魔かよくわからない女の子を拾ってしまったからだ。
最初目が合った瞬間、なぜか天使だと思ってしまったあの直感は何だったのだろう。
そして、その直感に従って彼女を連れて帰ってしまったのだから、僕はどうかしていたのだろう。
しかも彼女の背中に十字架が見えるのだから困ったものだ。
いよいよ本当におかしくなってきたのかもしれない。
仕事がこのところ、忙しかったので疲れているのかもしれない。
次の週末にでもふらっと実家に帰ってのんびり過ごしたほうがいいかもしれない、などとあれこれ考えていると、天音は僕を訝しげに眺めた。
きっと完全におかしい人と思っているのかもしれない。
でももう何も弁解しなくていいや。
だって僕は実際に変わっているから。
小さい頃から一人でいるのが好きで、ずっと絵を描いているような少年だった。
絵を描きながら頭の中でいくつものストーリーを空想しては楽しんでいた。
友達がいないわけではなかったが、友達といても現実の遊びより、頭の中で作り上げた別のストーリーの中で一人で遊んでいた。
大人になった今でもそれは変わらず、数少ない今までの恋人にも呆れられていた。
そんな自分が嫌になった時もあったが、もうこれは変えられないし、それが僕の個性なのだからと受け入れてからはだいぶ生きるのが楽になった。
一人で好きなことをして過ごす毎日が楽しかったし、別に変えたくもなかった。
天音は相変わらず僕をじっと見ている。
そんな見つめられると(きっと見とれているわけではないはずだが)、そわそわして落ち着かない。
おそらく僕の記憶に間違いがなければ、若い女性と(しかもかなりの美人)と向き合って座るのは3年ぶりくらいだ。
「ねぇ、君、あー、名前は?」
「斗真です。藤野斗真。」
「うん、なんでもいいんだけどね。
君さ、よく見るとすごく綺麗な目をしてるのね。
眼鏡とってみてよ。その曇った眼鏡。」
そう言って、天音は僕の眼鏡をさっと外した。
「あ!ちょっと、返してください。」
ど近眼の僕はいきなり眼鏡を外されて世界が一気にぼやけ、パニックに陥っていた。
「やっぱり。目がすごく綺麗。」
そう言って天音は突然、僕の頬にキスをしたのだ。
ん???
僕は何が起きているのかわからなかった。
その一瞬の出来事は、これまでモノトーンだった世界から一瞬にして色鮮やかな蝶が舞い、虹色に咲き乱れる花が一面に広がる楽園に早変わりしたショーを見ているような錯覚を起こさせた。
急にそんな世界にぽとん、と落とされた僕は何が起こっているのかよくわからず、きっとアホな顔をしていたに違いない。
喫茶店のマスターがカウンターに落としたポットがゴトっという鈍い音を店内に響かせた。