44.寝起きの不注意
翌朝、鼻孔をくすぐる芳しい匂いと、早朝の怒号により、意識が覚醒する。
「……なんの騒ぎだ?」
シェルも目が覚めたようで、小さなあくびを上げながら目を擦る。
2人は声の主を探そうと、部屋にある窓からあたりを見下ろす。するとそこには、教会の前にいるパシスタを囲うように、たむろする2人の男がいた。
話の内容はあまり聞こえてこないが、断片的に『金』『土地』等の言葉が聞こえてる。
「あれは一体何だ?」
シェルが首を傾げて聞いてくる。
「さてな。見るからに役人でもないし……
大方、スラムの人間が力に物を言わせて金を要求してんだろ」
「……助けた方がいいのか?」
「一宿の恩を感じているなら勝手にしろ。俺は行かない」
そんな会話をしていると、男の1人がパシスタの胸の膨らみを鷲掴みにした。パシスタは屈辱に頬を染めるが、抵抗する様子はなく、苦悶の表情で耐え凌いでいる。
その様子を見たシェルは、血相を変えて、一目散にパシスタの元に向かった。きっと男たちを血祭りにあげるのだろう。容易に想像がつく。
……けれど、どうやってやるんだ?
一応、シェルと俺は主従関係で通している。パシスタの前では、ボロが出まくっているが、シェルも馬鹿ではない。いくら早朝で人通りが無いとはいえ、お嬢様が大人2人をボコボコにしたとすれば、悪目立ちする。街中で表立って戦闘をするべきは俺だ。
この時点で玲には、100%巻き込まれることが理解できた。正直、今すぐこの場を立ち去りたいが、シェルが前に出た以上、フォローは絶対にしないといけない。難儀なものだと、1つため息をついたところで、シェルがパシスタを守るように割って入る。
「おいおい、シスターさんよぉ。こんな上玉がいるなら、教えてくれよ。わざわざ、あんたが身体を売らないでも、当分ガキどもの世話ができるぞ」
男の1人がシェルを下衆な目で物色する。その目には自分で味わいたい欲求と、いくらで売れるかを思案する非道な意味も含まれていた。
そして男がシェルに手を伸ばす。
──その時、シェルが場を静観する玲に視線を向けた。
合図だ。
玲は重たい腰を上げ、飛び降りて即座に乱入するために、窓に足を掛ける。そして、自らの肉体を空中に投げ出すために、足に力を入れた、その時──
────ズルッ
足が滑った。
「やめて下さい!!この方はわたくしの客人です。手を出さないで!!」
パシスタが叫ぶ。
けれど、男はそれを侮辱するかのように、笑みを浮かべてシェルの腕を引っ張る。
当人のシェルは腕を掴まれながらも、唖然としていた。
視線の先には、足を滑らせ、空中で無様に一回転する玲の姿。このままでは、地面とキスするのは時間の問題だろう。シェルは一瞬焦るものの、その焦りは次第に笑いに変わり、吹き出さないように耐えることに必死になる。
「おい、見ろよこいつ!!お顔が真っ赤だぜ。オジョウサマは男に触れると恥ずかいってか?」
もう1人の男が、笑いを堪えるシェルを勘違いし、指をさして笑う。
「その方を離しなさい!!わたくしなら幾らでも相手しますから!!」
いかにも、か弱そうなシェルを守るため、パシスタも必死に懇願する。それは彼女なりの、誠意だったのだろう。しかし、その発言は男たちの嗜虐心を煽るだけで、何の意味もなかった。
唐突な浮遊感。
一回転した世界。
急速に近づく大地。
玲は何が起きたか、一切理解出来てなかった。ただ分かるのが、あと1秒も満たない時間のうちに、大きな音を立てて無様を晒すこと。
状況を打開する策を練る暇もなく、程なくして予想通りの結末となった。
盛大な音と共に、玲は地面とのキスを果たした。目立った外傷が無かったのは、不幸中の幸いか、ステータスによる補正か。
被害は玲の多大な羞恥心と、土埃によって汚れた服装のみ。当人の意思を考えなければ、被害は少ないと言えよう。
もちろん、そんな大きな音を立てれば、その場の人間の視線を釘付けにする。
場に訪れたのは静寂。シェルを掴んでいた男は驚愕に手を離し、笑っていた男は唖然として口を開く。涙を浮かべて懇願していたパシスタすら、涙を退かせて首を傾げる。
当初の目的通り、場の静定には成功した。もう大成功だ。しかも、腹を抱えて声も出ないほど笑う、シェルのおまけ付き。
玲は地面と長いディープキスの中、怒りの矛先を定める。笑うシェルにはNikujagaの刑。事の原因を作り出した男2人には血の刑罰。
玲はゆっくりと起き上がり、『異空庫』からバスターソードを3本取り出すと、無言のまま男2人に投げる。ついでにシェルにも投げる。
もちろん呆気に取られていた2人が躱せるわけもなく、その胴体に深々と突き刺さる。シェルに関しては、しれっと掴み取り、そのまま男2人の首を跳ね飛ばした。
ひとしきり笑い、死体を片付け終えたシェルの前に玲は立つ。表情は顔にべっとりと付着した土のせいで、よくわからない。この場合、わからない方が良かったので、シェルは微かに安堵を浮かべる。それでも、背筋が凍りつくような威圧感に、シェルは引き笑いを浮かべ、一歩引く。
「あ、あの〜。食事にしませんか?」
状況が上手く飲み込めず、目の前で人が死んだ実感の湧かないパシスタは、取り敢えず落ち着こうと、日常に戻ろうとする。
そんな考えの元、発せられた彼女の発言は、危機的状況のシェルにとっては、女神のように思えた。




